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不自由さを増すインターネットの中で

『LINE』より

不自由さを増すインターネットの中で

 このようにTwitterとFacebookを見ていくと、進化し便利になっていくはずのインターネットサービスが、なんだかより不自由な方向に向かっているように感じられるのは私だけでしょうか?結局のところ、個々のユーザーの情報リテラシーと、サービスやツールの進化、そしてそれらに応じた社会の変化という3つの要素の足並みがある程度揃わない限りは、こういった難しさ、居心地の悪さから私たちが解放されることはないのです。

 自動車に例えると分かりやすいかもしれません。移動手段として急速に普及した自動車は、誕生当初さまざまな問題を引き起こしました。道路インフラが未整備だったり、運転技術が未熟であれば事故の起こる確率はさらに増します。

 一方で、自動車関連の技術はどんどん高まり、よりスピードが出る車が大量生産されたわけです。今、インターネット、特にソーシャルメディアの分野ではそれに似た状況が生まれていると言えるのではないでしょうか?

 「ソーシャル疲れ」という言葉も時々目にします。ITにさほど詳しくない人にとっては、慣れないツールの使い方と、そこで繰り広げられる独特な人間関係の両方をコントロールしなければならず、これはなかなか(ードなチャレンジだと言えるでしょう。

 LINEが急速に支持を広げた背景には、こういった既存のソーシャルメディアが避けることが難しい課題とLINEが無縁だったことも大きく関係しています。アドレス帳をペースに、スタンプでのコミュニケーションが成立する範囲が限定されたクローズドな場に、私たちが求める「気持ちのいい空間」がいったんは落ち着きどころを得だのかもしれません。

クローズな空間からオープンな場へ

 Twitter、Facebookとも、ベースはオープンな場にあり、1対1のメッセージ機能は補完的な位置づけに留まっています。一方、LINEは1対1のクローズドなつながりをペースに、ホームータイムラインの採用、プラットフォーム化を通じて少しずつオープンな場ともなろうとしているように見えます。

 パソコンベースのインターネット=オープンな空間という伝統と無関係ではいられないTwitter、Facebookと、肌身離さず持ち歩くモバイルというプライベート性が高いデバイスを起点に置くLINEは全く逆のアプローチを取っているのです。

 オープンかクローズかI私たちの生活そのものにも当てはまるこの二つの側面を、どう一つのサービスで両立させるのか?インターネットの歴史を振り返っても、さまざまな努力が繰り返されてきました。

 実は日本発のSNSであるmixiもこのテーマに関して一つの構想を示しています。mixiを象徴する日記のようなプライベート性の高い場所を「ホームエリア」、そしてコミュニティや、企業や著名人が情報発信をし、そこで交流も可能な「ぺージ」を「タウンエリア」と定義したのです。

 mixiも2004年のスタート以来、2000万人を超えるユーザーを抱えており、さまざまな機能を追加し続けてきました。2000万人といえば、東京都の平日昼間の人口に匹敵するボリュームです。

 筆者が笠原健治社長・原田明典副社長兼COO(当時)にインタビューを行った際にも「(アーリーアダプターからレイトマジョリティまで)全ての人を満足させるサービスを構築し、運営するのは難しい」と率直な心情を語っていたのが印象的でした。実際、この構想とともにスタートした「ページ」は現在のところ残念ながら多くの成功例を生むには至っていません。

 オープン、クローズな場の両方を持ち、「オープン化」と銘打ってプラットフォームにも進化しようとしたmixiは、必要とされる多様な機能とユーザーが生み出すコンテンツをうまくコントロールしなければならず、大量のリソース(人手やコスト)と難しい舵取り(経営判断)を日々迫られているのです。

 これに対して、現状のLINEの機能は比較的シンプルです。先述したNHNJapanの舛田淳氏へのインタビューからも、慎重にューザーの反応を見ながら徐々にオープンな要素をそこに加えようとしている様子がうかがえます。

 LINEの進化は、従来のSNSがなかなか完成させることができなかった、クローズでいてかつオープンなコミュニケーションも安心して楽しめる場への到達へのチャレンジでもあるのです。
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