酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ホワット・イズ・エルヴィス?

2006-07-15 16:48:21 | 音楽
 小泉首相は訪米時、会見場でニヤつきながら「ラブ・ミー・テンダー」を歌っていた。「勘弁してくれ」が大抵の日本人の感想ではなかったろうか。

 エルヴィス・プレスリーは俺にとって、マイナスイメージの塊だった。洋楽に興味を持ち始めた頃(60年代後半)には影も形もなかったし、エンターテイナーとして復活した後も、時代錯誤の印象を拭えなかった。

 先日スカパーで、42年の生涯を追ったドキュメンタリー「ジス・イズ・エルヴィス」が放映された。見終えてようやく、二つのエルヴィス像が結ばれた。第一は<白人解放者>、第二は<ショービジネスの悲劇の体現者>である。

 ケネディ兄弟、キング牧師、ムハマド・アリ、ボブ・ディラン、チャーリー・パーカー、チャールズ・ミンガス……。彼らは理性の力で公民権運動を主導する。黒人ミュージシャンの演奏を聞いて育ったエルヴィスもまた、体に組み込まれたリズムを武器に、無意識にドアを叩いていた。

 差別が根強い南部で、黒人のように歌い踊るハンサムな白人青年は、社会の構造を覆しかねない爆弾だった。腰の動きが黒人的という理由で、テレビは下半身を映さなかった。エルヴィスは危険な野生児だったが、次第に牙を抜かれていく。2年間の軍隊生活の後、ロクでもない映画に多数出演する。ビートルズの前に影は薄くなったとはいえ、名誉と富は絶大だった。<神話>の世界で悠々自適を楽しんでもよかったが、復活の誘いが掛かる。ロックと反体制が結び付いていた60年代後半、痺れを切らした保守派がエルヴィスを担ぎ出したとされている。

 70年代、エルヴィスは破壊し尽くされた。ツアーの連続で夫婦間にヒビが入り、精神的に不安定になる。死の3週間前(77年7月)、「マイ・ウェイ」さえカードなしに歌えなかった。性欲、食欲、睡眠を全て薬によって調節されていたという証言もある。政治的立場は異なるアリとエルヴィスだが、ともにショービジネスの悲劇を体現した。

 ビートルズがエルヴィス邸を訪ねた日(65年8月)、ジョンとの間に決定的な亀裂が生じたというのが<定説>になっている。エルヴィスのベトナム戦争肯定発言にジョンが噛み付いたとされるが、チョムスキーらの書物を読む限り、極めて怪しい。リベラルなボストンでさえ、反戦運動が起きたのは66年以降だ。恋人(後の妻プリシラ)の父が軍隊時代の上官である以上、エルヴィスが戦争反対を唱えるはずはない。だが、ビートルズにしたって、女王陛下から勲章をもらったばかりの<優等生>だ。エルヴィスの政治性を批判できる立場ではなかったと思う。

 エルヴィスのジョンへの憎悪は収まらず、後にFBIへの讒言、盗聴要請といった不幸な形に現れる。飼い慣らされた自身と比べ、セルフイメージを確立したビートルズへの嫉妬もあったのかもしれない。

 「ジス・イズ・エルヴィス」でエルヴィスの素顔と功績を知ることが出来た。悲劇性と無垢なイメージゆえ、世紀を超えても多くのファンの心をつかんでいるのだろう。我らが首相も、その中の一人なのだが……。

コメント (2)
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