バッカーズ寺子屋の教育を作ってきた前提として、強い危機感があります。活力無くスマホばかり見ている子どもたちの姿があり、言語力や思考力も低下している姿をよく目にします。一方には目的意識もなく漂うように生きる大人たちの姿があり、勉強も仕事も「やらされる」人々の姿があり、日本という国自体が地盤沈下し、海外での日本のプレゼンスは下がっていく一方なのに、相変わらずの教育や政治は、時代に適応し、ちゃんとやってますと言うばかり。
点数が取れて頭が良くとも、面倒くさいことを避け、改革を先送りし、自分の損得しか考えない人たちではどうにもならないのです。だから私は、多勢に無勢だと知りつつも、社会をより良いものにするための教育を実践し続けます。
ただ、渋沢栄一のように、義利合一、義利両全ということは思っています。私利は否定しませんが、やはり義という社会的正義を大切にしなければ、国は衰退して、人心は乱れていくばかりなのだろうと思います。