酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

岡本喜八のはてしなき境界線

2005-06-13 08:18:35 | 映画、ドラマ

 長嶋茂雄氏と俺には共通点がある。記憶の箱が壊れていることだ。サラリーマン時代、頻繁に名前――とりわけ女子社員――を誤って呼び、不興を買っていた。長嶋さんなら天才ゆえの愛嬌と許されるが、凡人にとっては何の得にもならぬ失態であった。

 混同するのは人名だけではない。若い頃、無計画に映画を見たせいか、<監督=作品>の組み合わせを正確に把握していない。顕著だったのが別項(2月21日)に記した岡本喜八作品である。幸いにして日本映画専門chで特集中であり、頭の中を整頓することができた。

 まずは、市川崑ファイルに紛れ込んでいた「江分利満氏の優雅な生活」(63年)と「殺人狂時代」(67年)。

 「江分利満氏――」は直木賞受賞作(山口瞳原作)を映画化したもので、ユーモアとペーソスを交えてサラリーマンの日常を描いている。「殺人狂時代」は奇抜な発想と遊び心に溢れた作品で、スタイリッシュな映像とミステリアスな展開が楽しめる。前者は市川監督の「私は二歳」(62年)、後者は同じく「黒い十人の女」(61年)と重なる部分があり、間違って分類していたようだ。

 比較的オーソドックスな作りから、コメディー、ドキュメンタリータッチと、岡本監督は実に芸域が広い。俺なりにベストワンを挙げるなら、「近頃なぜかチャールストン」(81年)か。

 主人公の次郎は冒頭、婦女暴行未遂でパクられ、留置場で奇妙な不良中高年グループと知り合った。彼らは戦争反対と平和主義を旗印に「ヤマタイ国」独立を宣言し、あばら家を不法占拠していた。次郎も仲間入りし、労働大臣(実態は使い走り)を任命される。8月15日を日限にヤマタイ国の存亡を脅かし、次郎の命まで狙っているのが、他ならぬ母と兄だった。ヤマタイ国周辺に、失踪した父、定年間近の警察官など多彩な登場人物を配し、テンポ良くストーリーが進んでいく。岡本監督の国家観と反骨精神が色濃く反映した作品でもある。

 森崎東監督の「黒木太郎の愛と冒険」(77年)は、疑いの余地なく岡本ファイルにしまわれていた。喜劇を作る職人である森崎監督だが、「黒木――」は破天荒な岡本ワールドに近く、主人公は型破りな言動で社会にぶつかっていく。「黒木――」主演の田中邦衛は「近頃――」でも重要な役を演じているし、財津一郎は両作品で存在感を見せつけている。岡本喜八本人が「黒木――」で怪演を披露しているのだから、自分の勘違いを弁護したくもなる。「近頃――」と「黒木――」はともにATG配給で、自らを軛(くびき)から解き放ったベテラン監督が、名優たちと一緒にマグマを爆発させた会心作といえよう。

 俺の中では<岡本喜八≒石川淳>の公式が成立している。分野こそ違うが、「聖と性」、「国家と個」、「現在と過去」、「骨太と諧謔」、「荒唐無稽と予定調和」の狭間に独自の世界を作り上げた。ボーダレスとかグローバルとか、カタカナにすると軽薄な感じになるが、岡本喜八こそ、境界線を無限の時空に広げた自由人であったと思う。

コメント
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