先月下旬、茨城県で「親殺し」が2件発生した。
誤解を恐れずに言えば、子はもっと巧みに親を殺すべきだった。「殺す」とは「支配を逃れる」、もしくは「距離を置く」ことの喩えである。親の側はもっと早く「死ぬ」(=呪縛を解く)必要があったのではないか。
俺は独り身のどこにも嵌らぬ欠片だが、お節介ながら憂慮している点がある。この国の親は、子にどんなビジョンを示しているのだろう。俺より下の世代にとって、唯一の神は資本主義だ。子に伝える言葉が「利」と「得」以外ないのなら、日本に未来はない。
お隣の韓国では、今も儒教精神が浸透している。敬虔なクリスチャンも多いが、釈迦の誕生日には報恩の意を込めパレードが催されている。「韓魂洋才」の精神が社会に根付いているように思える。
翻って日本では規範や理念が失われ、その結果、家族が崩壊した。「親殺し」の連鎖、頻発する「子殺し」、増加する一方の「ニート」、一日に100人弱の自殺者、年に数十万単位の失踪者……。根はすべて同じではなかろうか。
かつて日本中が憧れた「花田一家」は、欲望と憎しみにまみれ、修復不能の廃屋と化している。「理想の家族」を演じ続けてきた皇室一家も、皇太子や秋篠宮の発言が示すように、綻びを隠せなくなった。この国にはもう、「家族のモデル」さえ存在しないのだ。
経済が傾こうが軍事力で劣ろうが、大した問題ではない。日本の最大の課題は「絆=家族の再生」だと思う。旧に復するなら、その方法は? 新たな在り方を探るなら、その形は?
明確な答えを用意しないと、この国は早晩、根っこから腐って斃れてしまうだろう。
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