Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

ご縁を大切に更なるチャレンジを

2020年08月21日 | Weblog
どれだけ、自分の言葉と行動が他人様のお役に立てたかを思うとき、忸怩たるものはあります。
しかし、共に学ばせていただいた方の言葉に救われることが多々あります。

最近、10~15年ほど前の保育園の研修で、出会わせていただいたお母様から、職場の研修をお願いされたり、5年ほど前の企業研修でお会いした方から再びリーダー研修をお願いされたりということがあります。

「あの時に伝えていただいた言葉が心に残って、自分の考え方になり、今の自分がある。それをまた、あの頃の私と同じ年齢、立場の人にも伝えて欲しい。」そんなお話をいただきます。

即効性のある一時的な教育を作るのではなく、時と共に深まり、自分の血肉となっていくような教育を少しでも実現したいというのが私の願いでしたから、ちょっとずつ、時を経て形になっているのかもしれません。

若い頃から無我夢中で学び続け、伝えてきたことが、少しずつ実を結んでいくのだろうかと思います。人間教育というものは、本当に時を必要とし、少しずつ熟成されていくもののようです。

その価値を分かって下さる方は、決して多くはなく、ささやかな教育実践で終わるのかもしれませんが、一人の人とのご縁を大切にしつつ、もっと多くの人にメッセージを届けられるように、燃え尽きるまで全力を尽くそうと思います。



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別府の海

2020年08月20日 | Weblog


最近、小泉八雲の語った「九州スピリット」という言葉に出会い、九州のことをよく考えるようになりました。

日本という大きなくくりよりも、まずは、九州というくくりで考えていこうという意識が芽生えてきた感じです。

その第一歩を踏み出していく準備を始めようと思います。
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無料ポリ袋ハンター

2020年08月19日 | Weblog
無料“ポリ袋ハンター”なるものが登場しているそうです。レジ袋を有料で買いたくないから、無料のポリ袋を大量にくすねて帰って行くわけです。また、家で生ゴミを捨てるようにポリ袋を持ち帰るわけです。

レジ袋は、生ゴミを捨てるための袋として活用されて捨てられていたわけですから、こうしたレジ袋ハンターの動きや、100均ショップなどでのレジ袋販売量が何倍にもなっているのは当然のことです。レジ袋の方が取っ手がついていて使い勝手も良いのです。また、エコバックは新型コロナウイルス感染拡大を誘発するリスクがあったり、万引きを誘発したりと、予想通りに色々な問題が発生しています。

海洋汚染を防ごうとのかけ声にレジ袋が有料化されてしまいましたが、本来の問題は、ゴミの海洋投棄の問題であって、レジ袋の問題ではないのです。この理屈を通すなら、毎年、交通事故で亡くなる人が多いから、車を作るのをやめなければならなくなります。

結局、今のところレジ袋有料化は、①お金を出してレジ袋をまとめ買いする人と(その方が単価は安い)、②無料ポリ袋ハンターという無料のものをくすねて帰る人たちを大量に産みだしただけです。
①は損得重視の判断です。②は法的にはOKでも道徳的に問題のある判断です。良い悪いを言っているのではありません。悪臭を放つことになる汁のこぼれる生ゴミを捨てる、という日々の現実問題の前に、環境問題への配慮という崇高な姿勢はたちまちかき消されてしまいます。

この方策は、行き着くところ、昭和の最初の頃のように、新聞紙で魚や肉や野菜を包んだりしていくことになるのでしょうか。魚や肉のトレイも、ラップも海洋投棄すれば環境に良くないはずですから。でも、新聞を読む家庭は、減る一方ですから、この方式も現実的ではありません。

どうなるのか、落ち着くところに落ち着くのをしばらく待ってみようと思います。

私?
私は買い物をする回数が多くないので、毎回、レジ袋を三円とか五円とか出して買っています。
まとめ買いするほど大量には使わないのでコスト的には合理的ですし、無料ポリ袋ハンターになる必要もないからです。そして、あとはきちんと捨てるだけです。そして、できることなら、その三円とか五円を、海洋汚染の清掃に使っていただけたら良いなとは思います。

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卑怯者の国

2020年08月19日 | Weblog
自分ができもしないのに他人を批判をするのは卑怯である。

自分の卑怯さにもっと人は向き合い、それに気づくべきだと思う。

日本は卑怯者だらけの国になってしまった。

そうでなければ自分が出来もしないことを、できるかのように思い込む傲慢さに気づくことである。

戦いの中で、ボロボロになって敗れ去ったとしても、外野からヤジを飛ばしている人間よりは、はるかに立派である。

少なくとも卑怯ではない。

子どもたちにも、卑怯な大人の姿を見せないようにしたい。

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歴史教育の変革に期待する

2020年08月18日 | Weblog
2020.8.18 日経新聞の報じるところによれば、高校の歴史科目は 2022 年度から必修科目「歴史総合」が始まり、18 世紀以降の日本と世界の近現代史を学ぶ内容になるとのこと。歴史の大きな転換に着目し、現代に通じる課題を多面的に考察するのことを目的とするそうです。

「現行の学習指導要領では、小中学校の社会科で日本史を学ぶことを前提に、高校では世界史のみを必修としてきた。選択科目である日本史を学ばない生徒も一定数いた。」ということで、日本史を学ぶことなく大人になる若者が、少しでも減ることが期待されます。

「文部科学省の担当者は「原始時代から時系列で学ぶ従来型のカリキュラムでは、近現代にまで十分な授業時間を割けなかった。知識の暗記ではなく、現代社会を知るための力を付ける歴史教育を目指す」と話している。」

ということのようですから、日本の国の立場に立った歴史教育となることを望みます。一つの歴史的事実も立場が異なれば、当然、違う見解になります。何が正しいかも、それぞれの正しさがあるでしょう。嘘話は排除すべきです。わが国の立場からはこうであると、明確に語れるようにしていただきたいものです。

ただ、国内世論も一致しない中で、心配されることも多いです。どこの国の立場を主張しているのか分からない人も多いからです。

期待されるのは、少なくとも、「なぜ、そうした歴史的事件が起きたのか」ということを考えていくことで、これまで吹き込まれてきた嘘話も、少しずつ、何が正しかったのかが見えてくるのではないかと思います。



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苦難は笑って受け止める

2020年08月17日 | Weblog
大切なことは、出来ない理由を探すのではなく、「どうしたら実現できるのかを考え続けること」です。

たったこれだけの思考回路が、身につかないまま、人生を終える人も多いものです。

何のためにそれをやるのかということや、そのことによって生み出される沢山の価値を考えないからだと思います。

また、言われたからやるという意識が染みついていると、そうしたことを考えられなくなるのだと思います。

もう一つは、相手を信じない意識があるということです。

自分がやりたくないのだから、きっと他の人もやりたくないし、できないに違いないと思ってしまう。それをやることで人が成長していくかもしれないと、可能性を信じ、そこに目を向けられない人で、教育には向かない人です。

なかなか、難題を手渡されたときに、笑顔で受け取れる人が少ないことを感じます。

しかし、困難や面倒なことは人生において必ずやってきます。その時までに力をつけておくためには、困難から逃げずに、自分を鍛えておくことが大切だと思います。

どうせやるんだったら、笑顔でチャレンジした方が、少なくとも周りを不快な思いにさせないことは事実です。

私はそんな人間でありたいと願います。そして、そんな人と共に働きたいと思います。
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費用対効果と無償の愛

2020年08月17日 | Weblog
何でも効率と費用対効果で考えることが現代人の習い性になっているように感じます。

しかし、教育にとっては愛情が大切です。それは時に無償のものです。特に家庭での子育てにおいてはそうだと思います。

それなのに、「○○してやったのに、…。」と常に費用対効果を常に考えていないでしょうか。
塾の費用、スマホの費用、その他。これだけの投資をしたのだから、我が子は、こういう進路に進んで、将来の年収がいくらで・・・。いやいや、その前に、もっと親の言うことを聞いて・・・。という具合に。

子どもの成長を費用対効果でしか考えられなくなったときに、教育はとてつもなく大きなものを失います。

なぜなら、無償の愛によってしか育まれることのない、人間の土台ができぬままに大人になっていかなければならないからです。

そのぽっかり空いた穴は、そう簡単には埋められません。しかし、それでも人は教育に効率と費用対効果を求め続けるのだと思います。

なぜなら、損得でしか、ものを見ることが出来ない大人が増えたからです。

かくして教育はビジネスとなり、心の育たない子どもたちが増えていくことになります。それはいずれ、親たちに強烈なしっぺ返しをもたらすでしょう。なぜなら、心ない子どもが、心ない大人になったとき、年老いた親に対してどのような態度で接するかは当然予想できるからです。

心を育むためには、四書五経の教えを学ぶこと、世界の名作を学ぶことなどがとても大切だと思います。事実、過去の偉人賢人たちもそうして学んできました。(西洋においては、それは宗教の果たす役割でした。)

しかし、子どもも大人も、そうした人として大切な教えを学ぶことはありません。受験にはほとんど出ないからです。偏差値を上げるためには、そうした学びは時間の無駄であり、損なことでしかないのです。

子どものためと言っても、やはり、大人が心の中で、損得と費用対効果を考えるのが習い性になっているのですから、そう簡単には、この問題が解決していくことはありません。

この歳になって、ようやくそんなことが分かってきました。
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やり抜くこと

2020年08月16日 | Weblog
負け戦でも、孤独な戦いでも、とにかくやり抜くことが大切だと思います。
これまでは、そうして戦い続けている中に、ふと活路を見いだせることが多かったように思います。
しかしながら、これからもそうなるという保証はどこにもありません。
ただ、私の人生のテーマが決まっており、歩み続けるべき道が見えている以上は、その道を歩き続けるだけです。
私の仕事は商売ではありません。個としての生き方と考え方が問われる仕事です。勝ち負けにも生き死ににもとらわれずに、正々堂々とやり抜くだけです。

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あれ?

2020年08月16日 | Weblog
「実に深く眠ったなぁ、もう、五時頃かな?」と思って起きたら、なんと1時半でした。びっくりです。
まだ、2時間も寝てないのに、「いやぁ、よく寝た」という感じがすることが時々あります。
これは一体どういうことかと思って調べてみると、「睡眠には4段階の深度があって、それらは通常90分感覚で繰り返されているそうです。そのため、順調なローテーションが行われていれば1時間30分の倍数ごとに睡眠が浅くなり、そのタイミングで目覚めると少ない睡眠時間でも熟眠感が得られる」とのこと。

謎は解けましたが、1時間半では、いくら何でも寝てなさ過ぎな気がします。二度寝しようっと。


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コンビニで

2020年08月15日 | Weblog
東京のコンビニで、客がレジで計算してもらっていた。

店員さんが、「レジ袋はどうされますか?」と聞いているが、30歳前後とおぼしきその男性客は、スマホにかかってきた、仕事の関係者らしき人との会話に専念していて返事をしない。

しばらくスマホの会話は続き、再び、店員さんが「レジ袋はどうされますか?」と聞いているが、やっぱり、話をしながら、財布から支払うための札を取り出す動作をしているだけで答えない。

うなずくか首を横に振るだけでも店員さんは助かるだろうに、それすら出来ないし、思いつきもしないのだろう。聞こえてくる会話の内容からして、それなりの仕事に関する判断力はあるようだが、人間としての判断力は情けないレベルにしかない。

これからこんな奴が増えてくるのだろうかと思うと、なんだか嫌な世の中になったものだと虚しくなってきた。

人に対する敬意など欠片もなく、自分の都合でしか物事を判断できない人間の群れが大量に発生してくるのだろうか。

それを何とかするのが、教育の役割だろうから、やはり子ども時代の教育を大切にしていくしかないと思う。



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