酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

カルトという普遍性

2006-07-31 01:00:49 | 社会、政治
 「摂理」というカルトの実態が明らかになった。教祖の鄭容疑者は統一教会(=勝共連合)出身である。統一教会といえば、ダミー団体の集会(今年5月)に安倍晋三官房長官が祝電を送ったことが報道されたばかりだ。

 統一教会には様々な思い出がある。高校時代、学校中がひっくり返る大騒動が起きた。関東の大学に進学した卒業生たちが、まとめて統一教会に入信する。家族や先生が慌てて脱会を勧めたが、不首尾に終わった。俺も浪人時代、先輩に勧誘されたが、オリエンテーションに参加しなかった。余談になるが、予備校で親しかったO君は、後に宗教団体を興した。今や出版社という趣だが、当時のO君はオプティミズムに溢れた快活な好青年だった。

 進学した東京の私大では、原理研(統一教会の下部組織)がキャンパスを闊歩していた。大学当局、自治会、原理研が巧妙に棲み分け、共存共栄を図っていたのである。現状を打破せんと、統一教会と癒着した総長(当時)を糾弾する運動が起きる。俺も隅っこで参加したが、木っ端微塵に粉砕されてしまった。

 カルト視されていた統一教会だが、次第に政界に根を張り巡らせていく。故安倍晋太郎氏とは友好関係を保っており、30人以上の国会議員が統一教会員を秘書として採用していた(99年)。そういやO君の団体も故三塚博氏を支持していた。<福田派⇒安倍派⇒三塚派⇒森派>と続く清和会は、宗教団体と縁が深いようである。

 反共の砦を自任してきた統一教会だが90年代以降、金王朝と手を結び北朝鮮に進出するなど、複雑な貌を見せ始める。<思想(反共)より血(民族)>が文鮮明教祖の論理かもしれない。莫大な資産を有し、次期首相とも近い統一教会は、カルトどころか日本の権力構造の一翼を担う組織といえるだろう。

 「若くて優秀な者が何ゆえカルトに」……。「摂理」の件でも同じような論調が繰り返されている。統一教会も70年代、多くの東大生を集めたし、オウムも高学歴者の集団だった。明晰で論理的な人ほどカルトに染まりやすい。<内と外>、<味方と敵>、<正と邪>、<救済と破滅>……。カルトの教義は殆んど二元論に基づいている。俺みたいなファジーを好む人間はカルトに向かないようだ。

 年配のコメンテーターは「若者には免疫がない」と眉を顰めるが、過去を忘れてはいけない。敗戦までの日本は<天皇教>に洗脳されており、当時のナチスドイツ、現在の北朝鮮やイスラエル同様、<カルト国家>と映ったはずだ。「悪霊」に描かれた数人単位から国家単位に至るまで、カルトを求めるエネルギーは時空を超えて充満している。

 <外の正義>を超える<内の正義>に導かれて罪を犯すサラリーマンは、<会社カルト>の囚われ人だ。有名な高校野球の監督たちも大概、<カルトの親玉>の匂いを漂わせている。アイデンティーとは自立的ではなく、承認する集団が存在するからこそ成立する。だからこそ人は、<内向きの集団>を求めてしまうのだ。

コメント (2)
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