つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

シエナ

2008-09-02 | 海外旅行
 翌日はフレンツェから70km南のシエナへ。写真は、イタリアのロマネスク・ゴシック様式の教会のうち豪華なもののひとつと言えるドォーモ。高さ120m。この教会の奥には、やはり大理石製の鐘楼があります。
 世界で最も美しい広場と言われる貝の形をしたカンポ広場を中心に栄えたのですが、1348年のペスト大流行で7万人の人口の2/3の住民が命を失い、町の衰退が始まります。16世紀にはフランスに占領され、それに対してスペイン軍が攻撃をかけるという状況となりましたが、現在のカンポ広場やそれを取り巻く建物、ドォーモや洗礼堂、宮殿といった建築物などはシエナ不遇の時代をも乗り切り、芸術風土も途絶えることなく今日に受け継がれています。

 ローマを建国したロムルスの双子の兄弟のレムスが兄に殺されて、その息子が、神から与えられた白馬と黒馬に乗って北方に逃れてシエナを建設したと言われています。雌狼に育てられたというロムルス・レムスの伝説にのっとり、シエナの街中には雌狼の像があちこちに見られます。
 JR蒲田駅にも雌狼から授乳されようてしている二人の乳児の銅像があります。ここに来てはじめてその訳が分かりました。きっとシエナと姉妹関係を結んでいるのでしょう。下の写真はカプチーノのついた朝食。

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ウフィッツィ美術館

2008-09-01 | 海外旅行
 フィレンツェが含まれるコースを選んだのは、このウフィッツィ美術館に行くためでした。美術の教科書には必ず見られるボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」と、「春」が所蔵されています。ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ティツィアーノなどの巨匠の作品も多く、系統だてて展示してあります。世界で唯一の運ぶことの出来るミケランジェロの絵・洗礼ヨハネの小品もあります。
 最初はメディチ家の行政のため、1560年に宮殿が建設されました。ウフィッツィの意味は行政オフィス。芸術品を見ながら廊下を歩きたいということで、そこに美術品を飾り、これが画廊(ギャラリー)という言葉の発祥となりました。今もそこには彫刻作品や絵画が飾られています。
 その中にある王族の肖像画があり、その人と日本から信長の命令で渡航した4人の天正の少年使節が面会しました。大変なもてなしを受けたのはよいのですが、数年後帰国した頃には、信長は亡くなり、秀吉の時代になっていました。激しくキリスト教徒は弾圧され、中には非業な最期をとげる元使節もあり、いたましいことでした。秀吉より、キリスト教を受け入れた信長の方が器が大きかったと言えましょう。(下の写真は美術館内部。撮影禁止のためカタログより)
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