弁理士の日々

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朝日新聞が入手した東電資料(ベント・注水難航)

2011-06-17 21:18:42 | サイエンス・パソコン
朝日新聞6月16日夕刊の1面トップに、
『ベント・注水難航~水素爆発で設備破損/弁開放に1時間~福島第一 東電資料に詳細』
という記事が載りました。asahi.comにも以下の記事があります。
ベント・注水に難航…福島第一の経過、東電資料に詳細
2011年6月16日15時0分 asahi.com
『東日本大震災で被災した東京電力福島第一原発で、全電源が失われた後に実施された原子炉格納容器のベント(排気)と、原子炉への注水をめぐる詳細な経緯が、朝日新聞が入手した東電の内部資料で明らかになった。原発を統括する吉田昌郎所長が、全電源喪失から1時間半後、炉心損傷などの過酷事故に至る恐れありと判断して指示を出したが、作業は思うように進まなかった様子が浮かび上がった。
 ・・・・・
東電は中央制御室に残っていたデータを分析し5月に結果を公表したが、ベントと注水の経過については、経済産業省原子力安全・保安院に報告したうえで、6月15日の会見で公表する予定としていた。しかし、複数の関係者によると、公表について官邸側の了承が得られず、会見直前になって見送られたという。
今回の資料は今後、福島第一原発事故の原因究明や事故対応を検証する「事故調査・検証委員会」にも提出される見通し。(板橋洋佳、西川迅) 』

記事の書きぶりからすると、朝日新聞が独自に入手した東電資料に基づいているようです。記者の署名には、6月4日に「水素爆発とベントの関係」で話題にした記事と同様、板橋洋佳記者の名前が挙がっています。

上記asahi.comの記事にはさわりの部分しか記述されていませんが、朝日の紙面では、1~3号機それぞれについて、東電資料を読み解いて細かく時系列で「そのとき何が起きていたか」を述べてくれています。

例えば1号機。
震災当日である11日午後4時半ごろには原子炉の水位など内部の様子が確認できない状況に陥り、福島第一原発の吉田昌郎所長は、過酷事故に至る恐れがあると判断。午後5時12分、過酷事故対策として設置した消火系配管や消防車を使った注水方法の検討開始を指示しました。
しかし、その夜には放射線量が上昇して原子炉建屋への立ち入りが禁止に。実際に消火系配管から淡水注入を始めたのは半日後の翌12日5時46分。淡水が底をつくと、午後2時54分には海水注入に切り換えるよう所長が指示しました。
しかし、午後3時半過ぎに1号機原子炉建屋で爆発が発生。爆発の影響で準備していた電源設備や海水注入用のホースなどが破損して使えない状態になりました。残念なことです。

2号機、3号機についても、上記1号機同様、福島第一原発の現場でどんな検討がなされ、どのように準備し、実際にはどのように経過したか、という点について時系列で記述されています。

気になるのは、朝日新聞の記事で述べているように、今回の記事で公表されたベントと注水の経過については、6月15日の会見で公表する予定としていたにもかかわらず、公表について官邸側の了承が得られず、会見直前になって見送られたということです。
官邸はなぜ待ったをかけたのでしょうか。
われわれは震災直後、「東電が海水注入やベントを渋る中、管総理の力で対策を推し進め、そのおかげで大惨事に至らなかった」という報道を耳にしていました。そのイメージと反する実態が明らかになるのを嫌ったからか、とうがった見方をしてしまいます。

また、朝日の板橋洋佳記者は、どのような取材ソースを持っているのでしょうか。
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