【母と歩けば犬に当たる……93】

東海道みとり旅の記録
【母と歩けば犬に当たる……93】
 

93|ホルモン道場

「今日の夕飯、何が食べたい?」
子どものころ、よく母からそう聞かれたし、結婚したら妻もまた同じ質問をする。そして、
「○○○が食べたい!」
と即座に答えると喜び、
「とくに食べたいものはないからなんでもいいよ」
と答えると困った顔をするのも同じである。
 母に付き添ったがんセンターで、母と同い年、昭和5年生まれの男性に話しかけられ、聞けば母と同じすい臓がんなのだという。食生活のことを尋ねたら、
「あれほど好きだった天ぷらと鰻を、吐き気がして身体が受け付けなくなってね、家族と一緒に楽しめるご馳走が減って辛いよ」
と母と同じことを言うので驚いた。
 母の場合、脂っこいものはすべてイヤ、肉もだめだし脂ののった青味魚なども見ただけで食欲が失せるという。そのくせバターやチーズは大好きで、漢字の牛乳は嫌がるくせに英語のミルクを使ったハイカラな料理は喜んで食べるなどということもあるので、母をメールソフトにたとえるとスパムフィルターの設定が難しい。
 さらに時おり
「しゃぶしゃぶ用くらいに薄切りの牛肉をさっと焼いて塩コショウで食べたい」
などと驚くようなことを言うので、しゃぶしゃぶ用で赤身っぽい肉を買って帰ると、
「やっぱり牛肉は少しは脂身がないとおいしくない」
などと一貫性のないことを言うのだ。
「たまにはレバーでも食べたいな」
「牛、豚、鶏のどれがいい?」
「お母さんは鶏レバーが好き」
「料理方法は?」
「さっと炒めて塩胡椒」
「じゃあ、一緒に砂肝なんかどう?」
「いいねぇ」
 食べ物などどうでもいいと言いながら、終日介護用ベッドでごろごろしていると、母は食べ物のことばかり考えているらしい。食べられるものが減ったのに反比例して食べ物にますますうるさくなる。
「レバーと砂肝はどうやって下ごしらえする?」
と聞くのでかくかくしかじかと答えると、
「ぜーんぜんダメ、包丁を貸してごらん、お手本を見せてやるから」
などと言う。「だったら自分で料理しろよ!」と言ってやりたいところだけれど、相手は病気のお姫様なのでぐっとこらえて、素直に手ほどきを受ける。
「今日の夕飯、何が食べたい?」
子どもの頃、そう聞かれて
「天ぷらが食べたい」
などと言うと母は大量の天ぷらを揚げ、ご近所にお裾分けし、
「お母さんはもう揚げただけで油あたりして食欲がなくなった」
などと言ってお茶漬けさらさらで済ませていたのを思い出す。
「レバーやハツはこう切ると血の固まりがあるから取って水に放って血抜きして、砂肝はこうして開くとこの部分が……」
と異様に神経質な母の手ほどきを受け、何度もなんども一つひとつペーパータオルで水分を拭いながらモツの下ごしらえをしていたら、CTスキャンやMRIで撮影した母の腹部断層写真を思い出し、
「僕はもう下拵えしているだけでホルモンあたりして食欲がなくなったからお母さん全部食べてね」
と言い、お茶漬けさらさらで夕飯を済ませたくなった。

(2005年1月4日の日記に加筆訂正)

【写真】 静岡がんセンター近くの肉店。

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