酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

自由に生きる男たちの絆~テレビ桟敷でシティボーイズを堪能する

2013-06-06 22:02:20 | カルチャー
 日本がWカップ出場を当たり前のように決めた。この20年、サッカーは強くなったが、経済、内政全般、外交、科学技術といった〝絶対に負けられない戦い〟では後塵を拝するようになった。国力はサッカーに反比例するのだろうか。

 見渡すと暗くなることばかりだ。柳井正氏が提示した「年収100万時代」は準正社員制度導入で現実になるだろう。消費税は上がり、年金支給年齢の引き上げが検討されている。自民党は<国民が権力に仕える憲法>への改悪を目指し、破綻した原発のセールスマンである安倍首相は、オスプレイ問題で〝同志〟橋下大阪市長に助け舟を出した。

 トルコで拡大する反政府デモのニュースを眺めているうち、羨ましさが込み上げてきた。五輪誘致を<自由度>で決めるなら、閉塞した日本はトルコに勝てない。トルコも日本に劣らぬ警察国家だが、自らの意志で社会を変えようという空気が横溢している。それこそが、民主主義を支える精神なのだ。

 シティボーイズの公演(WOWOW放映)を録画で見た。「西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を」という長ったらしいタイトルである。メーキング映像を含め、門外漢の感想を以下に記したい。

 結成して30年余年……。大竹まことは憤怒、斉木しげるは破天荒、きたろうは脱力と、還暦男がそれぞれ個性を表現している。「立っているだけで笑ってもらえるけど、それで満足したらおしまいだ。闘う気概がないと続ける意味がない」とメーキングで斉木ときたろうが会話していた。一方の大竹は、「あの二人とここまでやってこれたのは、神様がいるからとしか思えない」と思いを吐き出していた。

 まだ若い(俺と同じ56歳)、準メンバーの中村有志が下支えしている。「ちょっと休ませて」という本音が台詞になっていた。いとうせいこうも久しぶりのゲストで熱演していたが、下の世代との共演も楽しみのひとつだ。戌井昭人はいとう同様、作家としても活躍するクリエ―ターで、紅一点の笠木泉は年齢より若々しい。コントは初体験で、「果たして笑いが取れるのか」とメーキングで不安を洩らしていた。

 「西瓜割――」の冒頭に感じたのは、ここ数年とのトーンの違いだ。不条理、ナンセンスが色濃くなり、エンターテインメント度が少し後退している。80年代、シティボーイズ、中村、いとうらとともに伝説のユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成した宮沢章夫が作・演出を担当したことが大きかったのだろう。危ない? 台詞も多かったようで、画面が暗転したり音が消えたりと、WOWOWが自粛したシーンが幾つもあった。

 第一のモチーフは原発事故だ。オープニングで背広姿の5人の男がどこかへ出発し、門の前に辿り着くシーンでジ・エンドとなる。そこは除染工事の現場か、もしくは原発そのものなのだろう。ハローワークで前金をちらつかせる勧誘員が繰り返し登場していた。第二のモチーフは<老いと欠落>だ。ブラックの極みは知的障害者が訪れた喫茶店で、客とマスターの本音と建前が巧みに表現されていた。

 大竹はメーキングで、「普通のジジイだったら植木切ってるんだよ」と語っていた。確かに疲れ切っただろう。ナンセンスの極みというべき花見の準備のシーンでは、大声で叫び、駆け回っていた。大竹の気持ちはわかるが、残念ながら日本のジジイに植木を切る余裕はない。悠々自適なんて今は昔、形を変えた奴隷制の下、窒息寸前になっている。

 シティボーイズのステージは、祝祭的で笑いが溢れ、ノスタルジックな気分を味わえる同窓会だ。今回もまた、<自由に生きる男たちの絆>に胸が熱くなった。
コメント (2)
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