『地方自治論入門』より 地方自洽とは何か
地方自治は、日々の生活の中にある。そのため、ひとはだれでも、なんらかの形で地方自治にかかわりをもつ。そして,多くの国々では,地方自治は,憲法をはじめとした制度的にも保障をし,きわめて普遍的な価値となっている。では,地方自治には,どのような意義があるのだろうか。本章では,地方自治の意義や効能を,自由,民主性,効率性,政策の実験室,政府の役割分担という5つの点から整理する。
ひとつめは,自由としての地方自治である。立法・司法・行政によるヨコの権力分立と並んで,政治権力を中央と地方のタテに分立させることは,権力を多元化することである。多元化は,多様な価値観や利益をもつ国民が,政府の権力から,自らの自由を確保することを可能にする。地方自治は,このように国民の自由を確保する意義をもつ。たとえば,政府が人種,民族,宗教などにおいてひとつの価値観に基づき形成された国では,一部の地域や少数民族がもつ他の価値観は自己主張をすることが困難となるだろう。しかし,各自治体に自治権が確保されていると,国レペルでは退けられたさまざまな価値観や利益を実現することも可能である。また,自治体が国への反対勢力となり,国による過度な権力の乱用を抑制する役割を果たすことも期待できる。まさに地方自治は,社会の多種多様な価値や利益を確保し,国民の自由を確保するための装置なのである。
ふたつめは,民主主義としての地方自治である。民主主義とは,国民の一人ひとりによって権力をつくりあげることである。そして,民主主義と地方自治は,イギリスの歴史学者のジェームズ・ブライスが「地方自治は民主主義の学校である」と述べたように切っても切り離せない関係にある。もちろん,民主主義は中央集権国家でも実現しうるし,逆に 自治体であれば,民主主義が必ず実現されるわけではない。民主的に運営されるかどうかは,その自治体次第である。ではなぜ地方自治が民主主義と結び付けて考えられるのか。それは本章の冒頭で述べたように 自治体は国と比べて身近にあるためである。国よりも規模の小さい自治体の方が金銭的,時間的な負担が軽く,普通の住民にとって政治参加がしやすい。そして,身近な地域の政治過程への参加を重ねることは,人々が民主主義の価値と意義,その効果を実感し,理解を深める機会を提供してくれる。そのため,民主主義と地方自治は不即不離なのである。
3つめは,効率性としての地方自治である。これは,限られた資源を効率的に分配するためには,どのような制度が望ましいかという視点から,地方自治の意義を評価するものである。たとえば,アメリカの財政学者であるチャールズ・ティボーは,「足による投票(voting on foot)」のモデルを提唱している。このモデルでは,移動コストが掛からず,自治体の情報が住民間で共有するという一定の前提が満たされた場合,住民は自らの選好にあう政策を提供する自治体へと引越する,と考える。その結果,行政のサービスは,最も効率的に住民に促供されることになる。理論的なモデルであるため,実際の自治体の政策助向とは必ずしも一致しない部分もある。しかしたとえば,音楽が好きな住民はコンサートホールのある自治体に水泳の好きな住民はプール施設がある自治体へ,働きつつ育児をする住民は保育サービスが充実した自治体へと引越しすることもある。すると,今までのように,すべての自治体がコンサートホールもプールも建設する必要がなくなり,住民の需要を満たしつつ,行政のサービスの無駄がなくなるのである。また自治体は,他の自治体へ住民が移住しないように より低い税金で高いサービスを維持できるよう,効率化をめざして自治体みずから改革に励むことになる(ヤードスティック競争)。画一的な国のサービスとは異なり,地域や住民のニーズなどの情報をもつ自治体が,各地域にあった政策を取捨選択することで,公共サービス配分の効率化も期待できる。
4つめは,政策の実験室としての地方自治である。 1960年代頃から,日本の自治体では,とくに,福祉,環境の政策分野という,国の政策では従来対応ができていなかった政策分野に自治体が自ら率先して政策を創設してきた。それは,個別の政策分野に限られず,情報公開や行政改革などの行政運営の基盤となるような仕組みに関しても,国レペルでの法制化に先んじて自治体自らが実践してきた。このように 自治体と国との間での政策づくりという点から見ると,多くの自治体が,それぞれ自由に管匪的で多様な政策をっくり,実施することで,自治体が直面する問題の解決策を見つけ出している。そして,その一部の自治体での試みが,国レペルヘと波及をして,全国レペルの自治体の政策として展開することもある。このように地方自治の現場は,政策の実験室であり,数多くの実験という試行錯誤のなかから,望ましい成果が発見されるのである。
5つめは,政府の役割分担としての地方自治である。多くの国々では,国と地方という複層の政府から国の体系が築き上げられている。では,国と地方との間ではどのような役割分担を図ることができるのか。住民との近接性からいえば,地方自治には,まさに地域に関する役割を担うことが,これまで述べてきた民主性,効率性の観点からも望まれるところであろう。そして,自治体があることで,国の役割もより明確になる。たとえば,外交,通貨管理,国防といった,国がマクロ的な視点から,国独自の使命に専念できるのである。
ここまで地方自治の意義を見てきた。しかし地方自治は万能ではない。限界もある。たとえば,ある自治体への有力な企業や工場の立地には,地域経済の活性化,雇用の創出,税収の確保等が期待される。しかし,多くの企業はいくつもの地域に工場をおくことはできない。そこで,各自治体間で競争が生じる。これは,国内に限らず,国際的な自治体間の競争にもなっている。その自治体間での競争に勝ち,企業や工場を誘致するために企業側に有利な条件を設定しようと減税や規制緩和を行うこともある。その結果,確かに企業は誘致をすることができたとしても,自然環境や労働環境,社会福祉が非常に低い水準に引き下げられてしまうことがある。これを「底辺への競争(race to thebottom)」という。
地方自治は、日々の生活の中にある。そのため、ひとはだれでも、なんらかの形で地方自治にかかわりをもつ。そして,多くの国々では,地方自治は,憲法をはじめとした制度的にも保障をし,きわめて普遍的な価値となっている。では,地方自治には,どのような意義があるのだろうか。本章では,地方自治の意義や効能を,自由,民主性,効率性,政策の実験室,政府の役割分担という5つの点から整理する。
ひとつめは,自由としての地方自治である。立法・司法・行政によるヨコの権力分立と並んで,政治権力を中央と地方のタテに分立させることは,権力を多元化することである。多元化は,多様な価値観や利益をもつ国民が,政府の権力から,自らの自由を確保することを可能にする。地方自治は,このように国民の自由を確保する意義をもつ。たとえば,政府が人種,民族,宗教などにおいてひとつの価値観に基づき形成された国では,一部の地域や少数民族がもつ他の価値観は自己主張をすることが困難となるだろう。しかし,各自治体に自治権が確保されていると,国レペルでは退けられたさまざまな価値観や利益を実現することも可能である。また,自治体が国への反対勢力となり,国による過度な権力の乱用を抑制する役割を果たすことも期待できる。まさに地方自治は,社会の多種多様な価値や利益を確保し,国民の自由を確保するための装置なのである。
ふたつめは,民主主義としての地方自治である。民主主義とは,国民の一人ひとりによって権力をつくりあげることである。そして,民主主義と地方自治は,イギリスの歴史学者のジェームズ・ブライスが「地方自治は民主主義の学校である」と述べたように切っても切り離せない関係にある。もちろん,民主主義は中央集権国家でも実現しうるし,逆に 自治体であれば,民主主義が必ず実現されるわけではない。民主的に運営されるかどうかは,その自治体次第である。ではなぜ地方自治が民主主義と結び付けて考えられるのか。それは本章の冒頭で述べたように 自治体は国と比べて身近にあるためである。国よりも規模の小さい自治体の方が金銭的,時間的な負担が軽く,普通の住民にとって政治参加がしやすい。そして,身近な地域の政治過程への参加を重ねることは,人々が民主主義の価値と意義,その効果を実感し,理解を深める機会を提供してくれる。そのため,民主主義と地方自治は不即不離なのである。
3つめは,効率性としての地方自治である。これは,限られた資源を効率的に分配するためには,どのような制度が望ましいかという視点から,地方自治の意義を評価するものである。たとえば,アメリカの財政学者であるチャールズ・ティボーは,「足による投票(voting on foot)」のモデルを提唱している。このモデルでは,移動コストが掛からず,自治体の情報が住民間で共有するという一定の前提が満たされた場合,住民は自らの選好にあう政策を提供する自治体へと引越する,と考える。その結果,行政のサービスは,最も効率的に住民に促供されることになる。理論的なモデルであるため,実際の自治体の政策助向とは必ずしも一致しない部分もある。しかしたとえば,音楽が好きな住民はコンサートホールのある自治体に水泳の好きな住民はプール施設がある自治体へ,働きつつ育児をする住民は保育サービスが充実した自治体へと引越しすることもある。すると,今までのように,すべての自治体がコンサートホールもプールも建設する必要がなくなり,住民の需要を満たしつつ,行政のサービスの無駄がなくなるのである。また自治体は,他の自治体へ住民が移住しないように より低い税金で高いサービスを維持できるよう,効率化をめざして自治体みずから改革に励むことになる(ヤードスティック競争)。画一的な国のサービスとは異なり,地域や住民のニーズなどの情報をもつ自治体が,各地域にあった政策を取捨選択することで,公共サービス配分の効率化も期待できる。
4つめは,政策の実験室としての地方自治である。 1960年代頃から,日本の自治体では,とくに,福祉,環境の政策分野という,国の政策では従来対応ができていなかった政策分野に自治体が自ら率先して政策を創設してきた。それは,個別の政策分野に限られず,情報公開や行政改革などの行政運営の基盤となるような仕組みに関しても,国レペルでの法制化に先んじて自治体自らが実践してきた。このように 自治体と国との間での政策づくりという点から見ると,多くの自治体が,それぞれ自由に管匪的で多様な政策をっくり,実施することで,自治体が直面する問題の解決策を見つけ出している。そして,その一部の自治体での試みが,国レペルヘと波及をして,全国レペルの自治体の政策として展開することもある。このように地方自治の現場は,政策の実験室であり,数多くの実験という試行錯誤のなかから,望ましい成果が発見されるのである。
5つめは,政府の役割分担としての地方自治である。多くの国々では,国と地方という複層の政府から国の体系が築き上げられている。では,国と地方との間ではどのような役割分担を図ることができるのか。住民との近接性からいえば,地方自治には,まさに地域に関する役割を担うことが,これまで述べてきた民主性,効率性の観点からも望まれるところであろう。そして,自治体があることで,国の役割もより明確になる。たとえば,外交,通貨管理,国防といった,国がマクロ的な視点から,国独自の使命に専念できるのである。
ここまで地方自治の意義を見てきた。しかし地方自治は万能ではない。限界もある。たとえば,ある自治体への有力な企業や工場の立地には,地域経済の活性化,雇用の創出,税収の確保等が期待される。しかし,多くの企業はいくつもの地域に工場をおくことはできない。そこで,各自治体間で競争が生じる。これは,国内に限らず,国際的な自治体間の競争にもなっている。その自治体間での競争に勝ち,企業や工場を誘致するために企業側に有利な条件を設定しようと減税や規制緩和を行うこともある。その結果,確かに企業は誘致をすることができたとしても,自然環境や労働環境,社会福祉が非常に低い水準に引き下げられてしまうことがある。これを「底辺への競争(race to thebottom)」という。