電波


D3 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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電波時計というものは、まったく狂わないのかと思ったが、ものによっては驚くほど狂うという。
実際に使ってみると、夜中に勝手に受信モードになり、グルグル回ったりするのだそうだが、どういうわけか、それが非常にイラつく原因になるという(笑)
また正確であるという前提があるために、電話の時報と比べて1秒狂っている・・という理由で返品されることもあり、売る方にとっても難しいものらしい。

いくつか時計を持ってみて、やはり愛着が湧くのは、機械式時計に限られることがわかってきた。
腕につけていても、嬉しくてつい見てしまう。
時間を見るのではなく、時計を見るのだ。

電波時計はプロトレックを持っているが、アナログ針のものもひとつ欲しいとは思う。
しかし国産のものは妙にメカニカルで、デザインや質感に気に入ったものがみつからない。
カタログの写真で見ると良さそうでも、お店で実物を見るとがっかりすることが多い。
プロトレックが1個あるから、それでもういいかな・・という気分になっていたが、北欧製でカッコいいものがあるようだ。

プロトレックは実用一点張の時計なので、着けていてもワクワクする気分は味わえない。
何か作業する時など、時計をぶつけて傷つける可能性のある時にのみ着用している。
ただ別の時計の時間合わせをする時は、常に正確なプロトレックの時間を基準としているので、そういう意味では重宝している(笑)

もしかしたら、時間が正確なことは、時計にとってそれほど重要な要素では無いのではないか?
もちろんまじめに追求するならば、機械としての正確さこそ時計の第一の目標であり、それが王道なのだろう。
しかし電波という裏技で解決してしまったために、価値が半減してしまったようにも思う。

腕時計はかなり純粋に趣味の、あるいはファッションのアイテムであるので、時間なんてどうでもいい、と言っては言い過ぎだが、正確さはほどほどでいい・・と思っているユーザーが多いのではないだろうか。
さもなければ皆が電波時計を買うはずだ。
実用性を追求することは、ものとしての価値を高めることに、むしろ相反する面もあるのかもしれない。
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