翌日はフレンツェから70km南のシエナへ。写真は、イタリアのロマネスク・ゴシック様式の教会のうち豪華なもののひとつと言えるドォーモ。高さ120m。この教会の奥には、やはり大理石製の鐘楼があります。
世界で最も美しい広場と言われる貝の形をしたカンポ広場を中心に栄えたのですが、1348年のペスト大流行で7万人の人口の2/3の住民が命を失い、町の衰退が始まります。16世紀にはフランスに占領され、それに対してスペイン軍が攻撃をかけるという状況となりましたが、現在のカンポ広場やそれを取り巻く建物、ドォーモや洗礼堂、宮殿といった建築物などはシエナ不遇の時代をも乗り切り、芸術風土も途絶えることなく今日に受け継がれています。
ローマを建国したロムルスの双子の兄弟のレムスが兄に殺されて、その息子が、神から与えられた白馬と黒馬に乗って北方に逃れてシエナを建設したと言われています。雌狼に育てられたというロムルス・レムスの伝説にのっとり、シエナの街中には雌狼の像があちこちに見られます。
JR蒲田駅にも雌狼から授乳されようてしている二人の乳児の銅像があります。ここに来てはじめてその訳が分かりました。きっとシエナと姉妹関係を結んでいるのでしょう。下の写真はカプチーノのついた朝食。
世界で最も美しい広場と言われる貝の形をしたカンポ広場を中心に栄えたのですが、1348年のペスト大流行で7万人の人口の2/3の住民が命を失い、町の衰退が始まります。16世紀にはフランスに占領され、それに対してスペイン軍が攻撃をかけるという状況となりましたが、現在のカンポ広場やそれを取り巻く建物、ドォーモや洗礼堂、宮殿といった建築物などはシエナ不遇の時代をも乗り切り、芸術風土も途絶えることなく今日に受け継がれています。
ローマを建国したロムルスの双子の兄弟のレムスが兄に殺されて、その息子が、神から与えられた白馬と黒馬に乗って北方に逃れてシエナを建設したと言われています。雌狼に育てられたというロムルス・レムスの伝説にのっとり、シエナの街中には雌狼の像があちこちに見られます。
JR蒲田駅にも雌狼から授乳されようてしている二人の乳児の銅像があります。ここに来てはじめてその訳が分かりました。きっとシエナと姉妹関係を結んでいるのでしょう。下の写真はカプチーノのついた朝食。