goo blog サービス終了のお知らせ 

つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

ギリシャより

2013-02-15 | 海外旅行
 神戸の友人がギリシャと南イタリアへ旅行したらしく、絵葉書が届きました。これは、ギリシャのパルテノン神殿全景。この写真は、周辺部もよく捉えられています。一昨年のギリシャの旅を懐かしく思い出しています。(2011.2.24) 1月末から2月にかけての厳冬の時期というのに、コートが要らなかったそうです。そう言えば、一昨年二月下旬、もうアーモンドの花が咲いていました。
 南イタリアは三回目とか・・・やはり地中海沿岸は暖かいようです。日本に帰国し、寒さに震えあがり、温泉が恋しくなったそうです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タスマニアから

2012-12-21 | 海外旅行
 一昨日、リンクしているtonaさま(365連休の日々)のタスマニア(オーストラリア)からの絵葉書が届きました。メールでお礼しますと、何とご本人も一昨日帰国されたところでした。葉書と同じ日にお帰りになるとは・・・思ったより郵便事情がよいようです。

 暖かい南半球から帰られ、成田ではあまりの寒さに震えあがられたようです。
 野生保護されているタスマニア・デビルやマーモット、コアラ、カンガルーも見られ、かわいかったそうです。南に突き出たタスマン半島の流刑地監獄や奇岩石景勝も見学。 西側のユーカリの原生林は屋久島のようだそうです。蒸気機関車に乗ったり、ペンギン見学も楽しそう・・・ペンギンの切手が面白いのでこれもupしました。



    
     ペンギンの切手
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スロバキアより

2012-10-17 | 海外旅行
 昨日は、リンクしている365連休の日々のtonaさまから、スロバキアだよりが届きました。少し前に西オーストラリアからの絵葉書を紹介したのですが、またすぐ旅に出られているのです。そのタフさに驚いています。とても同じ年とは思えません。

 10/10に送信されているので、6日で届いたことになります。旅の中間で頂きましたので、まだこれから旅は3日も続くようです。標高1000mのタトウ山脈は黄色に染まりとてもきれいだそうです。
 私達もスロバキアには出かけているのですが、古建築ばかりで、山には行っていません。(2005.9.4)

 
   
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リトアニアとハンガリー

2012-10-11 | 海外旅行
 昨日の放送大学の英語セミナーでは、講師の廣田先生(岐阜大学副学長) がリトアニアとハンガリーに出張された話を、授業の合間にして下さいました。ハンガリーは以前に行きましたが、リトアリアは未知の国です。
 ハンガリーは、マジャール語の国なので、私たちの観光した時は、通訳が二人いて、マジャール語を英訳する人と、その英語を和訳するという、まだるっこしいもので、時間もかかりました。先生は英語専門ですから、英語を話せるハンガリー人と直接話され、我々の旅とは全然違います。

 リトアニアのカウナスにある旧日本領事館の跡は、杉原千畝記念館となっているようです。千畝が岐阜出身ということで、岐阜大学と交流があります。来年2/21には、リトアニアの白石大使が岐阜大学で講演されます。女性大使です。書記官も来られますが、こちらは岐阜出身。
 岐阜県八百津町は杉原氏の生誕地で、記念館がありますが、訪問するのは、リトアリア人でなくて、殆ど命を助けられたイスラエルのユダヤ人。これは当然のことですが、リトアニアの杉原記念館は、日本人の訪問者より何故か韓国の人が多いらしく、ハングルがあちこち書かれていたそうです。その理由は分かりません。下の写真は我が家のキバナコスモス。

 かねてから予定していた放送大学中国研修旅行は、やはりまだ危険ということで中止となりました。

    

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西オーストラリアより

2012-10-03 | 海外旅行
 リンクしている「365連休の日々」のtonaさまから、昨日絵葉書が届きました。旅先の西オーストラリアからです。ブログで旅の報告を見ると、まさに秘境という感じです。見たこともない植物や景色。恐らく行くことはないと思います。貴重な写真です。絵葉書は、9/20に発信されているので、10日余りかかったことになります。
 まだ南半球に行っていません。南十字星や、地上の光に邪魔をされない天の川を見られて羨ましく思っています。

 広さが日本の24倍で、3分の2が砂漠と言われるオーストラリアは、僅か1800万人しかいない過疎の国。時差がないので楽だったそうです。


ピナクルズ カルバリ国立公園
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国史跡・誌跡を訪ねて学ぶセミナー

2012-09-16 | 海外旅行
 中国が尖閣列島がらみでモメていて、まるでヤラセのように激しい反日デモが続いています。このような中での旅行計画ですが、放送大学から11月に出かけることになっています。それまでには終息を願い、セミナーに参加しました。

 講師は中国文学の碩学の安東先生。先生は長く中国について研鑽されていますが、大の海外旅行ぎらい。パスポートも持っておられなかったのですが、生徒から是非にと勧められ、重い腰をあげられることになりました。
 行き先は、蘇州、上海、鎮江など・・・その地について昨日は、講義を受けました。

 まず、蘇州について。春秋時代は、呉の都として登場。司馬遷の「史記」によると、始祖は太伯。この時代に軍師・孫武がいて、この人が書いたのが、孫子の兵法です。「史記」越王句践世家第十二には、越王は、出兵し、会稽山に包囲され、敗れた時、胆をそばにおいて舐めたと書かれ、これが「臥薪嘗胆」のいわれとなりました。

 蘇州には、寒山寺、拙政園、虎丘塔などがあります。拙政園は、唐の詩人陸亀蒙の私邸として建てられ、庭園は、明の王献臣が16世紀前半に造営。中央政界から失脚したため、拙い政治という意味の名前がつけられました。

 鎮江は、詩のふるさと。多くの詩を教わりましたが、王昌齢の作品一編だけ記します。

 寒雨江に連なって夜に呉に入る
 平明客を送れば楚山狐なり
 落陽の親友如し相問はば
 一片の冰心玉壺に在りと

 上海の預園は、明の潘允端が父親のために、1577年に完成させた明代の代表的な庭園。
 魯迅公園の魯迅の墓と魯迅の故居も、先生の希望でコースに追加。魯迅が、1933.4.11~1936.10.19まで住まいしました。55歳でこの邸宅で逝去。

 実は22年前と、20年前、大方は訪問しているのですが、当時は無知のまま出かけました。下の写真は、通りすがりに撮った赤いピンカ。

    



 

 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザルツブルグ音楽祭

2012-08-21 | 海外旅行
 従妹が、オーストリアのザルツブルグ音楽祭に行ってきました。モーツァルトとサウンド・オブ・ミュージックの世界に浸れて羨ましいです。私たちは10年ほど前に行き、モーツァルトの生家と、その映画の撮影された城砦を見学しました。ムジークフェラインもとてもよかったです。しかし、音楽祭は未だに行くことができません。

 この音楽祭は、もう80年以上毎年8月に開かれ、町中が音楽に満ち溢れていてクラシックファンには垂涎のイベントです。第二次大戦中も中断されず、世界のトップオーケストラが、ザルツブルグにやってきました。

 彼女たちは、室内楽やピアノのコンサートを、ホテル近くのホールと城砦にある夜景が見渡せるようなホールで聴けたそうです。治安がよくて、夜遅くても大丈夫だったとか・・・三日に一度は雨が降ると言われるザルツブルクで、快晴続きの旅を満喫できたそうです。

 私達にはなじみの深い、映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、意外にも地元のオーストリアでは人気がなくて、他の国での上演が多かったそうです。アメリカとか、日本とか・・・

 写真はおみやげのボールチョコ。赤とがありますが、がフィレストという店のもの。これが元祖だそうでおいしいです。旧市街のその店で買ったのだそうです。巷にあふれている赤は私も昔買いましたが、は初めて。

 その下の写真は、前日の梅の花のもの。

   
   
   上は青いフィレスト 下はと赤のボールチョコ


りんどう                              白いデンファレ

        
         透かし百合と菊
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファツェルのゲイシャ

2012-08-08 | 海外旅行
 友人のOさんが、8日間の北欧4ヶ国(スウェーデン・ノルウェイ・デンマーク・フィンランド) の旅行から帰られ、おみやげを届けて下さいました。写真の上のチョコは、フィンランドのファツェル社のゲイシャ。ファツェル社は、1891年創立。最初はカフェでしたが、ファツェルが結婚した1890年、チョコの製造開始。日本のゲイシャをシメージして作られたGeishaは、1908年から製造。蓋の内側の写真は、創立者のファツェルとその妻。お店のデザインも自分でされていたようです。100年以上の歴史あるチョコは、さすがに美味しいです。
 ダウンジャケットを着なければならないような寒い日もあったとか。猛暑の日本から逃れ、避暑のような旅で羨ましいことでした。

 写真下のキャビアというチューブは、サラダに合いそうです。2本の味は少し違うようです。今朝一本を野菜に載せて見たら、塩分が効いた濃厚な味でおいしかったです。ノルウェイみやげ。

 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーストリアから

2012-08-03 | 海外旅行
 昨年秋の北欧旅行で知り合った神戸のSさんから、オーストリアの絵葉書が届きました。二度目のドイツ、チェコ、ハンガリー、オーストリアへ行ってこられ、ウィーンではコンサートを聞かれたようです。
 私達も10年ほど前、ウィーン楽友協会ホール(ムジークフェライン)のクラシックコンサートに行きました。毎年ニューイヤーコンサートが開催されるホールです。長い歴史が感じられる素晴らしい音楽ホール。後にも先にも、あれ以上の音楽ホールには行っていません。

 頂いた絵葉書は、オーストリアのメルク修道院。グラインからドナウ川の左岸(北側)の道路を約40km、川を隔てた対岸に見える建物です。ウィーン近郊。ここはローマ帝国時代の要塞だった場所で、そこに10世紀末バーベンベルク家が城を作り、さらに城砦化された修道院に変わっていったそうです。


メルク修道院

 つい、懐かしくなりウィーン楽友協会ホールのネットの写真もupすることにしました。10年前は、デジカメではなかったので・・・
 このホールは1812年創立。1812年というと、ハイドンが没した3年後、ベートーベンが没する15年前、シューベルトが没する16年前です。そのころは、まだナポレオンがヨーロッパ中を走り回り、ハプスブルクのマリー・ルイゼと結婚した2年後です。ナポレオンの命によって考え出された保存食は、缶詰ではなく瓶詰めで、この画期的な発明により人々が飢えの不安から開放されようという頃でした。
 当時のウィーンには中世からの城壁が残っており、樹木の茂ってしまった城壁の上を市民階層が散歩し、カフェーハウスもありました。

 運よく当日のコンサートチケットを旅行社が取ってくれて入ることが出来ました。聴きに来る人たちは、思い切りドレスアップをした人が多く、シンプルな旅行着では申し訳なかったことを思い出します。聴きなれたモーツァルトの曲を、当時の服装で演じてくれました。鬘を被って・・・


ウィーン楽友協会ホール外観   内部
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スリランカってどんな国?

2012-07-15 | 海外旅行
 昨日は、放送大学岐阜学習センターで、英会話講師のエランガ先生の講演会がありました。テーマは、「スリランカってどんな国?」。スリランカは、紅茶とルビーの輸出国で、世界遺産が8ヵ所もある国として知られています。1974年英国から独立。セイロンからスリランカという国名になりました。先のスマトラ沖大地震の時は、津波のため多くの人が亡くなりました。

 お二人は1997年来日。二人のお子さんは日本で生まれました。来日の理由は内乱と暴動で、目の前で学生が69人も殺され、血しぶきを浴び、身の危険を感じ国外脱出。コロンボ大学(大学はすべて国立)は、3年も休講という有様でした。その後お二人とも岐阜大学へ留学されました。

 ご主人は岐南町の学校で英語教師を13年続けておられ、卒業生の発音がよいと喜ばれています。まず生徒には、英語を学ぶ前に国の悲惨な状況を伝え、消しゴムも鉛筆もない国もあることを考えて、感謝するべきであることを諭されるそうです。

 母国は内乱後に地雷で片足になった人も多いため、ご自身で修理された古い車椅子を搬送。目標の1000台は越えていると思います。廃車にする消防自動車、救急車も貰い受け、母国に送り、毎年夏には大統領を交えた贈呈式があるので、帰国されます。向こうでは、感謝をこめて、日本の地名をつけたまま走っています。

 スリランカは、仏教国で、細かく分類すると上座部仏教。先生ご一家は、美濃加茂市井深の正眼寺に、時折座禅を組みに行かれます。全国的に知名度の高い古刹で、昨日もそこから高僧が聞きに来られていました。禅宗がスリランカの仏教に最も近いそうです。 

       
        サリーの着付け (布は6m~10m) 先生の衣装は、パンジャブ

     
仕上げは額にシールを貼付 これは昔は結婚をした女性に夫が赤い染料を額二ヵ所に塗っていたことから・・・
 
 
 ご長男のサチンくん(私立中学生)は、マイケルジャクソンの歌を披露 彼の油絵は、2/4にup

         
          彼に花束贈呈

   
    講演会終了後の交流会でのご一家



    
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする