◉観念と勘弁

2018年6月23日
僕の寄り道――◉観念と勘弁

「観念する」という言葉は自分が話す分にはズボラに使っているのに、他人が書いたものを読むと意味的な座りの悪さを感じることが多い。女性精神科医の書いた軽い新書本を読んでいてコツンと蹴つまずく。

心が真の意味に向き合うことを意味する用法とイデアのような哲学的用法、そのどちらともちがう気がし、諦念とか、諦観とか、堪忍とか、もっと相応しい言葉がないのかと余計なことを考えてしまう。

余計なことを考えながら勘弁というのはおもしろい言葉だと思う。他人の過失や要求などを許してやるという意味では堪忍と同義なのだけれど、用例に「所務の勘弁上手の人なれば」〈甲陽軍鑑・三二〉とあって、やりくりすることも意味する。

著者は他人と折り合いをつけるためには諦念や堪忍も必要だという意味合いで観念すると用いられているようだけれど、我慢するのではなにも心の救済にならない気がする。勘弁の懐はもっと深い。人と人との関係における「やりくり上手」は「勘弁上手」なのである。心のやりくりこそが実は肝心なのだ。(2018/06/23)


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