goo blog サービス終了のお知らせ 

未唯への手紙

未唯への手紙

地方自治の意義

2013年01月07日 | 3.社会
『地方自治論入門』より 地方自洽とは何か

地方自治は、日々の生活の中にある。そのため、ひとはだれでも、なんらかの形で地方自治にかかわりをもつ。そして,多くの国々では,地方自治は,憲法をはじめとした制度的にも保障をし,きわめて普遍的な価値となっている。では,地方自治には,どのような意義があるのだろうか。本章では,地方自治の意義や効能を,自由,民主性,効率性,政策の実験室,政府の役割分担という5つの点から整理する。

ひとつめは,自由としての地方自治である。立法・司法・行政によるヨコの権力分立と並んで,政治権力を中央と地方のタテに分立させることは,権力を多元化することである。多元化は,多様な価値観や利益をもつ国民が,政府の権力から,自らの自由を確保することを可能にする。地方自治は,このように国民の自由を確保する意義をもつ。たとえば,政府が人種,民族,宗教などにおいてひとつの価値観に基づき形成された国では,一部の地域や少数民族がもつ他の価値観は自己主張をすることが困難となるだろう。しかし,各自治体に自治権が確保されていると,国レペルでは退けられたさまざまな価値観や利益を実現することも可能である。また,自治体が国への反対勢力となり,国による過度な権力の乱用を抑制する役割を果たすことも期待できる。まさに地方自治は,社会の多種多様な価値や利益を確保し,国民の自由を確保するための装置なのである。

ふたつめは,民主主義としての地方自治である。民主主義とは,国民の一人ひとりによって権力をつくりあげることである。そして,民主主義と地方自治は,イギリスの歴史学者のジェームズ・ブライスが「地方自治は民主主義の学校である」と述べたように切っても切り離せない関係にある。もちろん,民主主義は中央集権国家でも実現しうるし,逆に 自治体であれば,民主主義が必ず実現されるわけではない。民主的に運営されるかどうかは,その自治体次第である。ではなぜ地方自治が民主主義と結び付けて考えられるのか。それは本章の冒頭で述べたように 自治体は国と比べて身近にあるためである。国よりも規模の小さい自治体の方が金銭的,時間的な負担が軽く,普通の住民にとって政治参加がしやすい。そして,身近な地域の政治過程への参加を重ねることは,人々が民主主義の価値と意義,その効果を実感し,理解を深める機会を提供してくれる。そのため,民主主義と地方自治は不即不離なのである。

3つめは,効率性としての地方自治である。これは,限られた資源を効率的に分配するためには,どのような制度が望ましいかという視点から,地方自治の意義を評価するものである。たとえば,アメリカの財政学者であるチャールズ・ティボーは,「足による投票(voting on foot)」のモデルを提唱している。このモデルでは,移動コストが掛からず,自治体の情報が住民間で共有するという一定の前提が満たされた場合,住民は自らの選好にあう政策を提供する自治体へと引越する,と考える。その結果,行政のサービスは,最も効率的に住民に促供されることになる。理論的なモデルであるため,実際の自治体の政策助向とは必ずしも一致しない部分もある。しかしたとえば,音楽が好きな住民はコンサートホールのある自治体に水泳の好きな住民はプール施設がある自治体へ,働きつつ育児をする住民は保育サービスが充実した自治体へと引越しすることもある。すると,今までのように,すべての自治体がコンサートホールもプールも建設する必要がなくなり,住民の需要を満たしつつ,行政のサービスの無駄がなくなるのである。また自治体は,他の自治体へ住民が移住しないように より低い税金で高いサービスを維持できるよう,効率化をめざして自治体みずから改革に励むことになる(ヤードスティック競争)。画一的な国のサービスとは異なり,地域や住民のニーズなどの情報をもつ自治体が,各地域にあった政策を取捨選択することで,公共サービス配分の効率化も期待できる。

4つめは,政策の実験室としての地方自治である。 1960年代頃から,日本の自治体では,とくに,福祉,環境の政策分野という,国の政策では従来対応ができていなかった政策分野に自治体が自ら率先して政策を創設してきた。それは,個別の政策分野に限られず,情報公開や行政改革などの行政運営の基盤となるような仕組みに関しても,国レペルでの法制化に先んじて自治体自らが実践してきた。このように 自治体と国との間での政策づくりという点から見ると,多くの自治体が,それぞれ自由に管匪的で多様な政策をっくり,実施することで,自治体が直面する問題の解決策を見つけ出している。そして,その一部の自治体での試みが,国レペルヘと波及をして,全国レペルの自治体の政策として展開することもある。このように地方自治の現場は,政策の実験室であり,数多くの実験という試行錯誤のなかから,望ましい成果が発見されるのである。

5つめは,政府の役割分担としての地方自治である。多くの国々では,国と地方という複層の政府から国の体系が築き上げられている。では,国と地方との間ではどのような役割分担を図ることができるのか。住民との近接性からいえば,地方自治には,まさに地域に関する役割を担うことが,これまで述べてきた民主性,効率性の観点からも望まれるところであろう。そして,自治体があることで,国の役割もより明確になる。たとえば,外交,通貨管理,国防といった,国がマクロ的な視点から,国独自の使命に専念できるのである。

ここまで地方自治の意義を見てきた。しかし地方自治は万能ではない。限界もある。たとえば,ある自治体への有力な企業や工場の立地には,地域経済の活性化,雇用の創出,税収の確保等が期待される。しかし,多くの企業はいくつもの地域に工場をおくことはできない。そこで,各自治体間で競争が生じる。これは,国内に限らず,国際的な自治体間の競争にもなっている。その自治体間での競争に勝ち,企業や工場を誘致するために企業側に有利な条件を設定しようと減税や規制緩和を行うこともある。その結果,確かに企業は誘致をすることができたとしても,自然環境や労働環境,社会福祉が非常に低い水準に引き下げられてしまうことがある。これを「底辺への競争(race to thebottom)」という。

企業社会 選択の多様性

2013年01月07日 | 3.社会
『変わる社会、変わる人びと』より 企業社会-「豊かさ」を支える装置

公害問題は、加害が明確なケースだけではなく、加害・被害を峻別できない自動車排気ガスによる光化学スモッグなども含んでいた。そのため反公害運動は一種の「文明批判」とも言うべき様相を伴いながら展開することになった。「反公害」か「経済成長」かという問いかけ自体が、そうした側面を持っていたが、そのことは、「豊かさ」について社会の基底的な部分で共有されてきた価値観が多様性を伴いながら変質していく契機でもあった。

もちろん変わらない部分もあった。鈍化する成長率のもとで新規雇用の量的な制限が強まれば、「望ましい雇用機会」を掴むためにより高い教育を受ける必要があった。「学歴志向」が強まったことは、その一例であり、その分だけ家計の所得の自由度は失われた。会社を稼得の場所とし、企業社会に子弟の将来を託すような従業員としての人びとの考え方には、大きな変化はなかったということであろう。

それでも、経済大国化した日本に対して、住環境の低水準が「ウサギ小屋」と評価されたり、「過労死」が問題化し、猛烈な長時間労働に対する反省が迫られるなどの新しい動きも生じていた。また、非正規労働者の比率が相対的に増加し、そうした雇用形態の人びとが未組織のまま市場に放置されていることに対する批判も強くなった。非正規のパート労働などが抱える不安定な雇用期間、低い賃金水準などの問題に対する対処は不十分なままであった。人びとはその不満を政策的措置に結びつける回路を欠き分断されていた。ただし、非正規労働の増加は、フルタイムでは労働市場に参入しがたい条件を持つような人びとに対する雇用の機会を開くという側面もあった。

こうしたなかで、最も明確な変化を示したのが「消費者」の行動であった。一九七〇年に放送されたテレビCM「モーレツからビューティフルヘ」は、時代の変化を象徴するものであった。「モーレツ」な働き方から脱却し「ビューティフル」な生き方への転換を予告するこのフレーズには、消費者が個性的で多様な選択を行うことの重要さを訴え、そこに本来的な「豊かさ」を見出すべきことを告知するものとなった。

選択の多様性が求められた背景には、それまでの経済発展が生み出した二つの事情があった。一つは、成長の持続によって個々の家計の消費水準がかなりの程度高まり、「過剰富裕化」と批判されるような状況[馬場一九八六]の下で、追加的な消費支出の選択肢に、横並びではない個性が尊重されうる余裕が生じた。もう一つは、供給サイドが作り出してきたフルライン化、製品差別化戦略の展開であった。その意味では、こうした変化は高度成長期の企業行動が自ら作り出したものということができる。

選択の多様化は、多種類の製品から何を選ぶか、どのような消費支出に所得を分配するかという消費者としての行動にとどまらなかった。たとえば残業などによる所得増加よりも定時の退社や余暇時間の増加を望むなど、働き方にも変化を生んだ。「専業主婦」を一つの理想型とみていた女性たちにも多様な選択肢を与える変化を含んでいた。それらの変化は人びとが多様な機能的な社会関係のなかで、雇用関係を第一とするような行動原理から幾分自由になり、その優先順位を見直すようになったことを示唆していた。

もっとも、女性の社会進出に見られるように、この変化にはそれまでの社会通念に規定されたバイアスも残っていた。たとえば、労働力の不足を背景に促進された男女共同参画などの試みには、男女雇用機会均等法に示されるような、女性にフルタイムの企業戦士の隊列に加わることを求めるような考え方がしみこんでいた。ワークライフバランスが課題として認識されるまでにはまだ時間が必要であった。しかし、この変化も、選択の多様性を認め、人びとがそれぞれの価値観や判断に基づいて、自らの生活のあり方を選択できる方向への変化としては前進であった。

ポータルの4つの機能

2013年01月07日 | 5.その他
自律神経がいかれそう

 自律神経が本当にいかれそう。11日間、どういう顔で出てくるかをイメージしていた。予想がつくだけに、怖い。

ポータル機能の整理

 ポータルの目的の整理を行った。以下の4つの機能に集約しました。

 8.5 ポータル

  8.5.1 現行機能

   8.5.1.1 コミュニケーション
    ①個人認証 ②他システムリンク ③シングルサインオン ④レイアウト管理の操作性と権限

   8.5.1.2 メッセージ
    ①本社・店舗間の掲示板 ②本社・店舗間のメッセージ ③チャッター的機能 ④画面(IFLAME)

   8.5.1.3 情報収集
    ①アピール・アンケートを保証 ②基幹系データ収集 ③ユーザーでの加工 ④関係者への結果表示

   8.5.1.4 ライブラリ
    ①本部のストック情報 ②メッセージとのリンク ③店舗からの情報確保 ④スタッフからの検索
要件の表現

 それにしても、同じポータルでありながら、3人で捉え方がバラバラです。

 Oのまとめ方 要求仕様
  1)ポータルとしての基本要件
   ・ポータル画面レイアウト(分割)の販売店毎のカスタマイズ(ユーザーレベルのレイアウト変更抑止)
   ・ポートレット(部品)の自由な配置(ユーザーレベルの変更抑止)
   ・ポータル上での簡易コンテンツの作成・修正(ポートレット)
   ・ポータル上でのIFRAME作成(ポートレット)
  2)次世代要件
   ・各種設定作業がポータル実画面上の直接編集などの直感的操作感覚であること
   ・ユーザー管理者権限に応じたポートレットの編集権限設定(同一画面上に権限担当の異なるポートレットが配置)
  3)個別機能
   ・外部認証との連動(シングルサインオン)
   ・業務メニュー
    ・会社単位、組織、グループ単位による業務メニュー設定
    ・代理認証(引数(キー、バリュー)
    ・クリックによるJavaScript関数呼び出し
   ・お知らせ機能
    ・掲示版としての機能
    ・簡易メールとしての機能
    ・分類による表示絞込み
    ・検索、並び替え
    ・お知らせポートレットの表示枠サイズの指定
    ・外部システムからのお知らせ機能への連動
    ・お知らせ機能とメールの連動
   ・アンケート機能(基本)
   ・アンケート機能(高級追加機能)
   ・実績表の表示

 パートナーの要件
  業務メニュー
   他システムへのリンク
   代理認証でのシングルサインオン
  アピール・アンケート
   XMLデータ取込みによる集計画面作成
   店舗、スタッフ単位での入力
  お知らせ:業務連絡など社内メッセージの送受信
  実績コンテンツ
  情報系通知
  ライブラリ
   社内掲示板。階層毎に公開先指定
   掲載情報はお知らせで通知
  簡易ウェブ
  テロップ
  レイアウト管理:ポータルページの作成

ペソス対出版社

2013年01月06日 | 6.本
『ワンクリック』より

いずれにせよ、キンドルが衝撃だったのは事実である。キンドルの発表を境に、出版界の関心は「読者は電子書籍を望んでいるのか?」から「読者は今後、物理的な本を読みたいと思うのか?」へ移った。ジェフ・ベソスはキンドルで出版界を根底からひっくり返してしまったのだ。2010年12月の時点で、一部の大手出版社では、電子書籍が売上の10%を占めているー価格は(ードカバーの半分だというのに、である。つまり、登場からわずか3年で、一部の出版社においては、電子書籍が20%を占めるようになったわけだ。

ペソスは電子書籍に入れ込んでおり、損失覚悟で普及を進めている。電子書籍は大半を9ドル99セントという安売り価格で販売しているが、この価格では、1冊あたり最大で5ドルもの損失がでる。そこまでするのは、アマゾンのルーツとなった事業の未来は電子書籍にあると考えているからだ。だから、バーチャルな書棚に他社が足がかりを得られないようにして、この分野をりIドし続けようとしているのだ。

最近は、この価格戦略を続けにくい状況が生まれている。いままでベゾスは出版社に対する強い発言力を利用して、紙版の本と同じように電子書籍も安く仕入れようとしてきた。一方、出版社側には、電子書籍は安いものだと読者が思ってしまうのではないかとの恐れがある(恐れは現実になりつつあるかもしれない)。そのせいで電子書籍の卸売価格が安くなれば、出版社に利益など残らない。だから、電子書籍について新しい値付け方法を採用するところが増えている。新しい形は「エージェンシーモデル」と呼ばれ、紙の本と同じように出版社が電子書籍の小売価格を決める(12ドル99セント、14ドル99セントなど)。また、小売価格の70%は出版社の取り分とする。小売業者が割引販売をすることは自由だが、その原資は残り30%から捻出しなければならない。

ベソスは、この流れを止めようと手を尽くしている。2010年1月28日、エージェンシーモデルを提案するため、大手出版社、マクミランのCEO、ジョンーサージェントがシアトルのアマゾンを訪問した。アマゾンがいやならいままで通りのやり方でもかまわないが、彼のブログによると、その場合、アマゾンに提供する「タイトルは大幅に絞り込むことになる」と言ったらしい。それからI週間もたたずにアマゾンは、マクミランの本をすべてー紙版も電子版もIサイトから外すという対抗策に出る(例外として、他社がアマゾンを通じて販売しているものは残した)。

これはアマゾンの負けだった。ベソスはサージェントの要求を飲み、合意から1週間ほどでマクミランの本、すべてを復活させる。このような結末になった要因のひとつに、スティーブージョブズがエージェンシーモデルに合意していたことが挙げられるだろう。ベソスが折れないなら、出版社としては、アップルに乗り換えればいい状態だったのだ。これに対抗するように、アマゾンは、2010年10月、キンドルストアで著者が直接電子書籍を出版すれば、70%の印税を支払う仕組みを提案する(米国の場合、出版社が支払う印税は、25%が多い)。

いまのところキンドルは、電子書籍リーダー市場をりIドしている。調査会社のチェンジウェーブによると、2011年初頭、キンドルが47%の市場占有率でトップだった。これに32%で続くのがアップルのIPadである(iPadは電子書籍を読むだけの機器ではなく、高価である)。ソニーリーダーとバーンズ&ノーブルのヌックは5%と4%で大きく遅れている。

しかし、キンドルがいつまでリードを保てるのかは予断を許さない。アップルのiPadが登場するまで、電子書籍リーダーの市場はアマゾンのひとり勝ち状態だった。ほかにも、執念をもってがんぼるライバルがいる。白黒のキンドルにカラーのヌックをぶつけてきたバーンズ&ノーブルだ。2010年末、バーンズ&ノーブルはヌックカラーが史上最高のペストセラー商品になったと、どこかで聞いたような発表をしている。ヌックは、バーンズ&ノーブル以外に、ベストバイやウォルマートなどの量販店でも買える。バーンズ&ノーブルの発表によると、2010年のクリスマスには100万冊以上の電子書籍が売れたという。

出版社に圧力をかけて電子書籍の大幅割引を引き出そうとするベゾスにとって、もうひとつ、じやまなのがグーグルである。2010年12月、グーグルは、グーグルイーブックスというオンラインショップをスタートさせる。しばらく前からデジタル化してきた書籍を売ろうというのだ。電子書籍を読むデバイスはiPadからスマートフォンまで幅広く対応しているが、その例外がキンドルである。これは、グーグルの市場を制限することになるのか(キンドル人気が続けばそうなる)、それとも、他社の電子書籍もキンドルで読めるようにアマゾンが方針転換せざるをえなくなるのか(キンドルは独自フォーマットなので難しい)、どちらだろうか。

出版社はグーグルの書籍デジタル化プロジェクトに抵抗していたが、グーグルがエージェンシーモデルに同意したことを受け、提携するところが増えている。リアル店舗しかない書店も、これで自分たちも電子書籍が販売できるとグーグルの動きを歓迎。グーグルは、独立系書店が自社ウェブサイトでグーグルの電子書籍を販売してもよいとしているのだ。

グーグルは市場全体を占有しようとは考えていないと、書店各社はいまのところ見てい

「小売店になるのはグーグルのビジネスモデルにありませんから」

と指摘する米国書店協会CEOのオーレンータイチャーは、グーグルのおかげで、独立系書店がアマゾンに対抗できるようになるとも考えている。タイチャーはこう言う。

「技術のコストが大きく下がったので、国際的な巨大企業でなくても技術が使えるようになったのです」

リアル店舗で顧客に本をすすめてきた書店なら、オンラインの顧客に対しても新しい本を上手にすすめられるはずでもある。さらにタイチャーは続ける。

「適切な本を買い手にお渡しするのは我々の得意とするところです。本が大好きで知識も豊富ですからね」

これに対し、ペソスが情熱を燃やしているのは電子商取引である。ベゾスは今後もキンドルを進化させ、市場の頂点に居続けようとするだろう。汎用機器ではなく専用の電子書籍リーダーに集中するのもベソスの戦略である。電子インクなどの技術が使えるのも、この戦略があるからだ。電子インクは次のページを表示するのに紙の本をめくるのと同じくらい時間がかかるため、コンピューターには遅すぎて使えないが、長時間読んでも疲れないとか日の光があたっても読めるといった特長がある。ただ、今後もこの戦い方で行けるかどうかはわからない。競合他社が次から次へと市場になだれ込んできていることを考えると、当初のりIドをアマゾンが守れなくなる日が来ないとはかぎらないだろう。

ペソス対出版社

2013年01月06日 | 6.本
『ワンクリック』より

いずれにせよ、キンドルが衝撃だったのは事実である。キンドルの発表を境に、出版界の関心は「読者は電子書籍を望んでいるのか?」から「読者は今後、物理的な本を読みたいと思うのか?」へ移った。ジェフ・ベソスはキンドルで出版界を根底からひっくり返してしまったのだ。2010年12月の時点で、一部の大手出版社では、電子書籍が売上の10%を占めているー価格は(ードカバーの半分だというのに、である。つまり、登場からわずか3年で、一部の出版社においては、電子書籍が20%を占めるようになったわけだ。

ペソスは電子書籍に入れ込んでおり、損失覚悟で普及を進めている。電子書籍は大半を9ドル99セントという安売り価格で販売しているが、この価格では、1冊あたり最大で5ドルもの損失がでる。そこまでするのは、アマゾンのルーツとなった事業の未来は電子書籍にあると考えているからだ。だから、バーチャルな書棚に他社が足がかりを得られないようにして、この分野をりIドし続けようとしているのだ。

最近は、この価格戦略を続けにくい状況が生まれている。いままでベゾスは出版社に対する強い発言力を利用して、紙版の本と同じように電子書籍も安く仕入れようとしてきた。一方、出版社側には、電子書籍は安いものだと読者が思ってしまうのではないかとの恐れがある(恐れは現実になりつつあるかもしれない)。そのせいで電子書籍の卸売価格が安くなれば、出版社に利益など残らない。だから、電子書籍について新しい値付け方法を採用するところが増えている。新しい形は「エージェンシーモデル」と呼ばれ、紙の本と同じように出版社が電子書籍の小売価格を決める(12ドル99セント、14ドル99セントなど)。また、小売価格の70%は出版社の取り分とする。小売業者が割引販売をすることは自由だが、その原資は残り30%から捻出しなければならない。

ベソスは、この流れを止めようと手を尽くしている。2010年1月28日、エージェンシーモデルを提案するため、大手出版社、マクミランのCEO、ジョンーサージェントがシアトルのアマゾンを訪問した。アマゾンがいやならいままで通りのやり方でもかまわないが、彼のブログによると、その場合、アマゾンに提供する「タイトルは大幅に絞り込むことになる」と言ったらしい。それからI週間もたたずにアマゾンは、マクミランの本をすべてー紙版も電子版もIサイトから外すという対抗策に出る(例外として、他社がアマゾンを通じて販売しているものは残した)。

これはアマゾンの負けだった。ベソスはサージェントの要求を飲み、合意から1週間ほどでマクミランの本、すべてを復活させる。このような結末になった要因のひとつに、スティーブージョブズがエージェンシーモデルに合意していたことが挙げられるだろう。ベソスが折れないなら、出版社としては、アップルに乗り換えればいい状態だったのだ。これに対抗するように、アマゾンは、2010年10月、キンドルストアで著者が直接電子書籍を出版すれば、70%の印税を支払う仕組みを提案する(米国の場合、出版社が支払う印税は、25%が多い)。

いまのところキンドルは、電子書籍リーダー市場をりIドしている。調査会社のチェンジウェーブによると、2011年初頭、キンドルが47%の市場占有率でトップだった。これに32%で続くのがアップルのIPadである(iPadは電子書籍を読むだけの機器ではなく、高価である)。ソニーリーダーとバーンズ&ノーブルのヌックは5%と4%で大きく遅れている。

しかし、キンドルがいつまでリードを保てるのかは予断を許さない。アップルのiPadが登場するまで、電子書籍リーダーの市場はアマゾンのひとり勝ち状態だった。ほかにも、執念をもってがんぼるライバルがいる。白黒のキンドルにカラーのヌックをぶつけてきたバーンズ&ノーブルだ。2010年末、バーンズ&ノーブルはヌックカラーが史上最高のペストセラー商品になったと、どこかで聞いたような発表をしている。ヌックは、バーンズ&ノーブル以外に、ベストバイやウォルマートなどの量販店でも買える。バーンズ&ノーブルの発表によると、2010年のクリスマスには100万冊以上の電子書籍が売れたという。

出版社に圧力をかけて電子書籍の大幅割引を引き出そうとするベゾスにとって、もうひとつ、じやまなのがグーグルである。2010年12月、グーグルは、グーグルイーブックスというオンラインショップをスタートさせる。しばらく前からデジタル化してきた書籍を売ろうというのだ。電子書籍を読むデバイスはiPadからスマートフォンまで幅広く対応しているが、その例外がキンドルである。これは、グーグルの市場を制限することになるのか(キンドル人気が続けばそうなる)、それとも、他社の電子書籍もキンドルで読めるようにアマゾンが方針転換せざるをえなくなるのか(キンドルは独自フォーマットなので難しい)、どちらだろうか。

出版社はグーグルの書籍デジタル化プロジェクトに抵抗していたが、グーグルがエージェンシーモデルに同意したことを受け、提携するところが増えている。リアル店舗しかない書店も、これで自分たちも電子書籍が販売できるとグーグルの動きを歓迎。グーグルは、独立系書店が自社ウェブサイトでグーグルの電子書籍を販売してもよいとしているのだ。

グーグルは市場全体を占有しようとは考えていないと、書店各社はいまのところ見てい

「小売店になるのはグーグルのビジネスモデルにありませんから」

と指摘する米国書店協会CEOのオーレンータイチャーは、グーグルのおかげで、独立系書店がアマゾンに対抗できるようになるとも考えている。タイチャーはこう言う。

「技術のコストが大きく下がったので、国際的な巨大企業でなくても技術が使えるようになったのです」

リアル店舗で顧客に本をすすめてきた書店なら、オンラインの顧客に対しても新しい本を上手にすすめられるはずでもある。さらにタイチャーは続ける。

「適切な本を買い手にお渡しするのは我々の得意とするところです。本が大好きで知識も豊富ですからね」

これに対し、ペソスが情熱を燃やしているのは電子商取引である。ベゾスは今後もキンドルを進化させ、市場の頂点に居続けようとするだろう。汎用機器ではなく専用の電子書籍リーダーに集中するのもベソスの戦略である。電子インクなどの技術が使えるのも、この戦略があるからだ。電子インクは次のページを表示するのに紙の本をめくるのと同じくらい時間がかかるため、コンピューターには遅すぎて使えないが、長時間読んでも疲れないとか日の光があたっても読めるといった特長がある。ただ、今後もこの戦い方で行けるかどうかはわからない。競合他社が次から次へと市場になだれ込んできていることを考えると、当初のりIドをアマゾンが守れなくなる日が来ないとはかぎらないだろう。

不自由さを増すインターネットの中で

2013年01月06日 | 3.社会
『LINE』より

不自由さを増すインターネットの中で

 このようにTwitterとFacebookを見ていくと、進化し便利になっていくはずのインターネットサービスが、なんだかより不自由な方向に向かっているように感じられるのは私だけでしょうか?結局のところ、個々のユーザーの情報リテラシーと、サービスやツールの進化、そしてそれらに応じた社会の変化という3つの要素の足並みがある程度揃わない限りは、こういった難しさ、居心地の悪さから私たちが解放されることはないのです。

 自動車に例えると分かりやすいかもしれません。移動手段として急速に普及した自動車は、誕生当初さまざまな問題を引き起こしました。道路インフラが未整備だったり、運転技術が未熟であれば事故の起こる確率はさらに増します。

 一方で、自動車関連の技術はどんどん高まり、よりスピードが出る車が大量生産されたわけです。今、インターネット、特にソーシャルメディアの分野ではそれに似た状況が生まれていると言えるのではないでしょうか?

 「ソーシャル疲れ」という言葉も時々目にします。ITにさほど詳しくない人にとっては、慣れないツールの使い方と、そこで繰り広げられる独特な人間関係の両方をコントロールしなければならず、これはなかなか(ードなチャレンジだと言えるでしょう。

 LINEが急速に支持を広げた背景には、こういった既存のソーシャルメディアが避けることが難しい課題とLINEが無縁だったことも大きく関係しています。アドレス帳をペースに、スタンプでのコミュニケーションが成立する範囲が限定されたクローズドな場に、私たちが求める「気持ちのいい空間」がいったんは落ち着きどころを得だのかもしれません。

クローズな空間からオープンな場へ

 Twitter、Facebookとも、ベースはオープンな場にあり、1対1のメッセージ機能は補完的な位置づけに留まっています。一方、LINEは1対1のクローズドなつながりをペースに、ホームータイムラインの採用、プラットフォーム化を通じて少しずつオープンな場ともなろうとしているように見えます。

 パソコンベースのインターネット=オープンな空間という伝統と無関係ではいられないTwitter、Facebookと、肌身離さず持ち歩くモバイルというプライベート性が高いデバイスを起点に置くLINEは全く逆のアプローチを取っているのです。

 オープンかクローズかI私たちの生活そのものにも当てはまるこの二つの側面を、どう一つのサービスで両立させるのか?インターネットの歴史を振り返っても、さまざまな努力が繰り返されてきました。

 実は日本発のSNSであるmixiもこのテーマに関して一つの構想を示しています。mixiを象徴する日記のようなプライベート性の高い場所を「ホームエリア」、そしてコミュニティや、企業や著名人が情報発信をし、そこで交流も可能な「ぺージ」を「タウンエリア」と定義したのです。

 mixiも2004年のスタート以来、2000万人を超えるユーザーを抱えており、さまざまな機能を追加し続けてきました。2000万人といえば、東京都の平日昼間の人口に匹敵するボリュームです。

 筆者が笠原健治社長・原田明典副社長兼COO(当時)にインタビューを行った際にも「(アーリーアダプターからレイトマジョリティまで)全ての人を満足させるサービスを構築し、運営するのは難しい」と率直な心情を語っていたのが印象的でした。実際、この構想とともにスタートした「ページ」は現在のところ残念ながら多くの成功例を生むには至っていません。

 オープン、クローズな場の両方を持ち、「オープン化」と銘打ってプラットフォームにも進化しようとしたmixiは、必要とされる多様な機能とユーザーが生み出すコンテンツをうまくコントロールしなければならず、大量のリソース(人手やコスト)と難しい舵取り(経営判断)を日々迫られているのです。

 これに対して、現状のLINEの機能は比較的シンプルです。先述したNHNJapanの舛田淳氏へのインタビューからも、慎重にューザーの反応を見ながら徐々にオープンな要素をそこに加えようとしている様子がうかがえます。

 LINEの進化は、従来のSNSがなかなか完成させることができなかった、クローズでいてかつオープンなコミュニケーションも安心して楽しめる場への到達へのチャレンジでもあるのです。

売り方の革新

2013年01月06日 | 5.その他
部族コミュニティ

 アフリカは2000、3000の部族に分かれる。それ自体に主権国家を持たせるわけにはいかない。かといって、投票で決めると問題が広がる。部族をコミュニティとして扱って、新しいまとめ方を考えていけばいい。

インターネットでパイの拡大ができていない

 インターネットは結局、パイの奪い合いになって、日本全体はパイの拡大につながっていない。元のお金がない。

 本来は経済構造へのシフトを意味しないといけないのに、これができていない。単なる、私的な消費行動だけに使われている。新しい価値の生産に影響を起こしていない。これは何か。

 インターネットビジネスの最大なものは情報共有指数です。これを増やして、活性化することです。個人レベルでの活性化はリスクが多いので、グループとしての活性化していくことです。販売店システムと店舗の活性化です。

 インターネットで変われるのに、経営者が気づかないのであれば、お客様とかスタッフの方から変えていかないといけない。そのための道具はメーカーとして、用意します。まあ、タイムマシンですけど。

売り方の革新

 日本での売り方を海外にもっていかないといけない。今は中国での売り方を日本に持ってきている。これはうまくいっていない。なぜ、革新できないのかというと、日本型の企業組織の特性なのでしょう。

 多様な要素のプレイヤーの柔軟な結合による、イノベーションの創出ができない。タテ型でやろうとしてます。上がいないし、方向がないから、それはできない。多様なプレイヤーを使っていかないといけない。そこから知恵を出して、お客さんに何をしたいのか、地域として、何をしたいのか。

SFDCの意味

 SFDCはアカウントと言っているけど、本来は投資に対して、コストは無料です。アカウントで2000億円の利益になっている。そのうちの2億円ぐらい、どうにかせよと言いたい。

 それでポータルのひな型ができれば、お客様ポータルも提案できる。メッセージ系はクラウドの向いている。

 問題はSFDCにすることの意味です。ポータルを拡張あるものにすることで、電算部、ネットワーク管理部署、eとどうつなぐかです。今まで、内から発信したものはないです。すべて、クローズしています。オープンさせていきます。

公共圏の実現

 当然、ブログが普及しても、公共圏は実現しない。社会は変わらない。社会を変えるところは社会がやっていく。生産の領域としては、イノベーションを満たす、政策をつくる、公共的議論を立てる、といったところです。

 ここをやっていくためには、市民の意識から変えていかないといけない。これはツールではできないけど、ツールがないと表現できない。それ以外にそういう人たちとコミュニケーションができる手段がありえない。

 だから、ゲーム化から入って、コミュニティ化していくというのが、一つの方法です。そこで引き付けておいて、ツールを持たせて、場を作っていく。その場にNPOとか、行政とか企業が絡んでいくことです。

インターネットができること

 その意味では、インターネットができるのはつなぐことだけかもしれない。図書館もそうだけど、制限を加えている教育委員会を外していく活動です。

 どのようにして連携するかという、つながり方は色々と考えていかないといけない。アフリカを含めて。

セネカはキンドルペーパーで読むと読みやすい

 我々の生が短いだけど、われわれ自身が生を短くしている。

 生は欠乏しているのではなく、充分にある。それが真相である。

現在のクラウド セールスフォース・ドットコム

2013年01月05日 | 5.その他
『「クラウド化」と「ビッグデータ活用」はなぜすすまないのか?』より

コツコツ、バラバラにコンピューターシステムをつくるのは無駄だというスローガンを掲げて登場したのがセールスフォース・ドットコムだった。セールスフォース・ドットコムの最初のキャンペーンポスターはゴーストバスターズの禁止マークに押し込められたお化けをパロディーにした“No Software”だった。神の子が雲の世界に帰りたくなったのだ。

本書の冒頭でも紹介したようにセールスフォース・ドットコムが提供したのは営業をする人が情報共有をするためのツールだった。

セールスフォース・ドットコムは自分たちが提供するソフトウェアだけではく、ソフトウェアを販売している会社がそのソフトウェアをセールスフォース・ドットコムと同じ形で提供できるサービスも提供している。アップエクスチェンジ(AppExchange)だ。

AppExchangは市場力学を利用していた。そのほうがコミュニティーは機能する。他のマーケットプレイスもそうだが、顧客は必要なアプリケーションを探し出し、試し、その感想を他のユーザーに話すことができる。ユーザー同士が交流すれば、そこにアプリケーション開発者にとっての巨大な顧客基盤が生まれる。それは当社にとってもすばらしい事業機会となる」(マーク・ベニオフ、カーリー・アドラー『クラウド誕生』斉藤英孝訳ダイヤモンド社、2010年)

アップエクスチェンジヘの期待は大きい。しかし、提供されているソフトウェアにはあまり魅了的なものがない(著者の主観)。大もとのセールスフォース・ドットコムに連携するソフトウェアがほとんどで、使い勝手のよさや、使用した際の効果をあまり感じられない。

セールスフォース・ドットコムのアップエクスチェンジでランキングをのぞいてみるとこうなっている。

トップ10のすべてがセールスフォース・ドットコムとの連携ツールだ。しかも、セールスフォース・ドットコムに依存した小ぶりなものばかりだ。エコシステムではあるがセールスフォース・ドットコムヘの共棲動物、共棲植物ばかりになっている印象だ。しかも、アウトルック、リンクトインというほかのメジャーサービスとのつなぎを行なうものがトップ3を占めている。

ちなみに日本語サイトでは、図表612のようになっている。

第一印象は人気ランキングといいながら、レビューがきわめて少ない。つまり利用されていないということだ。次に思うのは、2位のグロービア オーダーマネジメント以外は、派生機能を提供していること。グループウェアであったり、帳票作成、地図連携、メール配信、ニュース配信であったりだ。

こうした便利機能で生産性が上がることもあるが、私の経験からすると、こうした機能はなくてもいいものだ。つまり、どうしてもその機能が欲しい人以外は使わないということだ。使う人によってはどうしても欲しいという人もいるだろう。しかし、そういう人がそれほどいるとは思えない。共棲型のものはしようとして、かえって小ぶりになってしまっている印象だ。そうではあるが、こうした核から外れたものをバカにしてはいけない。進化は辺境から起こるからだ。

セールスフォース・ドットコムが初期のクラウドに進化的爆発をもたらしたことは間違いない。セールスフォース・ドットコムに続いたのがネットスイートであり、アリバであり、サクセスファクターズであったからだ。しかし、こうしたメジャーなクラウド同士の連携はアップエクスチェンジではまだ起こっていない。まだまだマーク・ペニオフが目指した状況にはなっていないということだ。

アップエクスチェンジはセールスフォース・ドットコムを中心にエコシステムを形成し始めていることは間違いない。これから進化を助長する豊かな生態系になっていくことを期待する。

クラウド以前のクラウド的なもの カーシェアリング

2013年01月05日 | 3.社会
『「クラウド化」と「ビッグデータ活用」はなぜすすまないのか?』より

シェアという概念はまさにクラウドの思想だ。すでに車、自転車、家、服などさまざまなシェアが実現している。最近のシェアの広まりにはインターネットの普及も一役買っている。シェアがもっとも普及しているカーシェアリングでクラウドな要素を見てみる。

自分で車を所有せずに利用する形態にはカーシェアリングのほかにレンタカーがある。カーシェアリングには次に説明するようにいろいろな形態がありレンタカーに近いものもある。大きな違いは、レンタカーの場合は、レンタカーオフィスがあり、そこでレンタカーを借りる。カーシェアリングの場合、オフィスに行って借りるということはない。最近ではインターネットを使って極力人手がかからないように運営されている。

もっとも古いカーシェアリングの取り組みは、1948年にスイスのチューリッヒにおいて実施された。当時の取り組みは、車を購入できない人を対象としたものであった。大型コンピューターを所有できない人や企業が大学などにあるコンピューターをネットワークでつないで利用した初期のコンピューターの利用と同じく、最初は費用の制約を越えるためにシェア(クラウド)があったのだ。

カーシェアリングには、4つのタイプがあるとされる。それぞれのクラウドな視点を見てみ1つ目は運営組織が車を所有するもの。

2つ目は地域内で車を見つけて乗り、地域内の好きなところで乗り捨てられるもの。

3つ目は会員の誰かが所有する車を必要に応じて貸し出すもの。

4つ目は会員の誰かが所有する車を相乗りして通勤などに使うもの。

まず、クラウドの追加の要件で見てみる。

4つに共通するのは、車の空き情報、位置情報などが共有される点だ。人間が果たす役割は、空いているときは使わないともったいないので使いたい人に使ってもらおう、あるいは相乗りして効率化しようという気持ちの部分だ。競争はシェアとは対極の行為であるが、シェアにも競争はある。1つ目、2つ目は中核になる組織があるので会費の安さが競争要因となる。3つ目、4つ目は、運営組織としては会員をたくさん集めること、車の所有者としては気持ちよく使ってもらえるように車を維持し乗車時間を楽しく過ごすことだ。

1つ目は、起点型。レンタカーに近いものだ。中心となる組織があって、その組織が車を所有し、その組織の会員が利用する。ドイツではカンビオ、ドイツ国鉄、スイスではモビリティ・カー・シェアリング、米国ではジップカーなどがある。この型では会員数を増やし、事業を大きくすることでシェアする車の購入単価を下げることが事業の成否を分ける。米国最大のジップカーは70万人の会員と1万台の車を所有している。事業の規模が成否を分ける点はアマゾンやグーグルのクラウドビジネスとイメージが重なる。会員がある程度以上の人数になると同時に使いたい人は会員数と比べるとそれほどいないので少ない台数やリソースでやりくりできるということだ。一見、データとは結びつかないように見えるが、実は、その巨大な会員ネットワークの行動データが収集されるという側面がある。

2つ目は、地域内自由確保/乗り捨て型。これも中心となる組織があるものだ。ある地域の中で利用者は自由に車を確保し、自由に乗り捨てられる。自由ではあるが正確には町の多くの駐車スベースで車の確保、乗り捨てをしている。鍵は物理的なものではなく、番号などにする工夫がされる。ドイツでは、ダイムラーやBMW、フォルクスワーゲンが新しい都市交通の実証実験として取り組んでいる。コンピューターでいえば、モバイルインターネットに相当するだろう。モバイルでインターネットに接続できれば自分が使いたいデータをどこからでも使えるからだ。ここもまだデータは行動記録が収集されるだけで何も生み出していない。

3つ目は、共同利用型。組織は車を所有しておらず、(会員)所有者と(会員)利用者のマッチングが行なわれる。この型では、所有者は利益を追求せず、利用者側は駐車料金やガソリン代だけを負担する。知り合いの会員同士でのカーシェアリングから始まり、近年では所有者と利用者を結びつけるための組織が設立される事例も目立っている。英国のウィップカーは、すでに450都市で所有者と利用者を結びつけるプラットフォームとして機能している。コンピューターの世界でいうと、宇宙からの電波の解析を世界中のパソコンで分散して行なっているシステムのが近い。所有者が利益を追求しない点はオープンソースに近い。利益を追わないところに示唆がありそうだ。

4つ目は、相乗り(ライドシェアともいう)だ。都市部への乗り入れが制限される欧米の都市近郊で普及している。SNSで相乗り相手を募集することが多く、ものとしての車のシェアがコンピューターのクラウドと融合した形態ともいえる。欧州で人気が高く、仲介サイトのカープ・リングやリフトシェアでは、それぞれ欧州全体で毎月200万人以上が相乗りに成功しているという。趣味や好みが合う人や、同じ分野の研究や勉強をしている人と通勤時間をシェアすることもある。相乗りメンバーのマッチングが行なわれているのだ。ここまで来るとシェアによって新たな価値が生まれている気がする。

車は、騎士やカウボーイの馬に相当するといわれる。いい馬をもっているということが自慢になるのだ。また、たくさん車を売りたい自動車メーカーからするとカーシェアリングは歓迎するべきものではない。しかし、社会全体の効率性は高まる。これらの点はコンピューターにも当てはまる。個人でも企業でも、高性能なコンピューターを所有することはそれ自体が誇りに思えることだ。コンピューターメーカーからしても、クラウドが普及することは機器が売れ レンタカー業者がやるシェア、自動車メーカーがやるシェア、利益を求めないシェア、目的が合う仲間で時間を共有するシェア。クラウドとデータの関係も同じように発展するのではないだろうか。行きつくのは「私がもっているアイディアをシェアするよ。だから一緒に考えようよ」という世界観だ。

クラウド以前のクラウド的なもの 図書館

2013年01月05日 | 6.本
『「クラウド化」と「ビッグデータ活用」はなぜすすまないのか?』より

クラウドを電子的なデータの共有の場と定義すると最初のクラウドはWWWとなり、生みの親はティム・バーナーズ・リーとなる。しかし、情報の定義を広げて知とすると最初の大規模な知の共有の場は図書館であり、アレキサンドリアの図書館の例を見てみよう。

アレキサンドリアの図書館への蔵書の蓄積は、WWW上で行なわれていることに近いものがある。強制的に蔵書を供出させていたのだ。アレキサンドリアに入港してくる船が積んでいる蔵書はすべて没収され、写本が返還されたのだ。当時いかに本(情報、知識)が貴重であったかがうかがえる。まさに競争によって知を獲得していたのだ。そして、アレキサンドリアでは世界の英知が図書館によって、共有され、公開された。今ならグーグルがやっているように自動の写本機(スキャナー)で写すことができるが当時は手で書き写していたのだ。まさに人の力によって知のクラウドを築き上げたのだ。

我々はWWW上で我々が何かを買ったり、何かを調べたりすると、その記録を全部吸い上げられ利用される。もちろん、我々が要求すれば履歴を見せてくれる。アレキサンドリアの図書館で行なわれたこととWWW上で行なわれていることは似ていないだろうか。アレキサンドリアの図書館の時代は、武力に抗しがたく蔵書を提供した。現在は、利便に抗しがたく履歴を提供している。紀元前の武力を背景にした収集は、現代の使わざるを得ない状況におかれてアマゾンやグーグルやフェイスブックに履歴を収集されることと同じではないか。紀元前の知のクラウドと21世紀の知のクラウドは、情報提供を強制されるという点を共有している。

21世紀の図書館は様相を変えている。現在は我々がこの本を蔵書してくれと頼むと多くの場合、図書館は蔵書に加えてくれる。この図書館の寛大さは、書籍の販売を少なくするという抗議を受けている。社会として知の共有を進めることが、個人(著作者)の利益を損なうという抗議だ。WWWの世界で同じ論理が当てはまらないだろうか。我々がネット上を徘徊した履歴が分析され、それをもとに表示された広告によって我々の出費が増えたという抗議もありうるのではないか。

私は、図書館が我々の要望に応えて蔵書を増やすことは気にならない。図書館が知の共有の役割を果たすことを基本的に肯定する。蔵書だけでなく個人の行動に関する情報についても同じことをするといいと思う。たとえば、グーグルやアマゾンがもっている個人の行動記録を個いろなビジネスをシミュレーションすることができる。もし図書館がその役割を果たせば公立の「情報センター」だ。最新ではないとしても、グーグルやアマゾンがつい数カ月前まで使っていた情報を無料で利用できるようにするのだ。情報があるということは創造の炎に油を注ぐ。

米国の都市部の図書館は新産業創造の起点となっている。事業計画の書き方や、プレゼンテーション、法律やIT技術に関する無料講座が連日開催されている。そのひとつの機能として、「情報センター」は考えられないだろうか。