飛ばし見


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

大きな画像

以前はインターネットと言えば、もっぱら文章や画像を使って情報を伝えていた。
しかしご存知の通り、現在は映像がそれに入れ替わろうとしている。
Youtubeを初めとした動画サイトが、情報伝達の主流になりつつある。

前から思っていたのだが、Youtubeって見るのに時間がかかり過ぎる・・ということはないだろうか。
Youtubeを見出すと夜中になってしまうので、遅めの時間には見ないようにしている。
知りたいことは決まっているのに、なかなかそこに辿り着かない。
要点だけに絞れば5分で済むところが、1時間付き合わなくてはならなかったりする。
こちら側の主導でペースを変えづらいのは、今の時代に何だか不合理にも思える。

Mrs.COLKIDは録画したテレビ番組を観る時、積極的に早送りを使い、どんどん場面を飛ばしている。
自分の見たくないシーン(特に蛇の出るシーン)や、興味の無いシーンは容赦なく飛ばす。
大まかなストーリーが分かればいい・・という感じだ。
けっこう肝心な部分や、細かい伏線やその回収の場面まで飛ばしてしまうので、横にいてイライラすることもある。

映像作品は単なる情報ではなく、あくまで鑑賞する作品であるから、無暗に飛ばされると不快に感じるのだ。
一見何気ないシーンにも重要な意味を含ませている場合があるのだが、そんなものは関係なく切り捨ててしまう。
映像の持つ空気感や間・・といったものを味わうのも、映像作品を楽しむ醍醐味のひとつなのだが、とにかく話の要点だけ分かればいい・・という感じである。

しかし一方で、先ほどとはまるで逆のことを言っている自分にも気付く。

コストパフォーマンスという言葉がある。
昔はCPと略したが、今はコスパと略す人が多い。
日本語では価格性能比などと言っていたが、要は支払う価格に見合うだけの性能があるかどうか、判定する時に使う言葉である。

しかし最近は、コストパフォーマンスよりも、タイムパフォーマンス(略して「タイパ」)が重視されるという。
要するに、かけた時間に見合うだけの成果や満足度があるかどうか・・という事だ。
今やお金よりも時間の方が大切・・というわけだ。

それに伴い、倍速再生などの機能を盛大に使って、映像を飛ばし見しながら鑑賞するのが普通になっているという。
まだYoutubeのコンテンツを早送りする程度なら分かるが、映画も倍速で見る人が増えているというのだ。
それも最初から最後まで、1.5倍速で見たりする。
それが前提の機能まで用意されており、速度を上げて再生しても、音声がしっかり分かるようになっている。

簡単にそんな事をされては、懸命に役を演じた役者や、練りに練ってシナリオを書いた作家など、製作者側にしてみたら、堪ったものではないだろう。
しかし観る方は、1作品を見る時間で、2作品が見られるとしたら、その方が「タイパがいい」・・というのだ。
仲間内の話題についていくためにも、内容を知っておくことが何よりも重要らしい。

情報の主流が動画に移行したことで、映像作品も情報として一緒くたに扱われ、視聴者に作品を鑑賞する習慣や能力がなくなっているのか。
あるいは映像作品自体が変質して、今や本当に単なる情報のひとつになりつつあるのか。
映像が簡単に見たり作ったり出来るようになり、その価値が薄れてきたのかもしれない。

こうなると映画も、視聴者に倍速で再生されることを意識して作った方がいい。
わざとゆっくり演技させて、倍速で見てちょうどいいくらいに撮るとか・・・
逆に思い切り早く喋らせて、早送りでは何を言っているか分からなくするか・・・
ストーリーを根底からひっくり返すシーンを一瞬だけ入れて、倍速で見た人には意味が分からないようにするとか・・・
そういう意地悪をしたくなる(笑)
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