酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ブルックリン・フォリーズ」~人生の意味を問いかけるレクイエム

2020-10-05 22:04:05 | 読書
 史上最低の討論会に続き、トランプのコロナ陽性と、大統領選は混沌の極みで進行しそうだ。ヤジを飛ばすトランプにバイデンが気色ばんでいたが、世論調査に驚いた。49%がバイデン優位、10%が引き分け、41%がトランプ優位……。トランプ応援団が集まった会場は、トランプの不規則発言に大いに沸く。檄を飛ばされたプラウド・ボーイズ(白人至上主義者)も勇気づけられたことだろう。

 別稿(9月11日)で紹介した「ジョーカー」で印象的だったのは、アーサー(ジョーカー)が、「狂っているのは僕? それとも世間?」とカウンセラーに尋ねるシーンだ。アメリカ社会が正常の範囲なら、狂っているのは俺だ。ある小説が、ふと覚えた不安を取り除いてくれた。ポール・オースター著「ブルックリン・フォリーズ」(2005年、新調文庫/柴田元幸訳)である。

 オースターはユダヤ系作家を代表するひとりで、舞台は多くのユダヤ人が暮らすニューヨーク。9・11を数日後に控えた頃、物語は幕を閉じる。主人公は退職したばかりのネイサン・ウッドで、離婚と娘との確執、大病と問題を抱えており、死に場所として故郷のブルックリンを選ぶ。

 ブルックリンは移民たちが暮らし、多様性とアイデンティティーを尊重する街だ。中流階級、低所得者、ホームレス、野良犬が肩を寄せ合うダウンタウンで、自然も豊かだ。孤独な老後の気晴らしとして、自身の来し方を〝愚行の書〟に綴り始めたことが、鮮やかなラストに繋がっていく。ブルックリンを丁寧に描写す筆致に、オースターの街への愛情が滲んでいた。

 別稿で紹介した「猿の見る夢」(桐野夏生著)の主人公も59歳だった。「ブルックリン――」のネイサンも60歳前後で俺と同世代だ。自身を愚か者と見做し、自嘲的、自虐的に語る点には親近感を覚えたが、その実、格段の差がある。保険会社で辣腕を振るったネイサンは世知長けており、判断力と機動力を併せ持っている。

 人情が息づくブルックリンで、人生の奇跡が現出する。起点になったのは甥トムとの再会だった。に感嘆させられたが、起点になったのは甥トムとの再会だった。 トムは親族の期待の星で、研究者、大学教授として成功への道を歩んでいたが、突如ドロップアウトする。ニューヨークに流れ着き、タクシー運転手を経て書店員になったトムは敗者の匂いを纏う肥満した青年になっていた。

 ネイサンとトムに加え、強烈なキャラクターを持つ2人が物語の回転軸になる。ひとりはトムが勤める古書店「ブライトマンズ・アティック」の主ハリーだ。ゲイのハリーは、かつて絵の贋作を商売の糧にして臭い飯を食ったことがある。波瀾万丈の人生を謳歌する悪党なのだが、なぜか憎めない。ちなみに、物語の後半にはレズビアンのカップルが誕生する。

 トムの専門は文学で、ネイサンとハリーにも多少の蓄積はある。ポー、ソロー、カフカを遡上に載せた文学論を楽しめた。「緋文字」の作者ホーソーンが後半、二重の意味でキーワードになっていた。オースターの構想力、魅力的な登場人物の造形、ユーモアに溢れた語り口に感嘆し、今までなぜ気付かなかったのか不思議な気がした。

 もうひとつの回転軸はトムの妹レイチェルの娘で、ネイサンの姪に当たるルーシーだ。トムは道を外したが、レイチェルは軌道得から転がり落ちた。全米を放浪したレイチェルは、ルーシーを兄に託した。9歳の神々しい美少女は〝沈黙の行〟でネイサンとトムを困らせるが、次第に打ち解け、二人の心の灯台になる。ルーシーの〝愚行〟がトムに至福をもたらした。

 人を騙すのを習慣にしているハリーは、自らが掘った穴にはまり、裏切りに遭って非業の死を遂げたが、ネイサンの機転により緩やかで柔らかなエンディングに導かれる。大団円と思いきや、ネイサンは生と死の境界を彷徨うことになる。その経験で人生と言葉の意味に思い当たったネイサンは回復後、ある決心をする。9・11で亡くなった人々へのレクイエムを、時系列を前倒しに準備するのだ。

 枕で<アメリカ社会が正常の範囲なら、狂っているのは俺だ>と記したが、その思いをネイサン、トムと共有していた。両者は平均的なユダヤ人で、民主党支持者だ。共和党、ブッシュ、福音派教会は彼らの目に狂人の如く映っている。ネイサンとトムが生きていたら、トランプとネタニヤフが形成する〝悪の枢軸〟に愕然としているはずだ。

 ネイサンが綴っていた愚行の書を俺に当てはまれば当ブログとなる。ともに備忘録、遺書代わり、そして存在証明だ。体力的に更新するのは厳しいが、もう少し続けようと思う。
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