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若者の社会保障

『若者の貧困・居場所・セカンドチャンス』より 若者が自立できる環境をどうつくるか

 露わになった新しい貧困

  私が子どもや若者の問題にかかわるようになって10年あまりになります。この10年間、だれが支援を必要としている人だちなのか、というよりも、だれが支援が必要な人なのかがだんだん見えてきました。

  10年まえ、「支援の必要な若者」というのは、かなりシンプルに考えられていました。たとえば、学校を卒業したがひきこもっている若者たち。その前段階として学校に行けない子どもたち。それから卒業期に就職が決まらない、決まっても不安定な仕事しかない若者たち。そうした若者たちがいる。この現象に対して国や地方自治体がなんらかの手を打たねばならない、と認識されるようになります。

  ところが、この10年で見えてきたことは、そんな簡単な話ではないということですね。たとえば、若年の生活保護受給者、それから生活保護世帯のなかで育つ子どもたちが、じわじわ増えています。いま、全国の生活保護受給者は216万人、過去最多です。6人に1人の子どもは貧困状態で、卜ップのアメリカやイギリスに近い状態。2013年に子どもの貧困対策法が成立して、国や地方自治体が子どもの貧困問題を解決する責務を負うことが、明示されました。

  貧困で私たち日本人がまず思い浮かべるのは、ホームレスのような人びとです。衣食住の最低限を満たせない絶対的貧困層。しかし、いま露わになっている新しい貧困は、かなり様態が違います。家もあれば身なりもきちんとしていて、携帯電話も持っている。ふだん接して貧困者とはまず気づきません。しかし、実際は電気・ガス・水道料や社会保険料の支払いに追われ、毎月のやりくりで暮らしにまったく余裕がない、人とのつきあいができない、借金も抱えている、ときには金銭が底をつく。子どもは、毎日洗濯をしてないと見える同じ服を着ている、給食の食べ方が普通ではないなどの様態がありますが、教員でも生徒の背後にある家庭の問題に気づかないことが少なくないのです。

  若者支援だけでなく、貧困の問題にどう対処するのかという段階にきています。

 30年で激変した若者の状況

  そもそも私がこういう子ども・若者の問題に深入りしたきっかけを少しお話しします。研究者にはつねに、現実を知らないで研究をやることのリスクがあります。私はつねにこのことを自覚して、本日ここにおられる、すぐれた現場の実践をしながら発言をしている方たちとのネットワークのなかで、いろいろ見せていただきながら仕事をしてきました。

  1980年代はジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、「世界で日本がいちばん豊かな国」という時代がありました。実質的にはアメリカのほうが当然豊かだったのですが、そのアメリカさえ日本に脅威を感じた時代でした。たとえば原宿に大型店ができ、そのオープンの朝、暗いうちから若者たちが長蛇の列をつくる。テレビ取材が「今日いくら持ってきてますか?」と聞くと、若者の財布に1万円札が何十枚も入っていた。これが日本の光景としてあったのです。若い人には仕事がある、お金がある、親の家にいる、親もお金があるーそれがすべての若者の状況だったわけではないけれども、いまの時代から比べると、それがあたりまえと思えるような状況がありました。「独身貴族」という流行語が生まれたころです。

  ところが、時代は変わりました。先日発表された調査報告によると、私立大学に通うひとり暮らしの学生に親が仕送りする金額は、2013年に過去最低を更新し、Iか月の平均が9万円を切っている。それで家賃を払うと、残った生活費は2万円ちょっと。それを日で割ると、8百数十円。そのお金でひとり暮らしをして、生計を立てなければいけない。アルバイトをしなければ、大学生活を送れない。仕送り額のピーク時が1994年で、そのときから3割落ちているそうです。

  半分以上の大学生が、いわゆる奨学金を借りているといいます。それは膨大な借金になる。それでも就職が決まらなかったり、不安定な低収入を余儀なくされる可能性があって、借金をどうやって返すのか。その上の30代後半はいわゆる就職氷河期世代で、3分の1がフリーター状態のままだといいます。

  それから、社会的に孤立する子どもや若者の増加という問題がある。ホームレス問題では、若年から中年でホームレス状態となる人がじわじわ増えているといわれていますが、実際の数値はなかなか把握できません。若年の場合、路上生活になるまえに、ネットカフェやファミレス、友人の家を点々と泊まり歩いていたり、女性の場合は風俗業に入るなど多様な形態があり、なかなか数字で把握できないのですが、関係者の話を集めてみると、安定した住まいがなく、今夜泊まる場所が定まらない若者たちがかなりいる。日本のホームレスはだいたいが中高年者で若者は関係ない、といわれてきたのですが、その若者たちのなかに住まいが定まらない人たちが増えているということはあと10年するとその人たちが路上生活になっていく危険性をもっているといえるでしょう。

 日本は若者の社会保障がほとんどない国

  青少年・若者の課題とは、自立のリスクです。これは「成人期への移行のリスク」と国際的にいわれています。現代は大人になるための移行の時期が長くなり、移行期をどう乗り切ることができるかが大きな課題となる時代です。

  それをもう少し言い換えてみたいのですが、1990年代に入ると工業化の時代は完全に終わび、つぎの段階に入りました。若者が自立に向かう体制は、時代時代で違うわけですが、日本の場合、工業化の時代は家族と会社が自立を保障してきました。こういう国はめずらしいと思います。ヨーロッパのような福祉国家型の社会では、家族と会社ではなく、福祉国家が若者の自立を保障する枠組みを戦後つくりました。ですからたとえば、高校を卒業した、または高校を中退した生徒が、明日から行くところがない、というときに飛びこむ場所があります。たとえばオーストラリアには、センターリンクという公的機関があり、赤ん坊から高齢者まで、経済給付に関係する業務は全部センターリンクがやる方式です。行政改革の結果、1か所にまとめられたのです。大きい市だと何か所もあり、人びとはまずはそこへ行く。日本で若者がそうやって飛びこめる場所は、ないと言ったほうが正しいですね。親が扶養するという前提があるからです。

  日本は、若者の社会保障がほとんどない国です。それで問題が起こらなかったのは、親が扶養し、学校を卒業すれば会社が待っていて仕事を与えてくれる。4月を過ぎれば第1回目の給料が入る。これが標準型として工業化時代に確立していたからです。ジャパン・アズ・ナンバーワンの80年代は、中高年者は失業しやすくても若者には仕事が潤沢にあるという最後の時代ですが、その完成度がかなり高かった。ところが、このような枠組みからこぼれ落ちる若者たちが目立ってきたのが、90年代後半から2000年代でした。この10年間で若者支援がようやく登場し、いろいろな人たちの支援活動が始まってはじめて、困難を抱えている子どもや若者たちの現実の姿、その広がりが見えてくるようになったわけです。

  このあいだ聞いた話では、あるNPOに役所から依頼があり、ある家庭が問題を抱えているのでちょっと行ってみてきてほしいと。行くと、お母さんと子ども2人の母子家庭で、お母さんは精神疾患で社会生活ができない状態。子ども2人はかなり重い発達障害と思われる。ひとりは高校に在籍しているはずだが、学校にはぜんぜん行っていない。1週間ほとんど食べていない、生活保護も受給してない。こういうケースがいま、日本の社会でじわじわ増えているのですが、ヨーロッパ型の社会と違うのは、本人がその気になって救済を求めなければそのままになってしまうということです。学校に在籍している子どもにさえ、手が届いてはいないのです。
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