Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

お盆の迎え

2020年08月12日 | Weblog
明日はお盆の迎えです。

考えてみれば、これは祖霊信仰と仏教が融合した日本人らしい感性の発露であって、いわゆる純粋な仏教でもなければ、神道でもありません。

こうした曖昧さというか、寛容な精神は、日本独特のものなのかもしれません。八百万の神を信じているわけですから、一神教とは全く違います。

一神教は、なかなか異なる神を受け入れてくれませんが、多神教の私たちは、「一人ぐらい増えても、ま、いっか。」という感覚です。

そして、山にも川にも海にも、木にも虫にも魚にも動物たちにも、全て魂が?仏性が?神が?宿っていると考え、命を大切にし、敬う心を持とうとするのです。

亡くなった祖先も、お盆には、お家に帰ってきます。どんだけ家が好きなのか(笑)とも思いますが、そこに日本の原点があるのかもしれません。

亡くなった父や母や祖父や祖母に、家に帰ってきて、共に過ごして欲しいと願う心が、お盆という行事を支えてきたのだろうと思います。

この美しい風習がいつまでも続くことを願います。それは、美しい心が受け継がれていくことに他ならないからです。
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難しい状況

2020年08月11日 | Weblog
①経済活動は人が動き関わり合うことですから、当然感染リスクが生じます。
②感染しないためには、人が動かず関わり合わないことが大切です。

両者は、相反することです。
しかし、どちらも成り立たせたいのです。
そうすると、政府のやり方はだんまりになるしかありません。

なぜなら、次のような図式だからです。

①経済活動について積極的なことは言えない。
なぜなら、感染を増加させることに加担することになるから。

②StayHomeについて積極的なことは言えない。
なぜなら、経済が崩壊することに加担することになるから。

責任ある立場であれば、どちらも軽々しくは言えないと思います。
国の無策を詰るのは簡単ですが、結局は、国民一人ひとりが深く考え、リスクを取って行動するしかないのだと思います。
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ファイト!

2020年08月10日 | Weblog
「ファイト」という歌があります。
中島みゆきの作った歌ですが、吉田拓郎が歌っているのも、心にしみます。
青春時代に聴いた歌は、心に残っていくものなのかもしれません。
YouTubeで聴いてみて下さい。


「あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字は とがりながらふるえている
ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる

私 本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私 驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく

勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ

ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

ファイト!」

https://www.uta-net.com/song/13307/



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広瀬淡窓・咸宜園

2020年08月10日 | Weblog
久しぶりに日田の咸宜園に行ってきました。

血気盛んな松下村塾に較べて、温厚篤実な感じがしていて、あまり魅力を感じていなかったのですが、ここに来て、その認識を改めています。

門弟3,000人とも5.000人とも言われる咸宜園ですが、文化2年(1805年)に、広瀬淡窓が豆田町にある長福寺の一角を借りて、教え始めた時には、広瀬淡窓とたった二人の門人しかいなかったそうです。

たった二人でも始める強さに私は心惹かれます。

ちなみに、咸宜園の咸宜とは、「みなよろしい」という意味で、門下生一人ひとりを大切にする考え方が込められています。

入門時に①年齢、②学歴、③身分を問わないとする「三奪法」は、ずっと前から私の心に残っている考え方で、バッカーズ寺子屋での指導の考えにも大きな影響を与えてくれました。

「鋭きも鈍きも共に捨てがたし 錐と槌とに使ひ分けなば」。
これは、広瀬淡窓の有名な言葉です。

「人間には、鋭い者ものもいれば、鈍い者もいる。しかし、鋭い錐にも、鈍い槌にも、それぞれにきちんと道具としての役割がある。同様に、人間にもそれぞれの役割が必ずある。」
これも教育に携わる者としては、本当に大切なメッセージだと思います。

また、淡窓の指針は「敬天」でした。人間は正しいこと、善いことをすれば、いつか天から必ず報われるというのです。

この敬天思想にも、私は同感ですし、更に、広瀬淡窓の教育思想に迫りたいと思います。
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ON-LINEミーティング

2020年08月07日 | Weblog
ON-LINEミーティングの機会が増えました。

だいたい、相手は会議室で複数、私は応接に一人という環境です。

画面を見ながら、皆マスクしてるのに、私はしなくても大丈夫かなぁと思わず思ってしまう、愚かな私がいます(笑)。
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企業研修

2020年08月06日 | Weblog
企業研修には、ざっくり言うと二つの方向性があります。知識やスキルを獲得する研修と、心の持ち方や考え方を磨く研修です。

後者は、目標設定を核としたもの、モチベーションアップを核としたものが主流ですが、私はそれだけでは足りないと思っています。

なぜなら、歴史上の偉人たちは、決して、そうした手法に頼ってきてはいません。そこには、それぞれの志と、哲学がありました。

人間には哲学が必要ですし、文化、歴史、芸術といったものに対する深い造詣も必要だと思います。それを無視して効率を大切にしてきたのが戦後の資本主義社会だと思います。

そこに、利己主義が蔓延し、過去の歴史と未来の社会を洞察する深いまなざしが失われていく要因があったのだと思います。

人間が薄っぺらなままで目標設定の手法を使ったところで、また、モチベーションアップを図ったところで、すぐにメッキははげるしかないのです。

環境を破壊し続けてきた弱肉強食の資本主義経済は、もうすぐ終焉を迎えるのかもしれません。資本主義に論語の考え方を入れてきた渋沢栄一の慧眼にこそ、私は学びたいと思います。


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何とかしたい

2020年08月04日 | Weblog
警察官の不祥事やら、政治家の売国的行為やら、マスコミや野党の無責任な批判やら、突然人を殺してみたりやら、本当に日本は大丈夫かなぁと思うことが続いています。

やはり、子どもの頃に、基本的なことを教えておかなければならないのだろうと思います。未来の子どもたちが大きなツケを払わなければならなくなるのは、あまりにも申し訳ない気がします。受験勉強と薄っぺらな道徳教育だけでは心が育たないのでしょう。

利己主義ばかりが幅をきかせ、国を守る気概も、祖先への感謝も、未来の子どもたちへより良い社会をのこそうという思いも、失われつつあるのでしょうか。

利己的な心が、このような社会を少しずつ少しずつ作り上げてきたのだと思います。シロアリが少しずつ家の土台を食い荒らしていくように、日本という国の土台もだいぶ食い荒らされているのだと感じます。

どこまで落ちれば、改善の意志が芽生えてくるのか。気づいた人間から行動を起こすしかありません。もっと能力があり、もっと影響力があれば良いのにと思いますが、できることをやるしかありません。

ほんのちょっとしかできなくてごめんなさい。



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書庫

2020年08月04日 | Weblog
久しぶりに、自宅の書庫を整理しています。エアコンのリモコンも壊れていたし、20年ほど時が経っているので、取り替えました。

この書庫からVision&Education,Ltd.という私のささやかな会社はスタートしました。創業の地を今一度大切にしようという思いと、オフィスと併せて、増えすぎた本をどうにかしなければという思いで、整理整頓に着手しています。

古い本を見ていると、色々な記憶が蘇ってきます。同時に、読書傾向は変わっていないかなぁという思いもあります。退職して落ち着いたらじっくりと読んでいきたいと思った本や資料もあります。

しかし、人生はいつ終わりが来るか分かりません。

一日一日を、「今日を最後の日として生きよう」と思って生きていきたいものです。(なかなかそうはいかないものですが・・・。)

まずは、エアコンが新しくなって、快適な環境で、仕事に打ち込みたいと思います。

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失ってみて

2020年08月03日 | Weblog
人は失ってみて、初めて、気づくことが沢山あります。

いかに自分がこれまで多くの人に支えられていたか。
いかに他人様のお世話になっていたか。

何気ない日常がいかに幸せな時間であったか。
自由に移動できることがいかに素晴らしいことであったか。
忙しくとも仕事があることがいかに有り難いことであったか。

不平不満や愚痴ばかり言っていた自分は、
多くの恵みに気づくことのできない自分であり、
それがいかに愚かなことであったか。

こうしたことを経験して、人として成長しなければ、社会の進歩はないと思います。

全ての人が幸せに生きられる社会を、教育を通して実現したいと思います。

ただし、幸せとは、自分が何を幸せと思うかを考えていなければ、手に入れられないものなのかもしれません。一人ひとり、望むものは違うと思うからです。
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手紙

2020年08月02日 | Weblog
古い手紙を処分しようと読み返していたら、捨てられない手紙にたくさん出会いました。

本当に心がこもっていて、結婚の報告、イベントの感想とお礼、問題が起きたとき残念な思いを綴ってくれたもの、生徒の一人語りのような手紙、様々な思いが綴られていて、当時の色々な思いが蘇ってきました。

そして、この手紙に、いや、この手紙の思いに、十分に私は答えていたのだろうかと考えさせられました。考えさせられ、反省させられたという方が正しいと思います。

手書きの手紙は、時を超えても思いが残っていきます。パソコン全盛の今ではありますが、デジタルデータでは、やはり思いも消えていくしかないもののようです。

手書きの手紙は、時を超えて、確かにその人と関わり、その時間の中にこそ、私の人生があったことを思い起こさせてくれます。

出会いと別れは沢山ありました。生死が別れを生み出すこともあれば、見解の相違が別れを生み出すこともあります。

そうした意味では、人の心は変質するものでしかありません。

私は、誤解を受けようと、見解が異なろうと、やはり、出会った人たちのことを大切な存在だと思っているのだと、少し可笑しく思いました。

とっくに失われたであろう初恋の思いをまだ引きずっているかのようで、愚かしくも思いました。

ただ、変わらぬ思いと、信念のようなものが、自分の心をそうさせているのだと思います。
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