無駄


D3 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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僕が気に入る時計は、どうも安物ばかりのようだ。
理由は簡単で、僕が時計の歴史を理解していないからである。

時計の評価とは難しいもので、そのメーカーの歴史が大いに関わってくる。
デザインが気に入り価格も適正だからと、ある時計を選んだとしても、時計に詳しい人からは一笑にふされることもある。
よほど革新的な製品でない限り、採用されている技術やデザインのほとんどは、過去に発明されたものである。
安価な製品の多くは、名機と呼ばれる時計へのオマージュとして作られている場合が多いのだ。

つまり一種のパロディであり、雰囲気を味わう為の廉価モデルであり、それを理解してあえて選ぶのならわかるが、知らないと単なる無知になってしまう。
どうせならオリジナルの方を買った方がいいと思っても、そちらは数百万円から数千万円もするので到底手が出ない。

また内部のメカに対する知識も重要だ。
自社でオリジナルのムーブメントを開発すると、否応なく製品は高価になる。
リーズナブルな価格の製品の多くは、量産品であるETA社のムーブメントか、それを自社でチューニングしたものを搭載している。
僕のような素人にとっては、動けばどこのものでもいいのだが、メカ好きにはそういうものはあまり評価されない。

つまり時計というものは、外観が少々良くても、それだけでは評価が決まらないのだ。
そこに歴史の重みやブランドイメージ、メカの希少性といったステイタスが加わって、初めて価値が決まる。
価格的に言えば、20万円以下は入門者向けのハイCPモデルであり、時計が好きな人に認められるのは、それより上の価格帯になるようだ。

僕としては、正直そこまで時計の世界にどっぷり浸かる気持ちはない。
それだけお金があるなら、レンズを買った方がいい。
だからほどほどでこの趣味は終わりにしようと思っている。

ただ性格なのか、僕には中途半端に安いものばかりを選んで、次々に買ってしまうという悪い癖があるようだ。
時計の専門家からは、そんな無駄をするなら高いものをひとつ買った方がいいと言われる。
しかしこればかりは性格で、無駄遣いをしないと満足できないのだから仕方がない。
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