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Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

テーマ

2025年02月10日 | Weblog

教育を通しての日本再興。

それが私の人生のテーマです。

1人1人がしっかりした人物に育つよう心血を注ぐこと。

影響力は小さくとも、あと数年で、その道を作りたいと思います。

政治家も経営者も教育者も役人もマスコミ人も、教育によってその価値観が築かれていっています。今まで失われてきたものは何だったのか。

私は私なりの考えとやり方で進んでいきます。

 

 

 

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都合良く

2025年02月09日 | Weblog

「都合よく使われている」などという唾棄すべき言葉があります。自身の人生や仕事に対する「定見」が無いから出てくる言葉なのだろうと思います。ちなみに私にはそんな意識は全くありません。都合よく使われている覚えもありませんし、都合よく誰かを使った覚えもありません。

見方によっては、私も都合良く使われていることが多々あるのかもしれません。しかし、私は私のやりたいことに邁進しているだけですから、何の問題もありません。損しているどころか、むしろ得ばかりしていると思います。有り難いなとしか思えませ。困難なことも自分の成長の糧だと思えば何でもありませんし、感謝しかありません。

とにかく「教育をより良いものにしたい」という思いに呼応してくれた人と共に、私は歩みたいとは思いますし、私に出来ることは限られていますが、その恩に応えたいといつも思っています。それはとても幸せなことだと思います。

世の中を「個人のお金」とか「個人の時間」とかいう個人的損得の物差しでしか見られないことは哀しむべきことだと思います。私にはお金はありませんが、神様から平等にいただいた1日24時間の時間はあります。その時間を人生の目的意識のもとに精一杯大切に使っていくだけです。それが人間にとっての本当の幸せなのではないかと私は思います。

ただ、人の価値観はそれぞれですから、どう思われようと私はかまいません。ただ、「都合良く、云々」という言葉には、できるだけ触れたくないものだと思います。精神の貧しさに触れた思いになって哀しい気持ちになるからです。

 

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バッカーズ寺子屋の教育

2025年02月07日 | Weblog

バッカーズ寺子屋の教育は、なかなかお伝えしにくい内容です。ただ、入塾されたお子様の兄弟姉妹はかなりの確立で入塾してくださいます。それが何よりの寺子屋への評価だと思っています。

この寺子屋のことを少しでもお伝えしようとすれば、次のような表現になります。まず、プリンシプル(人としてのあるべき行動の原理原則)を学び、身につけていきます。次に、年6回の経営者講話、年6社の企業訪問、年3回の合宿、年2回のスピーチコンテスト、テーブルマナー、『論語』の素読、時事問題、様々なことを学びます。結果として何が得られるのかと言うと、聴く力、書く力、話す力、読む力が向上し、考える力が成長します。また、人間がしっかりします。将来のことを考えるようになっていきます。勉強は教えませんが、多くの塾生は成績も上がっているようです。

・・・とまぁ、こんな具合ですが、漠としていてよく分からないと思います。そもそも世間で使っている単語の意味というか、言葉の実態が違います。例えば、「スピーチ」という一言のニュアンスが違いますし、「聞く」という言葉のニュアンスも違います。「バーベキュー」や「釣り」という言葉の示している意味も違っていると思います。

だから、まずは入塾説明会にお越しいただけたらと思います。フォトムービーを見ながら説明いたします。ただし、塾生たちも入塾してしばらくは、何を学んでいるのか分からないことだらけだそうですから、塾生たちの、卒塾時の感想レポートをお読みいただけたら、寺子屋のことが一番よく分かるのではないかと思います。

バッカーズ寺子屋では、小中高の12年間しか役に立たない教育ではなく、50年以上、その人の生涯に役立つ本物の学びを生み出していこうと考えています。

本当に、思っている以上に、楽しく気さくな、そして真剣な学び舎だと思います。敷居は高くありませんので、お気軽に入塾説明会にご参加下さい。

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勤勉ということ

2025年02月04日 | Weblog

かつて日本人は勤勉であると言われていました。正直で、礼儀正しく、正義感が強く、時間に厳格で、勤勉であると。これが日本の強みになっていたのだと思います。

この一週間で、私は別の人からそれぞれに「日本人は働かないと言われている」という言葉を耳にしました。海外での評価です。そんな人ばかりではないとは思いますが、もう一度、自分自身を鏡でよく見て、反省してみた方が良いと思います。

全体の評価はそれとして、「私はどうか。」ということを常に思う必要があると思います。「○○さんは勤勉だ。」と思われるところから始めるしかないのです。私は、まだまだ努力が足りません。過去の先人たちのように勤勉でもありません。しかも、自分には能力が無いのだから、もっと頑張ろうと思います。勤勉であろうと思います。

「日本人は勤勉である」という言葉はもう過去形でしかありません。「勤勉であった」に過ぎないのです。懸命に働き、懸命に子育てをし、懸命に親の面倒を見ていた日本人はもういないのです。歯を食いしばって頑張り、未来の子どもたちに少しでも良い社会を手渡そうと思っていた、我慢強く強くて優しい日本人たちはもういないのです。

でも、きっと隠れたところにはいらっしゃるのだとも思います。だから、私も及ばずながら、そうした生き方を貫こうと思います。

 

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志は気の帥なり

2025年02月03日 | Weblog

「志は気の帥なり」孟子の言葉です。「帥」は「統帥」の「帥」ですから、「志」はあらゆる気を率いているもの、指揮統率しているものだというのです。

「気」を使う言葉は様々にあります。元気、根気、本気、気力、気迫、活気、気概、覇気、etc.

「気」という言葉自体、人間の諸活動に大きな影響があるものです。というより、人間存在の本質に近いものなのかもしれません。辞書には、「生命・意識・心などの状態や働き。」という説明から、「天地に生じる自然現象。」「あたりに漂う雰囲気。」まで様々な説明があり、広範な意味を持つ言葉だということが感じられます。

社会全体から活気が失われていくということは、個人個人の「気」が衰えているからなのかも知れません。そして、それは1人1人に「志」がないからなのかもしれません。

元気には様々なものがありますが、「乱痴気騒ぎ」を起こす若者も元気と言えば元気です。しかし、それは「気」の使い方を誤っているに過ぎないのではないかと思います。所詮、それは、自分の欲望のため自己顕示欲のための、刹那的私利的元気に過ぎないのです。だから他人に迷惑をかけて恥ずる所が無いのです。

タイパ、コスパが大事だという価値観も「自分のための」という言葉が頭につくのだと思います。お金や時間を、これまでお世話になった人や、社会のために使うという思いは実に希薄だと感じます。

こう考えると、「夢」という言葉は個人的な欲求を満たすものとしても使える言葉であるけれど、「志」は「人々のため」という、私利ではなく義のためにというニュアンスを含む言葉であるということに関連があるのだと思い至ります。

「志」がないから、つまり「気の帥」がいないから、「気」の使い方が分からずに、「無気力」であったり、「気を違え」て乱痴気騒ぎを引き起こして、人に迷惑をかけたりするのだということです。

紀元前に孟子が語った「志は気の帥なり」という言葉を知る人もなく、ましてや深く理解しようという人もほとんどいなくなった現代、私は今の人間が昔よりも立派になったなどとは到底思えないように感じます。

だから私は地道に「志の教育」の大切さを説き続けていこうと思います。そのためにも孔子や孟子の教えと、それを学んだ吉田松陰などの日本の先人たちに学び続けたいと思います。

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