酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「尼僧とキューピッドの弓」~想像力と寓意に満ちた多和田ワールド

2018-05-18 09:48:04 | 読書
 ここ数日、気になるニュースが相次いだ。まずは訃報から……。最期までジャーナリストとしての矜持を保った岸井成格さん、野性味あふれるスタイルで歌謡界を席巻した西城秀樹さんが亡くなった。心から冥福を祈りたい。日大アメフト部の暴力行為については、稿を改めて記すことにする。

 エルサレム首都移転への抗議デモで、乳児を含む60人以上の死傷者が出た。ジェノサイドを告発する声を受け、国際司法裁判所が調査を開始する可能性がある。アメリカ&イスラエルの<悪の枢軸>への非難は今後、世界で広がっていくだろう。カンヌ映画祭でもベニチオ・デル・トロ(「ある視点」部門審査員長)らが抗議の意思を表明した。

 繰り返し記したが、ガザ無差別空爆(2014年)の際、観覧席に集まったエルサレム市民は火の手が上がるたびに歓声を上げ、乾杯していた。アウシュビッツのナチス将校に比すべきおぞましい光景を伝えたキャスターは翌日、CNNを解雇される。メディアにおけるユダヤ系の力は圧倒的で、真実が伝わらない仕組みが出来上がっている。

 「尼僧とキュービッドの弓」(多和田葉子著/講談社文庫)を読了した。当ブログでは「犬婿入り」、「雪の練習生」、「献灯使」、「容疑者の夜行列車」を紹介しているが、ドイツ在住の多和田は日独両方の言語で小説や詩を発表し、ノーベル賞候補と目されている。膨大な作品群で5作目だから、俺は初級の読み手に過ぎない。

 作品としての貌は異なるが、多和田と小川洋子に共通点を覚えている。年は近く、名前が〝ようこ〟というだけでない。「雪の練習生」(多和田)と「猫を抱いて象と泳ぐ」(小川)は想像力と寓意に満ちた内容で、ともに物語を神話の領域に飛翔させていた。

 「尼僧――」は2部構成で、それぞれ主人公は「わたし」だ。第1部「遠方からの客」は日本人作家の「わたし」(≒多和田)が小説を書くため短期間、ドイツ北部の尼僧修道院に寄宿するという設定になっている。第2部「翼のない矢」は駆け落ちした前修道院長の独白で、第1部で提示された不在の経緯が明かされている。<書く>をキーワードに、二人の「わたし」は重なっていく。

 修道院では厳格な規律の下、時に神学論争も闘わせる。外部と遮断され、尼僧たちはストイックに生きている……。そんな先入観と本院は懸け離れていた。「わたし」も歓迎されたし、尼僧の家族や元夫も自由に行き来している。ルーテル派に属していることも理由のひとつのようだ。

 尼僧たちは概ね60歳以上だ。夫と死別したり、離婚したりの女性が、老いたとはいえ官能の疼きを秘めながら共同生活を送っている。高齢女性のためのシェアハウスといった雰囲気だ。趣味も行動パターンも異なる。モーツァルトを大音響でかける人もいれば、アバの曲が主題歌なっている映画に「わたし」を誘う人もいる。

 「わたし」は尼僧たちにニックネームを付けていく。「透明美」、「貴岸」、「老桃」、「火瀬」、「河高」……といった具合だが、ドイツ文化に造詣の深い「透明美」さんと「わたし」の会話が第1部の肝になっている。ポッシュの「最後の審判」を論じるあたり、〝教養小説〟的な薫りがする。
 
 「透明美」さんは修道院を動かす力学を知悉している。院長として適任なのは、尼僧たちが不揃いであることを認めた上で、寛容の精神でまとめること。そして信仰の篤さより事務的な経験が求められる。前院長が選ばれたのは、若さだけでなく運営能力を期待されたからだ。

 第2部の「わたし」は、第1部の「わたし」が発表した作品を遠くカリフォルニアで読む。来し方を回想する彼女は奔放な女性だが、自分の人生を何かに操られていると感じている。日本の弓道を学んでいたが、自分は弓ではなく、放たれる矢であると見做していた。だから「わたし」は自分を取り戻すため、物語を綴る決意をする。

 第2部では、弓道をドイツに紹介したヘリゲルがナチス信奉者だったことが紹介される。史実に加え、仕掛けや修辞、謎がちりばめられていたが、その殆どを俺は見逃している、はずだ。多和田の作品に接していく過程で、読解レベルを上げていきたい。

 オークスの枠順が確定した。俺はもちろん、1番人気が予想されるPOG指名馬の⑬アーモンドアイを応援する。多和田ではないが、ア-モンドアイを日本語にしたらどうなるだろうと考えた。「扁桃愛」は平凡かな……。
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