「高校の部活動などで新型コロナウイルスの集団感染が相次ぎ、生徒らがネット上などで誹謗(ひぼう)中傷される事態になっている。学校側には十分な感染対策が求められるが、批判にさらされる生徒には精神面の悪影響も懸念される。専門家は、コロナ禍で不安や不満を募らせた大人が、生徒らをスケープゴートにしないよう呼びかける。」(読売新聞オンライン)
「日本から出て行け」「学校を潰せ」とか、信じられない言葉をよくも平気で投げつけられるものだと呆れてしまいます。
対策は不十分な面もあったのでしょう、子どもや若者たちは、感情の波で、はしゃいだり、騒いだりするものですから。
しかし、他県からは来るなとか、他県ナンバーの車に卵をぶつけていたとか、色々な大人たちの話もあります。責められるのは子どもたちばかりではありません。夜の街で感染しているのも大人たちです。
結局、「村社会意識」から、少しも変われていない日本社会の姿が、今回のことで浮き彫りになったように思います。おらがムラさえ良ければそれで良いのだろうし、感染者が出ようものならそれこそ村八分にしてしまえということです。
そうした姿は、広島・長崎で被爆した人たちを差別して、心ない言葉を投げつけていた戦後の人たちの姿とも重なります。心の有り様は、何も変わってはいないのです。教育の成果など、ほとんどなかったのかもしれません。
その上、大人も子どもも、利己的な気持ちが肥大してしまっているのだろうと思います。同じ国民のことを慮ったり、病気の者をいたわったりする気持ちよりも、自身の身の安全が第一なのです。
これは、自分さえ安全であれば、国防のことなど考えたくもない。自分だけは大変な思いをしたくないという姿勢と重なっているものだと思います。
かつて日本人は「水と安全はタダ」だと思っていると指摘されていましたが、未だにその意識が変わらない人たちが多いのでしょう。だから、大変なことを背負う意識になかなかなれないのです。
亡くなった林秀彦氏なら、こんな日本は見たくもなかったと嘆いていそうです。私たちの教育は、こうした人たちしか育てられなかったのです。それが現実です。
しかし、私は現役世代ですから、この状況を変えていかなければなりません。
「日本から出て行け」「学校を潰せ」とか、信じられない言葉をよくも平気で投げつけられるものだと呆れてしまいます。
対策は不十分な面もあったのでしょう、子どもや若者たちは、感情の波で、はしゃいだり、騒いだりするものですから。
しかし、他県からは来るなとか、他県ナンバーの車に卵をぶつけていたとか、色々な大人たちの話もあります。責められるのは子どもたちばかりではありません。夜の街で感染しているのも大人たちです。
結局、「村社会意識」から、少しも変われていない日本社会の姿が、今回のことで浮き彫りになったように思います。おらがムラさえ良ければそれで良いのだろうし、感染者が出ようものならそれこそ村八分にしてしまえということです。
そうした姿は、広島・長崎で被爆した人たちを差別して、心ない言葉を投げつけていた戦後の人たちの姿とも重なります。心の有り様は、何も変わってはいないのです。教育の成果など、ほとんどなかったのかもしれません。
その上、大人も子どもも、利己的な気持ちが肥大してしまっているのだろうと思います。同じ国民のことを慮ったり、病気の者をいたわったりする気持ちよりも、自身の身の安全が第一なのです。
これは、自分さえ安全であれば、国防のことなど考えたくもない。自分だけは大変な思いをしたくないという姿勢と重なっているものだと思います。
かつて日本人は「水と安全はタダ」だと思っていると指摘されていましたが、未だにその意識が変わらない人たちが多いのでしょう。だから、大変なことを背負う意識になかなかなれないのです。
亡くなった林秀彦氏なら、こんな日本は見たくもなかったと嘆いていそうです。私たちの教育は、こうした人たちしか育てられなかったのです。それが現実です。
しかし、私は現役世代ですから、この状況を変えていかなければなりません。