酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ムーン・パレス」~3代を紡ぐ孤独と流浪の糸

2022-04-28 22:40:09 | 読書
 先日、「グレタ ひとりぼっちの挑戦」(2020年)を見た。阿佐ヶ谷地域区民センターで開催された「ゼロカーボンシティー杉並の会」連続企画第2弾である。会のメンバーではないが、主催者と繋がりがあり、会場整備に協力した。〝社会復帰〟の一環というべきか。

 グレタ・トゥーンベリのスタートは15歳の時、気候危機を訴えるためスウェーデン国会近くで始めた座り込みだった。国連、EU議会、各国議会で「あなたたちは何もしていない」とリーダーたちを問い詰めるグレタの言葉は清々しい。「アスベルガー症候群は私の誇り」と語るグレタは、コミュニケーションが苦手で、学校で仲間外れにされていたが、孤独だからこそ真実を追求し、同じ日に世界で700万人が街角に出る奇跡を導けたのだ。

 昨年8月、脳梗塞を発症した。幸い早期の入院で症状は治まり、今は何とか本を読むことは出来るが、視力の衰えで、読書は〝楽しい苦行〟になった。生きる意味を重く問いかける小説を読了する。ポール・オースター著「ムーン・パレス」(1989年、柴田元幸訳/新潮文庫)である。オースター作品に触れるのは別稿(2020年10月5日)で紹介した「ブルックリン・フォリーズ」以来、2作目だ。

 同作で描かれていたドロップアウトと流浪に加え、「ムーン・パレス」には孤独が加わった。本作は自伝的要素が濃いといわれるが、主人公(聞き手)のマーコ・スタンリー・フォッグ(MS)は作者同様、ニューヨークのコロンビア大の学生だ。<それは人類がはじめて月を歩いた夏だった>の書き出しで、舞台が1969年であることがわかる。タイトルの「ムーン・パレス」は大学近くに実在した中華料理店という。

 MSは幼い頃、母エミリーを交通事故で亡くす。育ての親だったビクター伯父は全米を転々とするミュージシャンだったが、蔵書を残してこの世を去る。MSはドロップアウトし、セントラルパークでホームレスになる。徴兵への忌避感があった可能性もあるが、MSは他者との距離が測れない。〝孤独癖〟の源流が、後半に明らかになる。

 MSを救い出したのは、大学での唯一の親友ジンマーと中国系のキティだった。ジンマーとは没交渉になり、キティとは恋人になる。MSが偶然見つけた仕事は盲目で車椅子の気難しい老人、トマス・エフィングに本を読み聞かせるという内容だったが、聞き取りに変わり、MSはエフィングの数奇な人生を書き留める。エフィング死者と認知されたことで名前を変え、欧州に向かう。

 アメリカの小説や映画に親しんでいる方は、<辺境への旅>というパターンの作品に出合ったことがあるはずだ。「ムーン・パレス」にもその要素はある。思い出したのは映画「イントゥ・ザ・ワイルド」(07年、ショーン・ペン監督)だ。主人公クリスはエリートの道を捨て、流浪を選ぶ。クリスは復帰の道を遮断された。

 一方のMSは全てを剥ぎ取られた後、微かな光明を見いだした。<夜空に上っていく月に僕はじっと視線を注ぎ、それが闇のなかにみずからの場所を見出すまで目を離さなかった>……。「ムーン・パレス」はこのように締められる。月で始まり、月で終わる〝青春ロード小説〟だった。MSはアメリカの果てに行き着くが、ホームレス時代は心の最深部まで沈み込む。ともに<辺境への旅>だった。

 オースターは本作をコメディー小説と評している。粗筋だけを紹介すると、偶然が重なり過ぎるご都合主義と思われるかもしれない。エフィング=ソロモン・バーバー=MSの孤独と流浪の糸に紡がれた物語が寓話の域に飛翔したのは、稠密かつ濃厚な描写による。俺にとって本作は伽藍と楼閣で、65歳になって小説を読む至高の快楽を味わえたのは幸いだった。

 将棋の叡王戦第1局は、藤井聡太叡王(5冠)が挑戦者の出口若武六段を93手で破った。今期初戦の内容は完勝だった。藤井そして出口ら若手棋士も将棋で<辺境への旅>を続けている。彼らの戦いを見守りたい。
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