仙台は霧の中

 仙台は父親が生まれ育ったところなので父方のふるさとということになり、亡き母も一時戸籍を置いたことのある街である。自分もまた生まれて間もない頃ほんの短期間暮らしたらしいのだけれど、記憶があるほうがおかしいくらい幼い時期なので、「雪」「路面電車(※1)」「交番」「石段のある家」という記憶の断片を並べて母親を驚かせたことがある。いかに母親を驚かせようとも、その四つしか記憶にないのでふるさとなどと言うのはいかにも口はばったい。

 もう親戚すら住んでいない仙台の街だけれど、縁あって片手で数えられるくらいは訪問した事があるが、父親がこの街で生まれ育ったのかと感慨を持てるほどの捉え方ができていない。幼い頃に別れた父親なので、この風土に育まれた杜の都の人らしい感性を持った人だったんだろうな、くらいに美化された感慨を持てたらいいなと思うので、なおさらとらえどころのない街と感じてしまう。

 駅の近く、大通りを歩いていたら仙台ハリストス正教会(※2)があった。
 仙台駅から父の家があった霊屋下(おたまやした)へ歩く道すがらだし古そうな建物なので、この場所からこうしてこの教会を見上げたことがあるのだろうかと思ったが、明治25年(1892)築造の教会は、昭和20年(1945)の空襲で焼けてしまい、再建されたのが昭和34(1959)年、それもまた老朽化して建て直しになり、現在のこの教会は平成10年(1998)完成なのだという。両親が仙台で暮らしたのは昭和30年から31年なのでまだ焼け跡に教会が建つ前だ。

 病気になって仙台で療養中の友人(※3)を見舞い、午後早めから一杯飲める店を探して歩き回ったが、東北の大都会化した仙台の街は垢抜けており、東京のように朝から飲む客を相手にする煤けた飲み屋は見つけられなかった。戦後復興期の仙台はこうじゃなかったんだろうなと思うが、そういう飲み屋が好きだった両親も、当時は貧しくて外で飲むどころではなかっただろうと思う。

 駅近くの雑居ビルで午後三時からやっている『瑠璃の間』という居酒屋を見つけ、若々しいジュンサイと、仙台味噌でたいたおいしい鯖味噌煮を食べた。歩き疲れてほろ酔い気分になり、勘定を済ませて外に出たら、結局またとらえどころのない街だった仙台は夕暮れ時になっていた。
 

※1 仙台市電は1976年に廃止。
※2 青葉区中央3丁目4-20。
※3 友だちのブログはここ

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
よかったぜい! (森田惠子)
2013-06-26 16:37:51
仙台に、ほんの一瞬住んでいたのですね。
子供の頃に行った場所って、妙に気になりますね。

筒井さんがお元気そうで、よかったぜい!
 
 
 
びっくりしたぜい! ()
2013-06-26 16:58:33
…というより、手術が半分だけ無事に終わり、なんとパソコンまで使えるようで、そっちもよかったぜい!

油断せずご養生を!
 
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