『スマホにまんぞくしていますか?』より ウェブ時代のトレンド
ライフログの効用
古いアイデアを復活させようとして昔の日記を読んでいたら残念な話を沢山思い出して気分が鬱になってしまったことがあります。インテルの社長だったゴードン・ベルは、自分の行動すべてを記録するいわゆる「ライフログ」を長年実践して普及を呼びかけていますが、嫌な体験を簡単に思い出せるといろいろ不都合があるでしょう。
もちろんライフログ提唱者もこういう問題点については重々認識しているのですが、利点の方が多いのだから我慢すればいいと考え咎人が多くいます。しかし、本当に嫌な記憶は完全に忘れてしまう方がいい、ということは明らかでしょう。嫌なことを思い出しそうになったらすかさず別のことを考えるといった「忘れる技術」が重要だと私は思っていますし、大抵の人は嫌なことを思い出すのはまっぴらだと思っているでしょうから、単純なライフログが流行することはあまり想像できません。
残念な日記などについては「残念タグ」をつけておき、元気なときだけ閲覧できるようにするといった工夫があればいいのでしょうか。それとも本当に完全にログがついているなら、自分の気分も記録されているはずなので大丈夫なのでしょうか。
行動の完全な記録があれば、「きょうはいしやにいった」を漢字に変換しようとするとき、実際の行動に応じて「今日は医者に行った」とか「今日歯医者に行った」と変換できるのでしょうか。いずれにしても、普通に行動をログするだけではあまり意味がないので、様々な工夫が必要になりそうです。
貧乏な記録
パソコンで作成中の文章が何かのトラブルで全部消えてしまった、という経験を持つ人は多いと思います。昔のコンピュータは計算速度も記憶装置も充分ではなかったので、重要なデータを編集している場合は気をつけて、データをときどきファイルにセーブして使うのが普通でした。しかし、現在のコンピュータの速度や記憶容量を考えると、とくにユーザセーブ操作を指示しなくても、重要データは常にセーブするようにしておいても問題ないはずです。
極端な話、1秒に10回キーボードをタイプするという行為を、1日10時間100年間実行し続けたとしても、10文字×60秒×60分×10時間×365日×100年=13ギガバイトしか入力できないわけですから、人間が入力、編集できる量はたかが知れています。コンピュータの操作をすべて記録しておくようにすれば、作成したデータが消えて困ることなどなくなるでしょうし、以前作成した情報を取り出すこともできるはずです。
不要と思って捨てたデータが後で必要になることもありますから、少なくとも自分が編集したデータぐらいは全部記録しておくべきでしょう。不要な動画ファイルなどを死蔵してディスク容量を圧迫するよりも、自分の操作情報をすべて記録しておいた方が有益なことは間違いありません。
しかし現実には、あらゆる編集操作を記録しているシステムはほとんど存在しないようです。よく使われているワープロも表計算ソフトも、自動的にファイルをセーブしてくれる気配はありませんし、データを入力して登録したと思ったら「データが間違っています」などといって入力フオームをクリアしてくれるウェブサービスに驚かされることも日常茶飯事です。
21世紀になってもこのような状態が続いているということは、あらゆる操作処理を記録しておくことの重要性がまだまだ認識されておらず、パソコンのメモリやディスクは大事に使わなければならない、という昔の貧乏根性から逃れられていないのでしょう。
あらゆるシステムにこういう問題があるわけではありません。一時流行したパームというPDAの「メモ帳」には「セーブ」機能が存在せず、入力した文字はすぐに内蔵メモリに書き込まれるようになっていたので、データのセーブ忘れというトラブルは発生しませんでした。しかし、残念ながら編集操作をやり直す(undoする)機能はありませんでした。
またウィンドウズ上のメモシステムとして定評のある「紙S賢」のように、自動セーブや編集のやり直し機能を充分サポートしているソフトウェアもありますが、こういう製品はまだ少数派であり、業界に浸透した貧乏根性の完治には時間がかかりそうです。
既存のシステムでも、工夫次第で貧乏状態を脱出できる場合があります。UNIXユーザの問で昔からよく利用されているEmacsエディタは、初期設定のままだとセーブ操作をしなければデータは保存されませんが、カスタマイズを行なうことによって問題を解決することができます。
山岡克美氏と高林哲氏が作成したauto-save-buffersというプログラムを利用すると、O・5秒操作が止まるとファイルが自動的にセーブされるようになっているので、ファイルセーブに失敗するトラブルを大幅に減らすことができます。最近のコンピュータの場合、よほど巨大なファイルを編集する場合以外、頻繁にファイルをセーブしてもとくに動作が遅くなることはありませんし、Emacsは強力なundo機能が装備されているので以前の状態に戻すことも簡単です。編集を完全に終了してしまうと以前の状態に戻すことはできませんが、gitやSubversionのようなバージョン管理システムを併用すれば、昔の状態に戻すこともできるようになります。
最近はウェブ上のウィキで情報を管理することが多くなってきましたが、ブラウザ上の編集インタフェースは激しく貧乏度が高いので、編集中のデータをセーブしそこなってしまうこともありますし、一度編集すると昔の状態に戻すことができないのが普通です。一方、紹介したGyazzというウィキシステムでは、ブラウザでのテキスト編集情報をすべて記録しているので、常に古い状態に戻すことが可能です。次ページの上の図はラジオで聞いた「ready to prime time」という表現をGyazz上の単語帳ページに登録したもので、意味、用例、関連情報が登録されています。この状態でundoキーを何回か押すと下の図のような状態になります。
「ready to prime time」というフレーズは辞書に載っていなかったため、人に聞いたり検索し直したりして編集を行なったわけですが、単語帳システムではundoキーを押すことによって編集履歴をすべてたどることができます。また、データの古さに応じてバックグラウンドの色が変化するので、いつごろ編集されたデータなのかを判断しやすくなっています。
Gyazzには書き込みボタンが存在せず、編集結果はすべてセーブされるようになっています。貧乏なシステムに慣れている人にとっては、本当にデータがセーブされているのか不安になるかもしれませんが、undo操作で編集状況を確認することができればこういった不安は減ってくるでしょう。
パソコンやウェブ上で貧乏性が払拭されるにはまだまだ時間がかかるのかもしれませんが、この程度の機能であれば簡単に組み込めるので、あらゆる場所でこのような機能が常識になってほしいものだと思います。
ライフログの効用
古いアイデアを復活させようとして昔の日記を読んでいたら残念な話を沢山思い出して気分が鬱になってしまったことがあります。インテルの社長だったゴードン・ベルは、自分の行動すべてを記録するいわゆる「ライフログ」を長年実践して普及を呼びかけていますが、嫌な体験を簡単に思い出せるといろいろ不都合があるでしょう。
もちろんライフログ提唱者もこういう問題点については重々認識しているのですが、利点の方が多いのだから我慢すればいいと考え咎人が多くいます。しかし、本当に嫌な記憶は完全に忘れてしまう方がいい、ということは明らかでしょう。嫌なことを思い出しそうになったらすかさず別のことを考えるといった「忘れる技術」が重要だと私は思っていますし、大抵の人は嫌なことを思い出すのはまっぴらだと思っているでしょうから、単純なライフログが流行することはあまり想像できません。
残念な日記などについては「残念タグ」をつけておき、元気なときだけ閲覧できるようにするといった工夫があればいいのでしょうか。それとも本当に完全にログがついているなら、自分の気分も記録されているはずなので大丈夫なのでしょうか。
行動の完全な記録があれば、「きょうはいしやにいった」を漢字に変換しようとするとき、実際の行動に応じて「今日は医者に行った」とか「今日歯医者に行った」と変換できるのでしょうか。いずれにしても、普通に行動をログするだけではあまり意味がないので、様々な工夫が必要になりそうです。
貧乏な記録
パソコンで作成中の文章が何かのトラブルで全部消えてしまった、という経験を持つ人は多いと思います。昔のコンピュータは計算速度も記憶装置も充分ではなかったので、重要なデータを編集している場合は気をつけて、データをときどきファイルにセーブして使うのが普通でした。しかし、現在のコンピュータの速度や記憶容量を考えると、とくにユーザセーブ操作を指示しなくても、重要データは常にセーブするようにしておいても問題ないはずです。
極端な話、1秒に10回キーボードをタイプするという行為を、1日10時間100年間実行し続けたとしても、10文字×60秒×60分×10時間×365日×100年=13ギガバイトしか入力できないわけですから、人間が入力、編集できる量はたかが知れています。コンピュータの操作をすべて記録しておくようにすれば、作成したデータが消えて困ることなどなくなるでしょうし、以前作成した情報を取り出すこともできるはずです。
不要と思って捨てたデータが後で必要になることもありますから、少なくとも自分が編集したデータぐらいは全部記録しておくべきでしょう。不要な動画ファイルなどを死蔵してディスク容量を圧迫するよりも、自分の操作情報をすべて記録しておいた方が有益なことは間違いありません。
しかし現実には、あらゆる編集操作を記録しているシステムはほとんど存在しないようです。よく使われているワープロも表計算ソフトも、自動的にファイルをセーブしてくれる気配はありませんし、データを入力して登録したと思ったら「データが間違っています」などといって入力フオームをクリアしてくれるウェブサービスに驚かされることも日常茶飯事です。
21世紀になってもこのような状態が続いているということは、あらゆる操作処理を記録しておくことの重要性がまだまだ認識されておらず、パソコンのメモリやディスクは大事に使わなければならない、という昔の貧乏根性から逃れられていないのでしょう。
あらゆるシステムにこういう問題があるわけではありません。一時流行したパームというPDAの「メモ帳」には「セーブ」機能が存在せず、入力した文字はすぐに内蔵メモリに書き込まれるようになっていたので、データのセーブ忘れというトラブルは発生しませんでした。しかし、残念ながら編集操作をやり直す(undoする)機能はありませんでした。
またウィンドウズ上のメモシステムとして定評のある「紙S賢」のように、自動セーブや編集のやり直し機能を充分サポートしているソフトウェアもありますが、こういう製品はまだ少数派であり、業界に浸透した貧乏根性の完治には時間がかかりそうです。
既存のシステムでも、工夫次第で貧乏状態を脱出できる場合があります。UNIXユーザの問で昔からよく利用されているEmacsエディタは、初期設定のままだとセーブ操作をしなければデータは保存されませんが、カスタマイズを行なうことによって問題を解決することができます。
山岡克美氏と高林哲氏が作成したauto-save-buffersというプログラムを利用すると、O・5秒操作が止まるとファイルが自動的にセーブされるようになっているので、ファイルセーブに失敗するトラブルを大幅に減らすことができます。最近のコンピュータの場合、よほど巨大なファイルを編集する場合以外、頻繁にファイルをセーブしてもとくに動作が遅くなることはありませんし、Emacsは強力なundo機能が装備されているので以前の状態に戻すことも簡単です。編集を完全に終了してしまうと以前の状態に戻すことはできませんが、gitやSubversionのようなバージョン管理システムを併用すれば、昔の状態に戻すこともできるようになります。
最近はウェブ上のウィキで情報を管理することが多くなってきましたが、ブラウザ上の編集インタフェースは激しく貧乏度が高いので、編集中のデータをセーブしそこなってしまうこともありますし、一度編集すると昔の状態に戻すことができないのが普通です。一方、紹介したGyazzというウィキシステムでは、ブラウザでのテキスト編集情報をすべて記録しているので、常に古い状態に戻すことが可能です。次ページの上の図はラジオで聞いた「ready to prime time」という表現をGyazz上の単語帳ページに登録したもので、意味、用例、関連情報が登録されています。この状態でundoキーを何回か押すと下の図のような状態になります。
「ready to prime time」というフレーズは辞書に載っていなかったため、人に聞いたり検索し直したりして編集を行なったわけですが、単語帳システムではundoキーを押すことによって編集履歴をすべてたどることができます。また、データの古さに応じてバックグラウンドの色が変化するので、いつごろ編集されたデータなのかを判断しやすくなっています。
Gyazzには書き込みボタンが存在せず、編集結果はすべてセーブされるようになっています。貧乏なシステムに慣れている人にとっては、本当にデータがセーブされているのか不安になるかもしれませんが、undo操作で編集状況を確認することができればこういった不安は減ってくるでしょう。
パソコンやウェブ上で貧乏性が払拭されるにはまだまだ時間がかかるのかもしれませんが、この程度の機能であれば簡単に組み込めるので、あらゆる場所でこのような機能が常識になってほしいものだと思います。
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