酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

観察映画「港町」が柔らかく抉る日本の真実

2018-05-14 21:33:24 | 映画、ドラマ
 安倍機関と揶揄されるNHKだが、ドキュメンタリーは秀作揃いで、当ブログでも折に触れて紹介している。直近では「透明人間になった私」と「プリ・クライム」(4月21日の稿)で、監視社会に警鐘を慣らしていた。

 〝事実の彼方にある真実〟を追求する点はドキュメンタリーと変わらないが、<観察映画>のテーゼを掲げる想田和弘監督の最新作「港町」(18年)をイメージフォーラムで見た。ドキュメンタリーは作意に基づいて進行するが、観察映画にシナリオはない。先入観を排し、製作過程で焦点を定めていく。

 通常のドキュメンタリー監督と想田が、国会で別々にカメラを回したら、どのような作品が出来上がるだろう。ドキュメンタリーなら安倍首相、麻生財務相、佐川前国税庁長官、柳瀬元秘書官らの答弁に様々な資料を挿入し、政官一体になった<悪の構図>を暴くだろう。想田なら二元論に囚われることなく、首相らの良心の崩壊を柔らかく抉るはずだ。

 前作「牡蠣工場」(15年)を岡山県牛窓町で撮影中、老漁師ワイちゃんと出会ったことが製作のきっかけになった。ちなみに「牡蠣工場」も観察映画だが、意外なほどシステマチックで、明確なテーマ性を感じた。3・11で東北から移住した一家、中国から出稼ぎにきた若者が世界の貌を炙り出していた。

 「港町」の撮影はワイちゃんの日常に接するうち計画性なく始まったというから、観察映画の真骨頂だ。ワイちゃんが取った魚が卸→鮮魚店→各家族、そして野良猫軍団に流通する過程を描くうち、想田は〝主役〟を発見する。「ワイちゃんは嫌い」と広言し、頻繁にフレームインするクミさんは、孤独を癒やすかのように能弁、お節介で事情通の老婆だ。

 本作はエンターテインメントの対極で、俺が見た回も観客は少なかった。作品に登場する50歳以下は、移住してきた男性ぐらいだろう。「牡蠣工場」で主役級だった白猫? が語り部役を担っている。他にも多数の猫が登場し、ネットで存在を知った猫好きの観光客が牛窓を訪ねているという。

 若い人は眠くなったに相違ないが、還暦を過ぎた俺には身につまされる内容だった。俺の理想の老後は、気持ちが通じるパートナーがいて話が合う仲間もいる、ネットで世界と繋がり文化的な生活も維持する……、といったところだが、先立つもの(お金)がない。40年近くキリギリスだった俺は下流老人確定だ。

 ワイちゃんは町を出て企業に勤めた娘と疎遠のようだ。牛窓に根を生やしているクミさんの友人は、子供たちに邪険にされていて、「一緒に入水自殺しようか」と話すクミさんに頷いている。そのクミさんは次第にヒートアップし、「自分は根無し草で本当の親を知らない。息子は盗まれて病院に収容されている」とカメラに向かって熱弁を振るう。元気そうに見えたクミさんだが、エンドロールで訃報を伝えていた。

 「牡蠣工場」にも感じたことだが、カメラを背負って接近する想田は、対象にとって自らと同じ目線の〝アマチュア〟と映るはずだ。だから、気取らない本音を語らせることが出来る。クミさんの語る来し方は、事実かもしれないし、孤独が育んだ物語かもしれない。でも、虚実を切り分けることにどんな意味があるだろう。クミさんの言葉は<紛うことなき<真実>なのだ。

 個々の営みの背景に、都会と地方との対比では済まない本質的な問題が存在する。牛窓の無数の空き家は、俺が暮らす中野区のシャッター街と根っ子で繋がっている。想田は声高に叫ばないが、〝板子一枚下は地獄〟を見据えている。

 客員教授としてミシガン大に招かれた想田は、カレッジフットボールを舞台に16年秋、学生たちと「ザ・ビッグハウス」を製作した。折しも大統領選の真っ最中で、トランプを巡る動きも描かれている。来月の公開が待ち遠しい。
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