酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

変革者の実像~ボブ・ディランとイアン・カーティス

2009-05-21 02:01:08 | 音楽
 東京で新型インフルエンザの感染者が確認された。いずれ街はマスク姿で溢れ、着用しない者は非国民扱いされるだろう。新型インフル対策はもちろん必要だが、100人前後が日々自殺する現実から目を背けてはいけない。この国ではウイルスだけでなく、貧困と格差という名のがん細胞が増殖している。

 さて、本題。WOWOWで先日、ボブ・ディラン関連の「アイム・ノット・ゼア」と「ニューポート・フォーク・フェスティバル1963~65」、イアン・カーティスの実像に迫った「コントロール」が放映された。今回は映画を基に、ディランとイアンについて記したい。

 公民権運動の担い手、伝統的なバラットの継承者、ギンズバーグと並ぶ詩人……。称賛の形容詞は尽きることのないディランだが、グループサウンズ⇒モンキーズ⇒ビートルズでポップに目覚めた俺には、あまりに敷居が高かった。

 「アイム――」はディランの6つの個性を6人の俳優が演じる実験的な作品で、見終えた時、迷路に取り残されたような気分を味わった。対訳歌詞抜きの「ニューポート――」は退屈なドキュメンタリーだったが、音楽史に残る場面がカメラに収められていた。

 バンドを従え、エレキギターを手に「マギーズ・ファーム」と「ライク・ア・ローリングストーン」を演奏するディランに、観衆がブーイングを浴びせる。生ギター一本で歌うことが<反抗のスタイル>で、プラグを通すことは資本と体制に魂を売る行為とファンは考えていたようだ。

 「コントロール」の録画を見たのは、奇しくもイアン・カーティス(享年23歳)の20回目の命日(5月18日)だった。フォロワーの活躍もあり、ポストパンク/オルタナ/の創始者、マンチェスタームーヴメントの曙として絶対的な評価を受けるジョイ・ディヴィジョンのフロントマンがイアンだった。その青春時代から自殺への日々を追ったのが本作である。

 デヴィッド・ボウイとルー・リードの信奉者で、10代のうちに恋に落ちて結婚し、公務員(職業安定所)として働く傍ら、仲間と音楽を始める……。英国ではよくあるパターンだが、イアンは不幸なほど非凡だった。本作は“天才”イアンではなく、一人の青年としての懊悩を等身大で描いている。

 バンドが軌道に乗り始めた頃から、イアンは癲癇の発作に苦しむようになる。ステージで倒れたこともしばしばだったが、何よりイアンを追い詰めたのは妻デビーと恋人アニークとの関係だった。2人の間を行き来するうち、いずれからも距離を置かれるという悲劇的な結末を迎え、全米ツアー出発の日、自ら命を絶つ。

 イアンの詞が直截的な私小説であることを本作で知った。ロック史上最もダウナーなアルバムで、静謐な美に彩られた「クローサー」をぜひ聴いてほしい。本作では割愛されていたが、ジョイ・ディヴィジョンをプロのレベルに向上させたマーティン・ハネット(プロデューサー)の功績も忘れてはならない。

 ボブ・ディランとイアン・カーティスはタイプこそ違え、ともに音楽界に進化と深化をもたらした変革者だ。21世紀のロックシーンに、彼らと匹敵するアーティストはいるだろうか。


コメント (4)
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