Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

緊急事態宣言の発令

2021年01月03日 | Weblog
緊急事態宣言を発令するか否かは、性善説に立つか性悪説に立つかという議論と同じだと思います。

人間は愚かな存在だから法で縛らなければ国民は言うことをきかないと考えるか、人間の性は本来善であるから法で縛らなくとも国民は考えて行動するはずだと思うかの違いです。

またこれは、マグレガーのX理論とY理論の違いとも重なります。

X理論とは、「人間は生来怠け者で、強制されたり命令されなければ仕事をしない」とする考え方です。

Y理論とは、「生まれながらに嫌いということはなく、条件次第で責任を受け入れ、自ら進んで責任を取ろうとする」という考え方です。

X理論においては、マズローの欲求段階説における低次欲求(生理的欲求や安全の欲求)を比較的多く持つ人間の行動モデルで、命令や強制で管理し、目標が達成出来なければ処罰といった「アメとムチ」によるマネジメント手法となります。

Y理論においては、マズローの欲求段階説における高次欲求(社会的欲求や自我・自己実現欲求)を比較的多く持つ人間の行動モデルで、魅力ある目標と責任を与え続けることによって、従業員を動かしていく、「機会を与える」マネジメント手法となります。

国民は「自由を、人権を」と日頃言う割りには、X理論を好むのだなぁと思います。国民が好むのではなく、知事たちが強権発動を好むのかもしれません。そして、国がやってくれないからと幾ばくかの責任転嫁をしたい下心もあるのかもしれません。(勿論、法体系としては、国が意志決定しなければならない 建て付けになっているのですが・・・。)

命令や強制で管理する方が、指示が明確で、何かを決断している感じが出ます。しかし、そこにあるのは人間不信だと言うことを私たちは忘れてはなりません。

国民の良識に期待するのは、何か優柔不断で、意志決定を避けている感じがします。しかし、そこにあるのは人間を信頼する気持ちであることもまた忘れてはならないことです。(ただし、今の政権がそう考えているかどうかは知りません。)

結局、一国の政治のレベルは、その国の国民のレベルにならざるを得ないという、先人の至言に落ち着くのだと思います。

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