電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【母と歩けば犬に当たる……91】
91|行く年来る年
NHK総合テレビを見ていたらこの一年の出来事を総括しており、あの出来事、この出来事、あれもこれもが、みんなこの一年に起きたということに唖然とし、一年がなんて長いのだろうとため息が出る。
「去年は長い一年だったなぁ、来年もきっと長い一年だろうなぁ」
と午前0時を指し示す重なった長短針のてっぺん、大晦日と元日の分岐点に立ってため息が出るのではなく、
「今年はなんて長いのだろう」
とまだ午前0時にほんのちょっと角度を残した長針の先、今年のはじっこにぶらさがって、今年に残された数分を見つめながら現在進行形でそう思うのである。
昨日は長かった、明日もきっと長いのだろう、けれど、今この時が永遠につづくほど長く感じるのだ。過去も未来も存在せず、ただ今だけが果てしなく続く、これこそが時間だというような感覚を初めて味わっている。哲学などしたいと思わなくても、人は追いつめられると哲学的に世界が見えるのだ。
家族の死という観念的なものを看取るより、家族が苦しんでいる痛みを看取るのは辛い。痛みこそが今であり現実なのだ。
飛行機が離陸してすぐに視界から消えてしまう見送りが入院や入所による介護だとしたら、桟橋を離れた船がゆっくりゆっくり遠ざかっていくのをいつまでも立ちつくして見ているのが在宅介護であり、ひょっとして地球が球体ではなく平面であり、船は点になっても水平線に没することがないのではないか、そう思う息苦しさが今この時を長く感じさせるのかもしれない。
大晦日、正月三箇日、昔は母とどうやって過ごすかを楽しく相談したものだが、今年は母とふたり、まったく予測のつかない四日間であり、長いなぁと感じつつ、清水浜田踏切脇にできた静鉄ストア(★1)が、正月三箇日も無休で営業していることに、ちょっと安心している。
(2004年12月31日の日記に加筆訂正)
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★1 静鉄ストア(しずてつストア)
1999(平成11)年に設立された静鉄グループのチェーンストア。
【写真】 しずてつストア脇、師走の浜田踏切。
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