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5月23日東電報告書(5)3号機

2011-06-13 21:10:34 | サイエンス・パソコン
東電が5月23日に公表した「東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について」を読み解いています。

今回は3号機です。

主蒸気逃し安全弁(SRV = Safety Relief Valve)
原子炉隔離時冷却系(RCIC = Reactor Core Isolation Cooling system)
高圧注水系(HPCI)

原子炉で発生する崩壊熱を全電源喪失後でも冷却するシステムとして、福島第1の3号機では、2号機と同様、隔離時冷却系と高圧注水系が設けられていました。隔離時冷却系と高圧注水系はいずれも、圧力容器内の高圧蒸気の力によってタービンを駆動し、タービンに接続されたポンプによって圧力容器内に水を供給します。水源は復水貯蔵タンクまたは圧力抑制室内の水です。

《地震直後の3号機でわかっている事実》
地震発生の14時48分、主蒸気隔離弁が閉となって原子炉が隔離され、隔離時冷却系が手動起動されました。隔離時冷却系作動により圧力容器内の水位が上昇するため、水位を所定のレベルに維持する目的で、隔離時冷却系は何度か手動オン/自動オフを繰り返しました。
3月12日11時36分、隔離時冷却系が何らかの原因で停止します。これにより圧力容器水位が低下し、同日12時35分、高圧注水系が水位低下により起動しました。
高圧注水系も13日2時42分に停止しました。
同日9時8分に主蒸気逃がし安全弁を「開放」とし、圧力容器圧力を1気圧近くまで下げました。そして同日9時25分に消火系ラインからホウ酸を含む淡水注入を開始しました。13時12分に淡水注入から海水注入に切り換えました。
同日9時20分から格納容器ベントを開始し、3月20日まで断続的にベント実施の記録がされています。
3月14日11時1分、原子炉建屋が水素爆発しました。

この間、不思議な現象が起きています。
圧力容器圧力は、隔離時冷却系が動いている間、7MPa[abs]程度を維持しています。燃料棒の発熱で蒸気が発生するのに対し、主蒸気逃がし安全弁を圧力調整弁として働かせ、蒸気を圧力抑制室に逃がすことによって圧力を一定に保持しているのです。ところが、隔離時冷却系が停止して高圧注水系がスタートした直後、圧力容器圧力は急減して1MPa[abs](10気圧程度)に急減します。そして高圧注水系が停止したらまた、圧力は急上昇して元の圧力に戻るのです(図3.3.1.2.)。その同じとき、格納容器圧力は上昇するどころかこちらも圧力が低下しています(図3.3.1.3.)。
この不思議な現象を説明するため、東電報告書では、「高圧注水系(HPCI)の蒸気配管に漏洩があり、圧力容器内の蒸気が格納容器外へリークしたと仮定すると実績と良く一致する」と述べています。このような仮定を置いたシミュレーション結果が、図3.3.1.10、図3.3.1.11に示されています。圧力容器圧力(シミュレーション)は、高圧注水系作動中に急減少しており、一方で格納容器圧力はこの期間中は増加せずに一定値を維持しています。

この不思議な現象とそれを説明するための上記仮説については、以前新聞の一面記事にもなりました。
圧力容器の蒸気が格納容器外にリークしていたとされる時期は、3月12日12時半から13日2時42分までです。ちょうど1号機の建屋水素爆発が起きた時期ですね。われわれが1号機の水素爆発に目を奪われていたそのとき、実は3号機の圧力容器から発生する蒸気の全量が外に漏れだしていたというのです。半日以上にわたって。
しかしそうだとしたら、3号機建屋から蒸気の白い煙が舞い上がっているのが発見されて良さそうですが、そのような情報はあったのでしょうか。特に、70気圧以上の高圧蒸気が一気に抜けたとされるのは12日12時半、真昼です。(この段落 6/14 23:30追加)
この蒸気漏出は、放射能の放出を伴ったのでしょうか、それとも放射能放出は非常に少なかったのでしょうか。今回のシミュレーションにおいて、3号機の燃料棒露出が始まるのは、高圧注水系が停止した3月13日以降です。それまでは燃料棒は水中に浸漬していたという前提です。そのような状況であれば、圧力容器から漏出する蒸気には放射能はほとんど含まれていない、と仮定してよろしいのでしょうか。
たしか3月13日頃、双葉町から避難してきた人たちが放射能に汚染されているというニュースがありました。今までは、1号機水素爆発による放射能であろうと推定していたのですが、本当にそうなのか、3号機高圧注水系からの蒸気漏出も放射能汚染原因の一部になったのかどうか、その点が気になるところです。

高圧注水系が作動していた期間、本当に圧力容器内の水位は燃料棒上端より上にあったのでしょうか。図3.3.1.1によると、この期間は水位のデータがほとんど記録されていません。唯一、12日20時頃にデータがあるのみです。このデータは水位が高かったことを示していますが、本当にこのデータを信用して良いのかどうか。

高圧注水系が3月13日2時42分に停止して炉心冷却機能を喪失し、同日9時25分に消火系ラインから淡水注入を開始し、13時12分に淡水注入から海水注入に切り換えましたが、注入量は燃料棒を水で浸すには足りず、すぐに炉心損傷が始まりました。
そして、「注水量は、燃料棒の下端以下の水位が維持できる程度でしかなかった」とする【その2】の仮定のもとでは、「地震発生後66時間で圧力容器破損」という結論に至っており、この点では2号機と同様です。

「主蒸気逃がし安全弁を開放にして圧力容器内圧力を1気圧程度まで下げていたにもかかわらず、なぜ消防ポンプによる海水注入で十分な量の水を注入できなかったのか」という点については、2号機と同様、謎のままです。

1号機では、地震後18時間に格納容器にφ3cm相当の穴が開いての漏洩を仮定し、50時間後にφ7cmの穴が開いての漏洩を仮定することにより、格納容器圧力についてシミュレーション結果と実測値を一致させました。また2号機では、圧力抑制室付近で爆発音が聞こえて圧力が急減した時点で格納容器に穴が開いたこととしています。
それに対し3号機では、格納容器の破損は仮定の中に入っていません。そのことは、実際に3号機の格納容器が、少なくともシミュレーションの終期である3月18日までは、破損していなかったことの証左になるのでしょうか。図3.3.1.11にあるように、3号機は13日から15日にかけて何回もベントを行い、それが成功して格納容器圧力が都度低下したことになっています。それぞれのベント時の弁開度を、格納容器圧力実測値に合致するように決めているとしたら、実は格納容器に穴が開いていたかどうかをシミュレーション結果から推定することは困難と言うことになります。
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(参考)4号機水素爆発メカニズムの推定 (xls-hashimoto)
2011-06-14 23:17:47
(参考)4号機水素爆発メカニズムの推定
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/images/handouts_110515_02-j.pdf

東京電力は、5月15日付けでこのような資料をハンドアウトとして作っていました。
私は、今日初めてみました。
突然、検索に引っかかってきました。

この絵には、残念ながら3階のダクト図・部屋割り・吸い込み口が記されていません。
3階の吸い込み口は、汚染される可能性のある部屋の中に設置され、部屋を負圧にし通路側には出ない様にしています。
逆流していった水素ガスは、3階の小部屋→4階の両側通路→5階全体と充満していったと思われます。

水素爆発も、この順番で起こったと思われます。。
1.3階東側の小部屋(3階の海側の壁が飛びました)
 次の写真は、3階海側から煙が上がっている様に見えます。
http://www.digitalglobe.com/downloads/featured_images/japan_earthquaketsu_fukushima_daiichi_march14_2011_dg.jpg
2.4階の両側通路(4階は南側に細い通路があり、東西の通路をつなげています)
 次の写真は、4階西側の通路・M-Gセットエリアです。
http://www.tepco.co.jp/en/news/110311/images/110611_05.jpg
 4階の爆発の風圧が、大物搬入口の壁を太鼓腹に破壊したと思います。
3.5階全面

1・3号機もこのようなダクトの引き回しになっており、ベント配管もSGTSの前につながっています。
(あとで付けた耐圧ベント配管は、単独でスタックに行っているとの情報がありますが、わかりません)

4号機がこれで爆発したのなら、1・3号機も爆発するのが納得できると思います。
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