弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「お目こぼし」について

2011-06-08 21:28:37 | 歴史・社会
堺屋太一さんの「日本とは何か」という本があります。単行本は1991年発行です。まえがきによると、日本と日本人の特質について、歴史に遡って日本の由来と現実を見つめた日本の姿を描こうとする試みです。
日本とは何か (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


第一章 平成の日本
第二章 平和と協調を育てた「風土」
 └3節目 「お上」を信頼する平和な社会
   └5項目 「六公四民」も実質は三公七民  ※
第三章 学び上図の「気風」
第四章 令外(りょうげ)の官と生(き)なり文化を生んだ共通情報環境
第五章 文明を左右してきた資源と人口
第六章 最適工業社会の繁栄と限界

このうち、第二章の※の項に、今回のテーマである「お目こぼし」が述べられています。

江戸時代、農民は年貢をお上に納めます。私は四公六民、五公五民と覚えているのですが、この本では『教科書などでは「六公四民」といわれ、収穫の6割を年貢で徴収された」と書いてあるが、これはあくまでも建前であって現実ではない。』とまず書かれています。
建前は六公四民であっても、実際には、収穫高の3割が年貢、いやもっと少なく、全収穫高の23%程度だった、というのです。

代官は、その年の収穫高の測定をします。測定の方法は、一定の広さの田を試し刈りしてその年の面積当たりの収穫量を定める手法が厳密に定められているのですが、そこで「お目こぼし」をするのです。試し刈りには比較的不出来な田畑を選び、稲こぎはかならず百姓が行ってワラにかなりのモミを残させ、さらに取り出したモミをムシロの下に隠す機会を与えるのも代官の義務でした。わざと立ち上がって周囲の紅葉などをめでて目をそらし、重ね合わせたムシロの下にモミを隠させる、というのです。これにより、公的に把握する収穫高は実際の6割程度となるのが普通でした。
『各地に残る「悪代官」の実態は、こうした「温情」を欠き杓子定規に規則を適用した官僚のことである。』

しかし、このように「建前は厳しく、実態は温情で」という手法は、代官に強大な力を与えることになりました。『もし百姓たちが年貢について苦情をいうと、代官の方は、「それでは正確に測ってみようか」と開き直る手が残されている。正確に測れば、年貢が多くなるのは目に見えているので、百姓は黙るほかない。』
これでは、お代官様に対して絶対に刃向かうことはできませんね。
『一方では法定以下の租税負担にすることで「温情」を押し売り、他方では法定外の「御用」を申しつける。この伝統はいまでも広く残っている。』

堺屋氏はここにおいて、現代日本の特質(少なくとも1991年においては)である「行政指導」という官僚の恣意性が、こうした伝統に由来するものであることを示されたのです。

1991年にこの本を読んで以来、私の頭の中には「お目こぼし」が強く印象に残ったのでした。
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