今日は、バッカーズ九州寺子屋の塾生のレポートにコメントを書いていました。地道な作業です。しかし、教育とはそのようなものだと思います。「教育とは流水に文字を書くような果ない業である」とはよく言ったものです。その通りだと思います。見返りを求めることなくやり続けていくことが大切なのです。そこにはお金も何も発生しません。あるのは祈りだけ。しかし、それが教育なのだと思います。
政治も行政も医療も何もかもがお金に置き換えられる世の中になりました。人間の命だってお金に換算されているように感じます。命は時間でありお金であるとも言えますが、あまりにも人情酷薄な社会が出来上がりつつあるような気がしています。
しかし、私は断じてそんな人間の社会にはしたくないと思います。私も、幾多の先人たちもそうであったように、両親に愛されるのが当たり前であってほしいと思います。そして、日本という国を作ってきた先人たちへの感謝、祖先への感謝を忘れない心を持った人達で作る人間社会であり続けて欲しいと思います。愛国心というと右呼ばわりされるような居心地の悪い社会ではなく、先人たちの物語を共有することのできる世の中であってほしいと思います。国を愛するということは、これまで生きてきて頑張って下さった祖先を愛することだと思いますし、具体的には、父、母、祖父、祖母、曾祖父、曾祖母を愛するということに他ならないからです。
もし、日本の教育がより良い方向に向かうとすれば、それが成し遂げられるとすれば、人間とは何か、人間の幸福とは何か、といったことも考えられる教育哲学を持った教育者が増えていくことを通じてしかないのではないかと思います。