つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

被爆ピアノコンサート

2024-08-14 | 文化
 昨日は、エランガ先生の息子さんのサチン君が実行委員をしている被爆ピアノコンサートが岐阜市立図書館内のホールで開催されましたので、友人と出かけました。79年前広島で被爆したピアノは、12台あったそうです。2001年より、このピアノでコンサートを全国で開かれるようになりました。岐阜に今回運ばれた被爆ピアノは、カズコさんという方が長く使われ、近年96歳で亡くなられたそうです。調律師が全国でのコンサートの度に運ぶのですが、運び入れる時号泣されるので辛かったそうです。調律師の矢川さんの話です。
 このピアノの伴奏で、サチン君の歌、ジャズ歌手の川鰭祐子さんの歌も聞きました。アルパの澤田智美さんも出演。平和を願うサチン君の、特攻隊の戦士の両親への手紙の朗読は胸に迫るものがありました。サチン君の衣装はエランガ先生が制作。川鰭さんは、サマータイムに始まり、Love、イマジンなど歌われました。川鰭さんはシャンソン歌手の遠藤伸子さんの娘さんです。



歌うサチン君


澤田智美さんのアルパで歌う子供たち


川鰭さんのジャズ


岐阜市長柴橋氏の挨拶


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お盆の来客第一陣

2024-08-13 | わが家
 今年のお盆の来客第一陣は、社会人になった二人の孫たち。関西の親元で一泊し、祖父母の我が家には、ほんの少し滞在して、名古屋の祖母(祖父は他界) にも顔を見せて、すぐ任地の東京と千葉へ。昨日は猛暑の中、とても忙しいのに顔を見せてくれたのは嬉しいことでした。
 午後慌ただしく墓参りもすませて、名古屋に向かいました。明日には、東京の小学生の孫が来る予定。明後日は娘の大学生の孫たちの来訪予定です。写真は、墓に供えた花。岐阜ではこれに提灯を添えます。





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同窓会ランチ・五輪閉幕

2024-08-12 | 社会
 この年になりますと、同窓会も生存確認ということになります。昨日は駅近くのホテルで、ランチ。82歳で猛暑の中で、集まれるということに感謝しなければなりません。
 動画を作成し、皆さんに送信されているOさんも御元気。動画を作るためにはテーマを決めて撮影旅行しなければなりません。誰かが文字の入れ方が分からないとか、質問しても、「マニュアルに従って・・・」という回答。そのマニュアルが分からないのです。動画には鮎釣りの場面も。鮎釣りをされるのも素晴らしいです。

 ところでパリ五輪も日本選手の大活躍の中で閉会式も済み、次のロス五輪に向かいます。金メダルは、20個。米国、中国に次いで三位。銀12個、銅13個。全部で45個ものメダルを獲得しました。その中では目立たないですが、岐阜の赤松諒一選手は走り高跳びで日本勢過去最高の五位。88年ぶりの入賞です。大学も岐阜大学で私の後輩。高校も加納で、後輩です。




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鈴木長崎市長の平和宣言

2024-08-11 | 社会
 これまでブログに、広島や長崎の原爆記念日のスピーチについて書いたことはないのですが、今年は取り上げてみたくなりました。毎年のこの日のことはリンクしているokoさまがいつも詳しく報告されることから拝見していました。
 今年の鈴木長崎市長の長崎原爆犠牲者平和祈念式典でのスピーチ冒頭は、これまでにない斬新なものでした。被爆者で詩人の福田須磨子さん の詩を朗読。くぎづけになりました。これこそ英訳して世界中に広めたいものと感じました。
 「原爆を作る人々よ、しばし手を休め、眼を閉じたまえ・・・」にはじまる一連の詩のこの部分は、冒頭というのに、NHKニュースでも新聞(日経) でも省略されていました。この言葉の中に原爆に対する怒りがこめられていたというのに・・・
 福田さんは、ご自身の命は助かったものの、ご両親は犠牲者です。okoさまはきちんと報告されていました。

写真は初なりのいちじく

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産経新聞が握りつぶした反日地方紙の実態

2024-08-09 | Weblog
ライズ・アップ・ジャパンのメルマガより

おそらくほとんどの人が、
地方紙を読み比べたことがないと思いますが、
ぜひ今度読み比べてみてください。

特に見ていただきたいのが社説です。

主張も、言葉遣いも、細かいニュアンスも、、、

どれも驚くほど同じなのです。

しかも全部「反日」に偏向している、、、

なぜこんなことが起こるのか?

それは、地方紙の新聞記者は、
自分の足で取材しているわけではなく、
「共同通信」が上げてくる反日寄りの
「社説参考」をそのまま
コピー&ペーストしているからです。

だから、どの新聞紙も代わり映えのしない
「反日社説」が載るわけです。

上島さんはこの実態を雑誌『正論』で暴いて、
世に問おうと思いました。

必然的に雑誌の論調は
「共同通信批判」になります。

上層部への企画書が無事通ったので、
全国地方紙を丹念にリサーチし、
半年かけて準備しました。

ですが、印刷所に校了する3日前というとき、
本社の仮眠室で寝ていた上島さんのところに
突然電話が入りました。

眠い目をこすりながら電話に出ると、
相手は『正論』発行人の
当時の直属の上司でした。

「上島くん許してくれ。
 今回の企画、
 社長からストップがかかった。
 僕は思わずのんでしまった」

実は産経新聞も共同通信の加盟社なので、
それを批判するのはまずい、
ということでした。

社長は、直接上島さんに話すと
収拾がつかなくなることを分かって、
発行人である上司を
口説き落としていたわけです。

上島さんはそのとき、
怒りを通り越して
呆れかえったといいます。

まさにこのとき、
半年間の労力が水の泡になってしまいましたが、
そんなことが気に障ったわけではありません。

スポンサーを失うかもしれないという
「政治的圧力」のために、
周りの顔色を伺い、
客観的な情報源としての振る舞いは放棄し、
「保守」を自認している産経新聞社においてさえも、
「反日報道」の実態を取り上げることもできない…

ということに対して怒り、呆れたのです。

後日、社長もことのときばかりは

「俺ははっきり圧力をかけているという自覚がある」

と正直に告白してくれましたが、、、

上島さん曰く、こんなことは
メディアでははっきり言って
ザラにあるといいます。

このような構造が日本で出来上がっていて、
それを報じるメディアもないために、
日本の「反日報道」の事情は
完全に闇の中です、、、

そしてこうした問題を、
もっとたくさんの人に知ってもらいたい…

日本人のためになる情報を得て、
日本の伝統を積極的に守り、
本当の意味で日本が自立するための
コミュニティを作らなければ…

そう思い、産経新聞に
辞表を出したのちにはじめたのが、
「ライズ・アップ・ジャパン」
という日本人のためのメディアです。

「ライズ・アップ・ジャパン」では
30年近くマスコミにいて、
公にはされてこなかった裏事情にまで
精通している上島嘉郎さんが
"忖度なし"の「真実」を語り伝えます。

ライズ・アップ・ジャパンでは、
マスコミから葬られた「戦後の闇」について、
できるだけ生々しくお伝えしています。

その具体的な内容については、
例えば、冒頭に紹介した、
日本製の半導体の世界シェアが、
極端に下がった本当の理由もそのうちの1つです。

ところが、
日本の半導体シェアが下がったきっかけになったのは、
「ロン・ヤス関係」と呼ばれた、
ロナルド・レーガンと中曽根康弘の蜜月関係が、
日本のメディアで、もてはやされていた時のことでした。

実は、
その日米友好の裏側で、
アメリカは、日本にとんでもない約束をさせていたのです…

写真は先月撮影した燕親子 近所のマンションガレージで



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不平等な日米半導体協定

2024-08-07 | Weblog
ライズ・アップ・ジャパン事務局のメルマガより

「カシャ、カシャの国」
1980年代に、アメリカ人は日本のことをそう呼んでいたそうです。

というのも、
この言葉は、
写真を撮るように技術を盗み、
なんでも丸写しにするという意味で、
日本を馬鹿にした呼び方だったんです…

実は、
当時、シリコンバレーのアメリカ人は、
自分たちは「テクノロジー業界の王だ」と、
自分の才能や仕事に自信を持っていました。

あなたもご存知の通り、
半導体は、「近代の石油」とも呼ばれ、
現代の生活になくてはならないものです。

家電、車、インターネット通信、
現代社会では半導体なしでは何も作れないと言ってもいいぐらいです。

その半導体を牛耳っていたのですから、
「自分たちはテクノロジー業界の王である」
と誇りを持っていたのも頷ける話です。

しかし、
実際に、アメリカの半導体大手の経営幹部が、
日本製とアメリカ製の半導体の性能を調査すると…
驚愕の事実が明らかになってしまいました…

なんと、アメリカ製の半導体が、
馬鹿にしていたチープな日本の半導体よりも、
4.5倍も故障率が高かったのです。

それが判明してから、
高くて故障ばかりしているアメリカ製の半導体は、
全く売れなくなってしまいました。

そこで、
1990年代になると、
日本の世界の半導体シェアは、脅威の49 %とされ、 世界の半分を占めたのです。

これを境に、「メイド・イン・ジャパン」は、ブランドとなり、
日本のものづくり最強伝説が始まりました。

そうして、
シリコンバレーのアメリカ人たちのプライドはズタズタに引き裂かれたうえに、
アメリカの半導体は売れなくなり、
10年に渡ってシリコンバレーは地獄のような有様だったと言います。

しかし…
あなたもご存知の通り、
その後の「半導体戦争」に勝ったのはアメリカでした。

Apple、Google、マイクロソフト、、、

半導体の力を駆使して、
世界のトップ企業に立ったのは全てアメリカ企業です。

そして、
今では日本の世界における半導体シェアは、
49%から6%まで下がってしまいました…

では、
いったいなぜ、そんなに半導体のシェアが下がってしまったのか?

1980年代に、日本とアメリカの間で何があったのか?

テレビや新聞は報じないアメリカが日本に仕掛けた罠とは?

1 なぜ日本の半導体は衰退したのか?

かつて、日本の半導体の世界シェアは、
49 %もありました。
6%まで衰退してしまったのは、
アメリカが日本に仕掛けた「巧みな罠」が原因でした。

もし、かつての半導体のシェアがあれば、
今の日本は、もっと豊かになっていて、
世界での立場も変わっていたかもしれません。

2 「ロン・ヤス」日米友好の闇

ロナルド・レーガンと中曽根康弘の蜜月関係の裏側で、
日本とアメリカの間で、
とんでもない約束が1986年に結ばれていました。

大手メディアが報じない日米友好の真相とは?

3 アメリカの正体

アメリカが日本の足を引っ張るようなことをしてきたのは、
半導体だけではありませんでした。

アメリカの横槍が入ったため、
暗礁に乗り上げてしまった日本の技術は、
挙げればキリがないほどたくさんあったのです…

執拗に日本の企業を邪魔するアメリカの「真の目的」とは?

日本が国際競争に負けた理由は、不平等条約を米国が一方的に作ったことによります。
米国人が嫉妬から作った「日米半導体協定」のこともマスコミは正しく伝えないし、日本の政治家も米国にすりよっています。

写真はお見舞いに頂いたお菓子



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三浦小太郎氏のメルマガより

2024-08-05 | Weblog
三浦小太郎氏のメルマガより

あなたはご存知でしたか…?

江戸日本の教育は男女平等で、
世界一の水準だったということを…

江戸を訪れた外国人たちは、
自国の教育と比べて、
このような証言を残しています。

英国の初代駐日公使・オールコック

「日本では教育はおそらく、
ヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、
よくいきわたっている」

英外交官の秘書・オリファントは

「子供たちが男女を問わず、
またすべての階層を通じて
必ず初等学校に送られ、
そこで読み書きを学び、
また自国の歴史に関する
いくらかの知識を与えられる」

と、当時の子どもたちが階級問わず
みな勉強しているのに驚いたと記しました。

ロシア海軍軍人・ゴロウニン

「日本の国民教育については、
全体として一国民を他国民と比較すれば、
日本人は天下を通じて
最も教育の進んだ国民である。

日本には読み書き出来ない人間や、
祖国の法律を知らない人間は一人もいない」

英国の歴史学者・マクファーレン

「世界で最も教育が行き届き、
どんな貧民でも読むことはできる」

彼がいうように、
時代劇に登場する瓦版(かわらばん)も
庶民の識字率が高いからこそと言えるでしょう。

また、江戸日本で教育が行き渡っていたことは、
出版物の多いことにも表れています。

江戸では天保期には800軒の貸本屋が
組合をつくるほど読書人口が多かったんです。

それに加えて、日本は欧米以外では珍しく
女性の地位が高い国で、これに対応して
女性の識字率も高いという記録も残っています。

英社会学者によると、江戸庶民の識字率は
70―80%と推定していますが、
1800年頃の欧州都市の
男性識字率は50%程度だというのです。

つまり、江戸は私たちが持つ
「貧乏だった」「荒れていた」という
イメージとは正反対で、
世界から賞賛されるほど
すごい時代だったんです。

しかし、江戸がすごいのは
教育だけではありません。

江戸日本は外国人
「妖精の国」と例えられるほど、
美しい時代だったのです。

写真はコロナの時娘が差し入れしてくれた高カロリーゼリー








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手作りお菓子 80

2024-08-03 | わが家
 毎月整体師のNさんから頂くお菓子も80回目。6年目を超えました。似たようなメニューもありますが、ほぼ毎回異なります。昨日は、レモンプリン、あんことクリームのチーズパイ、コーヒーゼリーでした。いつもは二人お願いしていますが、昨日はまだ私が人にコロナ感染させる心配があり、夫だけお願いしました。
 前日の記事を別のサイトに出しましたら、次の注意を頂きました。
 [どなたかが「武漢ウィルス」という書き方をしていますが、2015年から国際ルールで新興感染症の名前に地名、動物名はつけない決まりになっています。新型コロナウイルスは。正式名称が「COVID-19]です。海外に行ってみると、一般の人もほとんどCOVID-19と呼んでいます。武漢ウィルスなんて言ってると、学識不足を晒していることになるので、直ちに止めた方がいいです。]学ばせて頂きました。私も武漢ウィルスと思っていました。



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ついにコロナに

2024-08-01 | わが家
 7月15日についにコロナに感染して、半月間ブログを休載していました。その間も多くの人からアクセス頂きありがとうございました。
 突然猛烈に喉が痛み、話もできなくなりました。いつも世話になっている在宅医療センターに、ショートメールしました。医師は午前中に来られ、鼻腔検査でコロナと判明。それから五日間朝夕看護師の往診があり、1週間後にはもう、感染しないというお墨付き。
 夫に感染させないよう、寝室、食事、居室は別にしました。幸い今は、普通の生活ですが、人に感染させたくないので、籠っています。熱はないですが、相変わらず、声も味覚もおかしいです。

 こんな迷惑な細菌を作り、世界中にばらまいた中国が許せないです。もっと怒るべきなのに苦言はエリザベス女王くらいで、これも変です。

今日のアクセスは、以下でした。感謝です。(ブログ開始は2004.6.30で、今年は20年になりました。)
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写真は差し入れの桃



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