酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「苦海浄土」~言霊で紡がれた鎮魂歌

2018-05-02 19:32:09 | 読書
 水俣病犠牲者慰霊式(1日)の後、「患者の救済は終わっている」と記者会見で発言したチッソ後藤社長が批判を浴びている。帰省する新幹線で「苦海浄土 わが水俣病」(石牟礼道子)を読了したばかりで、水俣病について知識は乏しいが、感想を以下に記したい。

 学生時代、本作を100㌻ほどで放り出した。エンターテインメントと真逆の重さに、脆弱な精神が堪えられなかったからだろう。隅っこで政治運動に関わっていた俺にとって、<抵抗>が抑え気味の本作が物足らかったことも、〝頓挫〟の理由だった。

 40年ぶりにページを繰るうち心が震え、涙腺が緩むのを禁じ得なかった。東日本大震災と福島原発事故、翌年の妹の死が、俺の感性をウエットにした。ノンフィクションの嚆矢、記録文学の極致である本作を、作者自身は<私小説>と見做している。通学先の水俣が石牟礼にとって<内なる世界>であることは、「わが水俣病」の副題が物語っている。

 谷川雁(詩人、活動家)が主宰する「サークル村」に加わった石牟礼は患者たちと同じ視線で接し、その心の裡を自らの言葉に託す。方言の力、そして詩人、歌人としての表現力が患者たちに〝聖性〟を付与し、清冽な魂を浮き彫りにした。

 患者たちの心身を壊したのはチッソの工場排水だった。魚が汚染され、それを食べた猫が踊るようになる。被害は人間に及んでいくが、患者の側に立つ者は少なかった。上記の谷川、宇井純らが支えたが、保守だけでなく、左派の組合も冷淡だった。足尾には田中正造、三里塚には戸村一作と、一揆指導者を彷彿させるシンボルがいたが、水俣にはリーダーがいなかったのだ。

 水俣がチッソの城下町だったこともあり、患者たちは孤立していく。踊る猫は見世物扱いで、患者の姿を嫌悪する市民が大半という状況で、差別意識が醸成されていく。沈黙を守り、発症を申請しない漁民もいた。安保闘争の際、デモ隊は通りかかった患者たちの行進に、「皆さんも参加しましょう」と呼び掛けた。その場にいた石牟礼は絶望を感じる。「私たちも水俣病の皆さんとともに闘います」となぜ言えなかったのかと……。

 池澤夏樹は「素晴らしい新世界」(2000年)で脱原発と再生可能エネルギーの可能性を俎上に載せた。3・11後、頻繁に被災地に足を運んだ池澤は、「春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと」(11年)に、<どうして自分がこんな目に」という恨み言と一切出合わなかった>と綴った。水俣病患者たちと通底する点もある。

 患者たちは東京からやって来る議員連中に期待し、「国会議員様」と呼んで惨状を訴えるが、実効はない。怒りを抑え切れず行った抗議が〝過激〟と見做され、他の市民たちとの溝を深める。患者と認定されても、補償と引き換えに生活保護を打ち切られ、さらなる貧困に沈む家族も多かった。行政の酷い仕打ちまで天災と受け入れる庶民の心情を利用する政府の〝棄民の伝統〟は、福島にも受け継がれている。

 民より官を、環境より成長を上位に置くのは日本だけではない。グローバリズムは世界中で自然とコミュニティーを破壊し尽くし、人間を蝕んでいる。だから上記の池澤は責任編集者として日本から唯一、「世界文学全集全30巻」(河出書房新社)に「苦界浄土」を選出した。

 患者たちのモノローグに言霊が宿り、人間の本質を問い掛ける。とりわけ心を打たれたのが母たちの思いだ。発症(胎児性中毒の赤ちゃんも含む)した幼児を慈しむ母の心は研ぎ澄まされ、子供の中に神を見て、同時に原罪意識に苛まれる。「苦界浄土」は祈りの書であり、レクイエムだ。石牟礼が提示した普遍かつ不変の真理は、今も踏みにじられている。

 冒頭に記した慰霊式で小学6年生の少女が寄せたメッセージに感銘を覚えた。長くなるが以下に引用する。

 <自分勝手な幸せを追い求めたことにより引き起こされた水俣病で、いわれのない差別を受けた患者、水俣出身というだけで心ない言葉を掛けられた人々。その苦しみは、想像できないほどつらいものであったに違いない。犯した過ちを心から反省し、被害を与えた自然や人々に心から償っていくことが今を生きる私たちに与えられた責任>(西日本新聞のホームページから)

 石牟礼の崇高な志を継ぐ若い世代に期待したい。
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