酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ビートルズって何だろう~来日から39年

2005-06-29 05:49:16 | 音楽

 1966年のこの日(29日)、ビートルズが来日した。俺は当時9歳だったが、床屋で何曲か聴いたことがあった。理容師や美容師には流行に敏感な人が多いが、その店のおやじもカバみたいな風体に似合わず、音楽の趣味はかなり洒落ていた。
 
 年齢によってビートルズの捉え方は異なると思う。俺は辛うじてリアルタイムで聴いた世代だが、以下に、自分なりのビートルズ像を提示してみる。

 その①<ビートルズは超不良だった>…ビートルズは港町ハンブルクで腕を磨いた。かの地は気性の荒い客が多く、娼館も数え切れないほどあった。ビートルズは酒、女、ドラッグ、喧嘩で修業を積んだ後、小ざっぱりした坊ちゃん風のいでたちでデビューする。
 
 その②<ビートルズはアイドルだった>…ビートルズほどルックスの平均点が高いユニットは例を見ない。男っぽく芯が通ったジョン、プリティボーイのポール、シャイな男前のジョージ、癒し系三枚目のリンゴ……。SMAPにだって勝っているというとファンに叱られそうだが、世界中の少女が熱狂したのも当然だった。

 その③<ビートルズは演奏が下手だった>…日本公演の映像も見たが、目を覆うほど下手である。同世代のストーンズやフーはデビュー時から凄まじいライブを披露していたから、言い訳は利かない。

 その④<ビートルズは変わり身が早かった>…「ビートルズが『イエスタデイ』を歌っていた頃、俺たちは『ヘロイン』を世に問うていた」と、ルー・リード(ヴェルベット・アンダーグラウンド)は自慢げに語っている。お子様向きのビートルズと比べ、アメリカ勢はカウンターカルチャーとしてのロックを提示していた。ビートルズはスタジオに篭もると、1年足らずで「サージェント・ペパーズ」を発表し、トップランナーに返り咲く。この急激な進歩こそ、才能の証といえるだろう。

 その⑤<ビートルズは音楽地図を塗り変えた>…自作曲でヒットを連発したビートルズの出現は、音楽界のヒエラルヒーを覆した。石井宏氏が「反音楽史」で記しているように、先進国における音楽的才能は殆んどポップミュージックに吸収され、その結果、登竜門的な音楽祭で入賞するのは東欧やアジアの若者ばかりになる。クラシックが神学化、解釈学化しているのは事実だし、ジャズはロックに侵食された。創造を志向する少年が表現の場をポップミュージックに求めたことは、必然の経緯だった。

 その⑥<ビートルズは潔かった>…U2は25年、REMは23年、レッチリは21年、レディオヘッドは13年、オアシスは11年……。これは大御所バンドの活動年数だが、ビートルズはデビュー曲「プリーズ・プリーズ・ミー」から「アビイ・ロード」(実質的ラストアルバム)まで実働7年だ。密度の濃さと潔さには驚くしかない。

 その⑦<ジョンの悲劇は純粋さゆえだった>…ボブ・ディランにインスパイアされたジョンは、純粋さゆえ、政治にのめり込んでいく。ニューレフトと交流し、資金的に援助したことが、CIAやFBIの不興を買った。ジョンの死を米当局の謀略と結びつける論考も多いが、信憑性は高いと思う。作り手が危険分子ゆえ放送禁止扱いの「イマジン」は、「ライブ8」でこそ歌われるべき曲だ。アーティストの勇気に期待したいが、顔ぶれを見る限り難しそうだ。

 とまあ、毎度の如くダラダラ書いてしまったが、「ビートルズは何か」を一言で表すなら、「魔法使い」ってとこか。ポップという陽性の毒で、世界中を心地よく痺れさせてしまったのだから……。

 最後に個人的な話題を。ここ数日、会社の元同僚2人と会う機会があった。ともにずっと年下だが、俺より前に会社を辞め、自分の道を歩んでいる。OBが一員であるバンドを見るため吉祥寺に足を運んだ。スプリングスティーン風で、想像以上に楽曲の質も技術も高かった。破綻のなさが気になったほどである。OGの方は来月、パレスチナへ出発する。2カ月ほどNGOで活動した後、留学先のイギリスに向かうという。両者とも自らの立脚点を見据え、自由かつ着実に生きている。腑抜け浪人の俺だが、前向きに生きねばと励まされた次第だ。

コメント (1)
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