酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「嘆きのピエタ」~悪魔が聖者に至る神話

2013-06-30 22:49:16 | 映画、ドラマ
 ここ数日、メディアは福島原発事故による汚染水流出を報道している。広瀬隆、小出裕章、上杉隆氏らジャーナリストや科学者が警鐘を鳴らしてきた<事実>を、2年のタイムラグで追認したことになる。

 〝世界トップクラスの知性〟と謳われたジャック・アタリだが、「21世紀の歴史」で絶賛したAIG、シティグループが正体を曝し、肩入れしたサルコジは落選と、失墜した感は否めない。とはいえ、同書には示唆に富む指摘も多く含まれていた。<2025年時のアジアの盟主>にアタリが指名したのは、中国でも日本でもなく韓国だった。物差しは<自由度>である。

 夥しい血が流れた民主化闘争を経て、韓国民衆は軍政を倒した。自由の横溢は10代にも及び、BSE反対など幾つかの運動の起点になる。<自由≒善悪、正邪を見極める想像力>が俺のイメージだが、日本では制度という箱で、自由は腐りつつある。

 国としてはともかく、映画では既に韓国はアジアの盟主である。週末に新宿武蔵野館(シネマ3)で「嘆きのピエタ」(12年、キム・ギドク監督)を見た。開映2時間半前に整理券を取りにいったら60番台(キャパ84席)で、立ち見も出る盛況だった。

 公開直後の作品は、ストーリーの紹介を最低限にとどめているが、今回はその禁を破ることにする。全体像をいまだ掴めていないことは承知の上で、'13ベストワンの最有力候補に挙げたい。

 本作のモチーフはミケランジェロの「ピエタ」(慈悲、哀れみ)だ。マリアが十字架から降ろされたイエス・キリストを抱く構図で、ポスターではマリア=ミソン、イエス=ガントに置き換えられている。ベネチア映画祭金獅子賞受賞作だが、海外で高評価の韓国映画の例に洩れず、キリスト教の影響が窺われる。

 本作のガント(イ・ジョンジン)は債務者の体の一部を奪い、障害者保険での支払いを求める冷酷非情な取立人だ。ガントが担当する地区は繁栄から取り残されたソウルの下町で、工場経営者たちは自らの生活を支えてきた機械で体を傷つける。

 「地獄に堕ちろ」と罵声を浴びる悪魔の前に、母を名乗る妖艶なミソン(チョ・ミンス)が現れた。ガントは付き纏うミソンをレイプし、切り取った体の一部を食べさせる。ミソンは夢精するガントに触れ、体液で汚れた手を洗う。手を繋いで街を歩く様子は、チャーミングな熟女と青年のカップルといった雰囲気だ。

 ガントは母を知らず、恋愛とも無縁だ。疑似母子を続けるうち、性的な匂いは遠ざかり、ガントの中でミソンが掛け替えのない存在になる。その過程で悪魔は孤独な獣になり、他者を慮る人の気持ちを知った時、ミソンが消えた。居場所に導かれたガントは、ミソンの背後に潜む架空の人間にひれ伏し、「母ではなく俺を殺して」と哀願する。「ガントも可哀想」と呟いたミソンだが、用意したシナリオを貫徹する。

人間の深淵を抉ることで、ベクトルは向きを転じる。ラストでガントを引きずった車が山頂へ向かう。贖罪の意識と犠牲的精神に目覚めたガントの聖化の象徴するシーンといえるだろう。物語を神話に到達させるキム・ギドクの力業に圧倒された。日本人監督で対抗できるのは園子温だけかもしれない。

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