Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

村社会は変わらず

2020年08月23日 | Weblog
「高校の部活動などで新型コロナウイルスの集団感染が相次ぎ、生徒らがネット上などで誹謗(ひぼう)中傷される事態になっている。学校側には十分な感染対策が求められるが、批判にさらされる生徒には精神面の悪影響も懸念される。専門家は、コロナ禍で不安や不満を募らせた大人が、生徒らをスケープゴートにしないよう呼びかける。」(読売新聞オンライン)

「日本から出て行け」「学校を潰せ」とか、信じられない言葉をよくも平気で投げつけられるものだと呆れてしまいます。

対策は不十分な面もあったのでしょう、子どもや若者たちは、感情の波で、はしゃいだり、騒いだりするものですから。

しかし、他県からは来るなとか、他県ナンバーの車に卵をぶつけていたとか、色々な大人たちの話もあります。責められるのは子どもたちばかりではありません。夜の街で感染しているのも大人たちです。

結局、「村社会意識」から、少しも変われていない日本社会の姿が、今回のことで浮き彫りになったように思います。おらがムラさえ良ければそれで良いのだろうし、感染者が出ようものならそれこそ村八分にしてしまえということです。

そうした姿は、広島・長崎で被爆した人たちを差別して、心ない言葉を投げつけていた戦後の人たちの姿とも重なります。心の有り様は、何も変わってはいないのです。教育の成果など、ほとんどなかったのかもしれません。

その上、大人も子どもも、利己的な気持ちが肥大してしまっているのだろうと思います。同じ国民のことを慮ったり、病気の者をいたわったりする気持ちよりも、自身の身の安全が第一なのです。

これは、自分さえ安全であれば、国防のことなど考えたくもない。自分だけは大変な思いをしたくないという姿勢と重なっているものだと思います。

かつて日本人は「水と安全はタダ」だと思っていると指摘されていましたが、未だにその意識が変わらない人たちが多いのでしょう。だから、大変なことを背負う意識になかなかなれないのです。

亡くなった林秀彦氏なら、こんな日本は見たくもなかったと嘆いていそうです。私たちの教育は、こうした人たちしか育てられなかったのです。それが現実です。

しかし、私は現役世代ですから、この状況を変えていかなければなりません。

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教育の姿

2020年08月23日 | Weblog
これから教育の姿は大きく変わっていくと思います。

リモートであれば、市町村や県も意味を成さなくなります。国境を越えて学ぶことが出来るようになりるからです。語学学習もYouTubeでネイティブの発音を聞いて勉強した方が効率が良いところもあるでしょう。

次第にワンワールドの世界が現実のものとなっていきそうです。それは一面では、地球人という連帯感を生み出しますが、一方でマイノリティーの文化や言語の消滅にも繋がっていくと思います。

その国の歴史や文化や言語が、一国の国民のアイデンティティーを作っていたのが、次第にそれが希薄になっていくということです。

だからこそ、自国のアイデンティティーを確立することや、人間としての在り方を確立すること、国家観を確立していくことが大切になると信じたいところです。

しかし、それは、時代の流れと共に消滅する運命なのかもしれません。

しかし、どこの国の人間かわからない、薄っぺらな知識だけあってお金儲けに長けた人間たちと、残された人生を楽しく生きられる気はあまりしません。

親子の愛情や、祖先たちを敬う心、互いに信じ合う心、自国の自然と歴史と文化を愛する心を大切にして人生を終えたいと思います。

海外でも随分と時を過ごし、また、様々な立場で大いに活躍した、森鴎外ですが、「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」という言葉を遺言に残します。いかなる栄誉も拒否し、一人の石見人として人生を終えたいというのです。

大正11年7月9日、森鴎外は60歳で亡くなりました。私も一人の日本人として死んでいきたいと思います。

鴎外の出身地、津和野は山深く霧深く、とても美しい山間の小さな街です。いつかまた旅に行こうと思います。


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