【母と歩けば犬に当たる……92】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……92】
 

92|最強の男は誰だ!

 元日の朝から家でごろごろしているのは嫌なのだけれど、母が氏神さまである白髭神社への初詣すら億劫がるので、朝ちょっとイビの散歩に出ただけで、終日家にいて過ごす。
 ミニチュアダックスフントのイビは幼い頃から吠え癖と噛み癖があり、人間の息子としては母の育て方が悪かったと思うのだけれど、母は
「育て方が間違ってなくてもこうなる犬だったんだよ」
と言っている。
 年がら年中、家でごろごろしているのが好きだった母が、60歳を過ぎても活動的な暮らしができたのは、1995年春にイビがやってきたおかげかもしれない。イビとの暮らしの中で、生まれて初めて歩くのではなく走る母を見たのだ。
 わが夫婦に子どもがあって、この母が孫のおばあちゃんになっていたら、いったいどうなったことだろうと空恐ろしくなるほど愛犬イビを溺愛した母だが、病いを得てからは世話を重荷に感じることもあるようで、
「イビはもういい、イビがあまりに吠えるので休まらない、イビのおかげで死んでしまう」
などと辛そうな日もある。母に頼まれて調べてみたら市内に、年老いて病気になったりして愛犬を飼い続けることができなくなった人を支援してくれるボランティア団体があり、飼い続けられなくなった犬の里親になってくれるという。そういう選択肢もあると聞いたら母も安心したらしい。
 本気でイビと別れることなど母にはできそうにないので、
「それより、お母さんが見つけた自動車で送迎もしてくれて格安の獣医さんがいるでしょう。定期的にお泊まりで預かって貰って、その間にイビのお風呂と散髪をしてもらったらお母さんも休まるから、そういうのを利用してうまくリフレッシュしたらどう?」
と提案してみたら母も多少喜んでいる。
 元日からごろごろして過ごせば、身体だけでなく心までなまりそうなので、実業団駅伝とサッカー天皇杯をテレビで見て心の運動をして一日が暮れる。夕食時はSBSテレビで「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!スポーツマンナンバーワン決定戦『史上最高アテネ五輪メダリスト頂上決戦』パワー世界一決定戦ハンマー投げ金メダリスト室伏広治VS銀ティホンVS砲丸投げ金コディナ驚異の世界新記録誕生」などという激しい番組を見て過ごす。
 室伏広治が出場する競技は確かガロン・スローといい、重そうな樽型の物体を両手で持って背中側にある高い壁の向こう側に投げ捨てるのである。
「頭の上に落ちてきたら危ないけど、何キロくらいあるんだろう」
と母が言うので
「確か10キロって言ってたから、お母さんの好きなお米、ミルキークイーンの5キロ袋を2袋束ねて背面投げしてるようなもんだね」
と言うと、食事を終えて眠いのか、痛み止めが効いてきたのか、ドロンとしたまなざしの母が、
「イビを投げ捨てるようなもんだ……」
と気だるげに投げ出すように言う。終日家でごろごろして過ごしているので、イビはミニチュアと呼ぶのが恥ずかしいほど太って巨漢化しているのである。想像してみると、笑顔でやすやすと噛み癖のあるデブ犬を背面に投げ捨てている室伏広治の姿は、ある種、最強の男と呼べそうな気がしておかしい。

(2005年1月2日の日記に加筆訂正)

【写真】 新年を迎えた、清水区淡島町の虚空蔵尊社。

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