誰しも衝動買いの経験はあると思う。恒常化すれば「買い物依存症」となり、抗鬱剤の服用で治癒可能というが、俺も重症だった時期がある。購買対象はCD、甘い物、本だった。CDなら一度は聴いたし、甘い物は毒に転じて体の底に堆積されているが、カバーにくるまって熟睡している本は数え切れない。
昨夜のこと、ブログのネタに困って「昭和史全記録」(毎日新聞社刊)を眺めていると、<近江絹糸100日間の大争議>の大見出しが飛び込んできた。ピカッと閃き、積読本から三島由紀夫の「絹と明察」を選ぶと、一気に読了する。とまあ、楽屋話になってしまったが、本題に。1954年6月、近江絹糸の組合はストに突入した。<日本的家族主義VS西洋的合理主義>という同争議の構図に惹かれた三島は、10年後に「絹と明察」を書き上げた。
近江絹糸の労働条件は極めて劣悪で、組合は<格子なき牢獄からの解放>を要求した。会社は強硬一辺倒で、警察の警告を無視してスト破りに暴力団を使い、大量解雇を通告する。社長の「マスコミはアカ発言」、組合執行部の少年の抗議の自殺、近隣住民の同社への悪感情もあり、世論はスト支持に回っていた。労働省、法務省にも非を追及されるなど四面楚歌の中、会社が要求を呑むことで解決を見た。
三島は社名を駒沢紡績に変え、社長の駒沢善次郎を主人公に、療養所で死を待つ駒沢の妻房江、フィクサーの岡野、芸者から寮母になった菊乃、岡野の教唆で争議を企てる大槻、その恋人弘子らを配し、物語を構成していく。駒沢は合理主義とは無縁で、工場では滑稽なほど家父長として振る舞っている。その言動に欺瞞、偽善は露ほどもなく、自ら信じるところに寸毫の疑いもない。和解後、麻痺した身を横たえ、駒沢は寛恕の境地に到達する。背いた者を許し、憎むべき者にも感謝の念を抱く。日本的土壌に還っていく駒沢に、三島は自らの未来を重ねたのかもしれない。三島の死に様は、曖昧さに溶けた駒沢と全く異なる形であったのだが……。
駒沢の対極に位置するのが、ハイデッガーに心酔する知性の人、岡野だ。戦争中は翼賛体制を支え、戦後はフィクサーとして暗躍している。岡野は狂言回しとして実を得るが、形而上敗北した男として描かれている。大槻と弘子の幼くも純粋な愛、インテリ芸者から駒沢に一方的に傾倒していく菊乃の心理も、三島らしい筆致で描かれていた。
戦後デビューの作家では、三島と開高健が表現力で双璧だと思う。冷たい言葉の塊を爆弾のように吐き出す開高がベートーベンなら、流麗なイメージの連なりを精緻に紡ぐ三島はモーツァルトか……。「絹と明察」にも言葉の魔法がちりばめられているが、文学史上の評価は芳しくなかった。
通俗的、予定調和的な本作は、型に嵌った交響楽や荘厳な器楽曲ではなく、オペラに似た感じがする。<三島はかくあるべし>と念じるファンに敬遠されたのかもしれない。発表時期(64年)も悪かった。猪瀬直樹著「ペルソナ/三島由紀夫論」にも描かれていたが、三島は60年以降、トップランナーではなかった。伝統に依拠していたため時代遅れと見做され、安部公房や大江健三郎に寵児の座を奪われていたのである。
本作がなぜ棚に寝ていたのか不思議だが、ブログを始めていなければ、読むことなく死んだに違いない。これもまた、一つの出会いである。三島の死についても私見はあるが、別項で記すことにする。