弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ノイスのIC発明と弁理士

2006-09-26 00:17:21 | 弁理士
ショックレーは、トランジスターを発明した3人のうちの一人です。ショックレーがカリフォルニアはパルアルトにショックレー研究所を創設する際(1956年)、ロバート・ノイスとゴードン・ムーアもショックレーから声を掛けられて参画しました。
しかし、ノイス、ムーアそれにジャン・ヘルニーを含む8人の科学者は、ショックレーのやり方に反発して飛び出し、フェアチャイルド社からの投資を受けてフェアチャイルド・セミコンダクターを創設します。

1958年、シリコン半導体を用いたトランジスターについて、トランジスターを汚染から守るため、ヘルニーがアイデアを出します。シリコントランジスターの表面にシリコン酸化物の絶縁層を置くというものです。この方法は「プレーナー・プロセス」と呼ばれることになります。
このアイデアを特許化するに際し、関与した弁理士がノイスを啓発し、その結果としてICの発明が完成した、という有名な話があります。以前、日経新聞にゴードン・ムーアが「私の履歴書」を連載した際、そのエピソードが語られ、私の記憶に残りました。
しかし「チップに組み込め!」には、日経新聞の記事よりも詳しく、このときのエピソードが語られていました。

以下、引用します。
「ノイスはただちに、会社の弁理士のジョン・ロールズを呼んで、特許権申請書をまとめあげた。ロールズはこのプレーナーのアイデアはエレクトロニクスの他の面でも応用がきくのではないかと見て取り、申請を最も一般的なかたちのものにしたかった。そして、ノイスに、インテルは申請の内容をできるだけ広範なものにすべきだと語った。このことについて話し合うたびに、ロールズは挑発的にこう言うのであった。『このアイデアを使って何かほかのことができないかね?』
 いま振り返って、ノイスは自分を精神的な溝から押しだしてモノリシック・アイデアとなった洞察への飛躍をうながしたのが、ほかならぬこの弁理士の質問だったことをはっきりとさとるのである。何かほかには? 何かほかのことができるのでは? 1959年の最初の数週間、ノイスはこの問題をじっくりと考え、ノートブックに図を描き、思慮深い友人のゴードン・ムーアと何時間も話しあった。
 ・・・・・
 ある日、ノイスはムーアのオフィスに入って行き、黒板を使って、1個のシリコン片の酸化物の上にプリント配線をして2個のトランジスタがつなげることを示した。数日すると、彼はまた黒板のところにやってきて、同じシリコン片のドープされないシリコンのチャネルを抵抗器として使えることをムーアに示した。さらに数日後、黒板にシリコン・コンデンサの図を描いてみせた。どれも全く新しいアイデアだったが、ムーアからはとくに異論が出なかった。
 1959年1月23日、『あらゆる断片がすべて組み合わさった』。そして、ノイスは自分の実験用ノートの4ページを集積回路の驚くほど完全な記述で満たしたのである。」

このような形で弁理士が発明を完成する手助けができたら、弁理士冥利に尽きるというものです。私も弁理士ですから、いつかはこのような力を発揮したいものです。

次回はICの最先発明者は誰か、について書きます。
コメント
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