酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

七夕の夜、恋愛について考えた

2009-07-08 00:44:22 | 戯れ言
 昨日は七夕だった。ロマンチックな日のはずなのに、クリスマスやバレンタインに押されている。俺が明治やロッテの社員なら、七夕を書き入れ時にするために企画を練ったかもしれない。「七夕ぼた餅」なんて、確実にボツだろうけど……。

 日本で自由恋愛が浸透したのは1960年前後といわれている。この半世紀、手紙⇒電話⇒メールとツールは進化したが、<愛の形>は不変なのではないか。俺はJ―POPに疎いが、テレビで流れる歌詞の中身は昭和の流行歌と同じに聴こえる。純愛、情、絆といった不変の価値をテーマにした邦画も多い。

 その一方で、若年層カップルにおけるDVの蔓延、〝離活〟女性の増加などが頻繁に報じられる。そのまま信じたら日本は〝愛の砂漠〟だが、すべての恋(片思いも含め)は成り立ちも景色も違う。個別の事例を語ることで、結果として普遍に近づくしかないだろう。

 07年の年頭の誓いは<恋でもしようか>だった。2年半後の今、公約達成度は0%で、充実した孤独を楽しんでいる。対象がいないわけではない。魅力的な女性――当ブログ読者のあなた――は少なからず存在するが、自らブレーキを踏んでいる。

 理由はなぜか。自分が<人を正しく愛する資質>に欠けていることに気付いたからだ。40代なら修業を積んで晩年に備えることも可能だが、思い至ったのが50代では遅きに失したとしか言いようがない。ちなみに、<人を正しく愛する資質≒寛容&覚悟>と考えている。

 俺は見た目も冴えず、心根も卑しい男だが、別稿(5月24日)に記したように女性運はいい。タナボタで舞い上がっているうち、間を置いて落下した鉄鍋で脳天をしたたかに打ちつけられるというパターン繰り返してきた。まあ、結果としては恋愛敗者だが、自らの経験に基づく繰り言を以下に。

 日常を共有しているうちに親近感が生じ、好意を経て別の次元に飛躍するのが恋の自然の過程と、大抵の男は考えている。この<情が移る>という化学反応は、実は女性には起きにくいことを少し前に知った。この辺りの男女の感覚のズレが、時に悲喜劇を生む。さらに女性は感性と知性で男性を選ばない。このブログを読んで俺に惚れてくれるなんてことは、100%起こり得ないのだ。

 俺の周りには<寺山修司ファンの女>に痛い目に遭った男が結構いる。寺山ファン同士なら人生の深淵で寄り添えるかもしれない……。男はそんな幻想を抱いてしまうが、女性にとって文化もアクセサリーの一つであることを忘れてはいけない。マトモな私だけど、寝る前の30分間ぐらい歪んだ世界を覗いてみようかしら……。この辺りが自称寺山ファンの女性の本音で、化粧を落とした彼女は寺山ワールドと無関係の夢を見ながらスヤスヤ眠る。

 恋愛についての経験は、残念ながらDNAにインプットされることはない。人類は未来永劫、ゼロから恋愛をスタートし、ほんのわずか悟った時に死を迎える。

 実は今回、3年前の7月7日に死んだシド・バレットについて書くつもりだったが、考えがまとまらず駄文を垂れ流してしまった。来年の七夕は、シドとピンク・フロイドについて記すことにする。覚えていたらの話だが……。



コメント (4)
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