電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼バス停の名前
東北地方太平洋沖地震の翌日3月12日は土曜日で、毎週土曜日は義母が暮らす特別養護老人ホーム訪問日ということにしている。地震後ようやく運転を再開したJR各線も、山手線が内回りのみ運転再開、京浜東北線も僅かな本数の列車が乗り切れないほどの客を満載してのろのろ運転との情報がtwitterにあったので今週は休もうかとも思ったのだけれど、埼玉高速鉄道に乗り入れている地下鉄南北線を使う浦和美園ルートを思いついたので思い切って出かけてみた。
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3月11日、地震発生直後、六義園脇の公園に避難した人々。
浦和美園駅駅前に着いたら、地震当日帰宅できなかった人々がやっとここまでたどり着き、大宮駅行きのバスを待って長蛇の列を作っていた。駅前で自転車整理をしていた高齢の男性が、
「この駅はサッカーのある日だけにぎやかで、それ以外の日は駅前でバス待ちする人など数えるほどしかいないので、こんな光景は初めて見た」
と呆れていた。いったいいつになったら乗れるんだろうと前途を危ぶんだけれど、国際興業が臨時運行バスを増発してくれていたのでギュウギュウ詰めながらやって来たバスに何とか乗り込んだ。
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3月12日、浦和美園駅前発大宮東口行きバス車内にて。
地方都市のバスに乗ると次々に停車するバス停名がおもしろい。行政がご都合主義でつけた背番号のような地名番地でなく、昔からの住民が親しんだ字(あざな)や通称が残されていることが多いからだ。浦和美園駅から大宮駅東口行きバスに乗ると「南部領辻」「代山」「野田宝永」「締切橋」「三崎台」「染谷新道」「根木輪」「山村」「上村」などという、土地の成り立ちが知りたくなるようなわくわくする名前が続く。
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3月12日、非常用持ち出し袋を背負って地震速報を見るおばあさん。
東京都北区王子で過ごした小学生時代、ドライブ好きなおじさんが休みになると車に乗せてくれ、よく野田のさぎ山にやって来た。見沼田んぼを餌場にする白さぎの巨大営巣地があり、観察塔から眺めることもできたし、土産物屋には美しい絵はがきも売られていた。今はもう、さぎはいなくなってしまったけれど「さぎ山記念公園」という公園と名前がバス停に残っている。懐かしい名前と思い出の道を辿って「庚申塚」で下車し、義母の特養までのんびり歩いた。
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