子供たちの教育、
親の教育、
企業人の教育、
ありとあらゆる教育に、
全力で応えていこうとすれば、
やるべきことは拡大する一方です。
その人たちと直接関わる沢山の時間が必要であり、
その際に発する、
「自分の言葉」が届くようにするためだけでも、
一つ一つには膨大な準備と学びが必要だからです。
とにかく現場での一つ一つの実践が大切ですし、
その準備のための日々の学びや生き方が大切なのです。
教育制度をいくら改革したところで、
一人の子供の偏食を治すことすらできません。
しかし、
一人の子供を救うと言うことは、
子供と関わって、
あるいは親御さんと関わって、
それを改善することでしかないのです。
子供たちの未来を考えると言うことは、
そういうことでしかない。
親の苦しみや哀しみや心配がわからなければ、
所詮、教育改革は画に描いた餅のようになるしかありません。
教育改革は、
国会で行われるのでも、
県庁舎や市庁舎で行われるのでもなく、
子供とのお昼ご飯の時間や、
家族での晩ご飯や朝ご飯の時間にこそ
何とかしなければならないことが起きているのです。
そして、
私は教育という言葉自体に、
不遜な響を感じます。
本当の教育は、共に学ぶことの中にしかありません。
教育している(してやっている)と思った瞬間に、
それは教育でない何物かに堕しているのです。
そのことへの畏れを抱きながら、
多くの人たちと学び続けていくしか
私の歩むべき道はないのだと思っています。