元日に「芸能人格付けチェック」を見た。まじまじとAKB48(ノースリーブス)を眺めたのは初めてだったが、選挙だの入れ替えだのと大騒ぎしている割に、普通の女の子だったので驚いた。音感チェックは番組の恒例だが、<バイオリンの名器は安価な現代ものと音に変わりなし>の報道で次回以降、種目から外れるかもしれない。
年末年始は小川洋子の「ブラフマンの埋葬」(講談社文庫)と「ミーナの行進」(中公文庫)を続けて読んだ。映画「博士の愛した数式」は見たが、小説そのものは昨年発表された「人質の朗読会」に続き、2、3作目となる。
自分のブログを読み返すと、底意が芥のようにプカプカ浮かんでいるのに気付く。内面が汚れているから仕方ないが、小川さんの言葉は対照的で、深山の泉から湧き出る純水のように澄んでいる。濾過装置をいかにしてしつらえたのだろう。
まずは「ブラフマンの埋葬」から。山あいの村にある「創作者の家」には、様々な分野のアーティストが集ってくる。管理人の僕の元に、奇妙な生き物が転がり込んできた。犬、猫、リス、狸、それとも小型アザラシ? 碑文彫刻師により、「ブラフマン」(サンスクリッド語で謎)と名付けられる。
名の通り謎めいたブラフマンは粗相を繰り返しながら、僕と仲良くなっていく。彫刻師と一緒に見事な泳ぎっぷりに見とれているが、2人以外にとっては不気味な存在だ。とりわけ女性に評判が悪く、雑貨屋の娘とレース編み作家は、嫌悪と拒絶を隠さない。ブラフマンを可愛がる僕まで、人間性を疑われてしまう。
泉泥棒の登場から穏やかな日常にヒビが入り、僕とブラフマンのひと夏の友情は終わりを迎える。ブラフマンを僕の孤独、時間との遮断のメタファーと受け取ることも可能だが、俺の中で重なったのは宮沢賢治の世界だ。
「ミーナの行進」の主人公、朋子は1959年生まれで、作者より3学年上という設定だ。岡山育ちの朋子は父を亡くし、母は洋裁を生活の糧にするため、東京の専門学校で学ぶことになる。72年4月から翌年3月までの1年間、芦屋の伯母宅に預けられた朋子は、夢を形にした豪邸で、1歳下の従妹ミーナと多くの時間を過ごす。
共に暮らすのは飲料メーカー経営者の伯父、伯母、ミーナ、暗い記憶を秘めるユダヤ系ドイツ人のローザおばあさん、使用人の米田さん、コビトカバのポチ子、そして運転手の小林さんだ。朋子とミーナだけでなく、ローザおばあさんと米田さんも、双子姉妹のような絆で結ばれている。タイトルの「ミーナの行進」は、小林さんが引くポチ子の背に乗ってミーナが小学校に通う光景を指したものだ。
物語の背景になった1970年前後、この国で何が起きていたのだろう。傷痍軍人は街角から消え、戦争の爪痕は塗り潰された。高度成長と引き換えに、家族や地域から個という砂粒が零れ始める。そんな時期、日常の万般に通じた米田さんは、豪邸でビーズの糸の役割を果たしていた。
俯瞰なら幸せな家族も、問題を幾つか抱えている。最大の悩みはミーナの健康だが、夫婦の亀裂が空気を蝕んでいた。伯父には別宅があり、伯母は自分の殻にこもっている。「人質の朗読会」に校閲者が登場するが、「ミーナの行進」で伯母は、誤植探しで孤独を癒やしていた。作者は校閲という仕事に価値を見いだしているようで、俺みたいな三流の校閲者は恥じ入るしかない。
川端康成の死をきっかけに文学に目覚めたミーナの代理で図書館に通ううち、朋子は司書に恋心を抱く。一方のミーナの初恋は、自社の飲料を週1回運んでくる青年だ。朋子と司書は本、ミーナと青年はマッチ箱で繋がっていた。ミーナは火を愛でる姫君で、一瞬に燃え尽きる儚さに病弱な自分を重ねていた。2人の少女が揃って夢中になったのがミュンヘン五輪の男子バレーボールで、偶然にも本作を読了した翌日、監督を務めた松平康隆さんの訃報を知る。
「ミーナの行進」は家族の親和性と緩やかな崩壊を描いた作品といえるだろう。後日談として阪神大震災についても記されている。俺ぐらいの年になると未来は限られているから、過去が持つ意味が大きくなる。セピア色に褪せ、深く沈んだ記憶が、ふとしたきっかけで熱を帯び滲み出てくる。これからも小川ワールドに触れ、郷愁と安らぎで乾いた心を潤したい。
年末年始は小川洋子の「ブラフマンの埋葬」(講談社文庫)と「ミーナの行進」(中公文庫)を続けて読んだ。映画「博士の愛した数式」は見たが、小説そのものは昨年発表された「人質の朗読会」に続き、2、3作目となる。
自分のブログを読み返すと、底意が芥のようにプカプカ浮かんでいるのに気付く。内面が汚れているから仕方ないが、小川さんの言葉は対照的で、深山の泉から湧き出る純水のように澄んでいる。濾過装置をいかにしてしつらえたのだろう。
まずは「ブラフマンの埋葬」から。山あいの村にある「創作者の家」には、様々な分野のアーティストが集ってくる。管理人の僕の元に、奇妙な生き物が転がり込んできた。犬、猫、リス、狸、それとも小型アザラシ? 碑文彫刻師により、「ブラフマン」(サンスクリッド語で謎)と名付けられる。
名の通り謎めいたブラフマンは粗相を繰り返しながら、僕と仲良くなっていく。彫刻師と一緒に見事な泳ぎっぷりに見とれているが、2人以外にとっては不気味な存在だ。とりわけ女性に評判が悪く、雑貨屋の娘とレース編み作家は、嫌悪と拒絶を隠さない。ブラフマンを可愛がる僕まで、人間性を疑われてしまう。
泉泥棒の登場から穏やかな日常にヒビが入り、僕とブラフマンのひと夏の友情は終わりを迎える。ブラフマンを僕の孤独、時間との遮断のメタファーと受け取ることも可能だが、俺の中で重なったのは宮沢賢治の世界だ。
「ミーナの行進」の主人公、朋子は1959年生まれで、作者より3学年上という設定だ。岡山育ちの朋子は父を亡くし、母は洋裁を生活の糧にするため、東京の専門学校で学ぶことになる。72年4月から翌年3月までの1年間、芦屋の伯母宅に預けられた朋子は、夢を形にした豪邸で、1歳下の従妹ミーナと多くの時間を過ごす。
共に暮らすのは飲料メーカー経営者の伯父、伯母、ミーナ、暗い記憶を秘めるユダヤ系ドイツ人のローザおばあさん、使用人の米田さん、コビトカバのポチ子、そして運転手の小林さんだ。朋子とミーナだけでなく、ローザおばあさんと米田さんも、双子姉妹のような絆で結ばれている。タイトルの「ミーナの行進」は、小林さんが引くポチ子の背に乗ってミーナが小学校に通う光景を指したものだ。
物語の背景になった1970年前後、この国で何が起きていたのだろう。傷痍軍人は街角から消え、戦争の爪痕は塗り潰された。高度成長と引き換えに、家族や地域から個という砂粒が零れ始める。そんな時期、日常の万般に通じた米田さんは、豪邸でビーズの糸の役割を果たしていた。
俯瞰なら幸せな家族も、問題を幾つか抱えている。最大の悩みはミーナの健康だが、夫婦の亀裂が空気を蝕んでいた。伯父には別宅があり、伯母は自分の殻にこもっている。「人質の朗読会」に校閲者が登場するが、「ミーナの行進」で伯母は、誤植探しで孤独を癒やしていた。作者は校閲という仕事に価値を見いだしているようで、俺みたいな三流の校閲者は恥じ入るしかない。
川端康成の死をきっかけに文学に目覚めたミーナの代理で図書館に通ううち、朋子は司書に恋心を抱く。一方のミーナの初恋は、自社の飲料を週1回運んでくる青年だ。朋子と司書は本、ミーナと青年はマッチ箱で繋がっていた。ミーナは火を愛でる姫君で、一瞬に燃え尽きる儚さに病弱な自分を重ねていた。2人の少女が揃って夢中になったのがミュンヘン五輪の男子バレーボールで、偶然にも本作を読了した翌日、監督を務めた松平康隆さんの訃報を知る。
「ミーナの行進」は家族の親和性と緩やかな崩壊を描いた作品といえるだろう。後日談として阪神大震災についても記されている。俺ぐらいの年になると未来は限られているから、過去が持つ意味が大きくなる。セピア色に褪せ、深く沈んだ記憶が、ふとしたきっかけで熱を帯び滲み出てくる。これからも小川ワールドに触れ、郷愁と安らぎで乾いた心を潤したい。
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