『「型を破る人」の時代』より 「人の心を揺さぶる仕事」が、桁外れの結果を出す
さあ、無限のゲームをしよう。
ゲームのルールは自分で決める
インターネット時代の幕開けに、私はオンライン・マーケティング会社を立ち上げた。
会社は大きくなり、素晴らしいクライアントのために重要なプロジェクトを手がけてきたが、収支が合うことはまれだった。
投資金は底をつき、短期間で売上げを伸ばさないと、さらなる資金を調達するか、倒産するかというところまで追いつめられた。倒産したら、多くの優秀な社員たちが失業してしま
会社は最大の危機を迎えた。創業者、投資家、そして、奇跡を呼ぶ男として何とかせねば……。とにかく売上げを伸ばさないと。しかも、いますぐに。
そんなある日、ニューヨークの有名ブランド企業に営業に出かけたときのこと。
取引き先の責任者とマーケティング担当者は、お決まりのセリフで私と同僚を散々にこき下ろした。わが社の仕事ぶりを批判し、価格が高すぎると文句をいい、ライバル社がいかに優れているかという。
その瞬間、私は無限のゲームの現実を思い出した。会社を救うためには、来る日も来る日もこうして売込みをするしかないとしても、私はやりたくないと思ったのだ。どれほど必死になって契約をとっても、それは会社の実力を反映しているわけではないのだ。
それはただ、クライアントがその日にそれを買いたかったからにすぎないのだから。これではアートではなく、アートの乱用である。
この取引きが失敗に終わるのは残念だったが、私はその瞬間に、わがチームが無能呼ばわりされることに比べたら、失敗するほうがましだと判断した。
一時間続くはずの会議が十分過ぎたとき、私は相手のほうを向き、ノートパソコンを閉じて、こういった。「どうやら、弊社は御社にとって望ましい会社ではなさそうですね。われわれはわれわれのやり方でやらせていただけませんか。弊社のやり方にプライドをもっておりますから。それがご期待に添えないようでしたら、お時間をムダにしたことをお詫びします」
そういうと、私は立ちあがり、部屋を出ていった。
そのあとのことは想像がつくだろう。私たちが何か何でも契約したいわけではないことが明らかになった瞬間、媚びるのはやめて主導権を握った瞬間、取引きは成立した。そして、それまでの二年間より、そのあとの八週間のほうが、売上げが伸びたのだ。
このようにプレーすれば、ゲームは無限になる。アートをつくる決断をする意思があるかぎり、アートをつくり続けることができる。
あなたはどんな「贈り物」をしているか
いったん無限のゲームの真実を知ると、作家ルイス・ハイドのいう「アートと寛大さのつながり」が、さらによく見えてくる。
何かがアートになるためには、贈り物がなければいけない。贈り物がつながりと絆を生み出す。つながりの経済の中心にあるのは、このつながりだ。つながりはさらなる価値をもたらし、そうやってゲームが続いていく。
取引きは人びとを分かつ。贈り物によって人間関係のバランスは変化するが、同類の団結を強め、ゲームをまえへと進めてくれる。
希少性、マーケット・シェア、独占企業、利潤の最大化は、組織からエネルギーを吸いとろうとする。
産業主義者はシステムを組織化し、安定させ、生産的で、何よりも利益の上がるものにしたいと思っているが、アーティストは、システムにさらなるエネルギーを与え、再編成し、ゲームをまえへ進めたいと思っている。
アーティストは、上から目線で世の中に何かを施すために仕事をするのではない。商業的な債務を負うためでもない。人脈を使って出世をしようとしない。
彼らは無限のゲームをしていて、彼らが生み出す贈り物によって、ゲームを続けていく。
さあ、無限のゲームをしよう。
ゲームのルールは自分で決める
インターネット時代の幕開けに、私はオンライン・マーケティング会社を立ち上げた。
会社は大きくなり、素晴らしいクライアントのために重要なプロジェクトを手がけてきたが、収支が合うことはまれだった。
投資金は底をつき、短期間で売上げを伸ばさないと、さらなる資金を調達するか、倒産するかというところまで追いつめられた。倒産したら、多くの優秀な社員たちが失業してしま
会社は最大の危機を迎えた。創業者、投資家、そして、奇跡を呼ぶ男として何とかせねば……。とにかく売上げを伸ばさないと。しかも、いますぐに。
そんなある日、ニューヨークの有名ブランド企業に営業に出かけたときのこと。
取引き先の責任者とマーケティング担当者は、お決まりのセリフで私と同僚を散々にこき下ろした。わが社の仕事ぶりを批判し、価格が高すぎると文句をいい、ライバル社がいかに優れているかという。
その瞬間、私は無限のゲームの現実を思い出した。会社を救うためには、来る日も来る日もこうして売込みをするしかないとしても、私はやりたくないと思ったのだ。どれほど必死になって契約をとっても、それは会社の実力を反映しているわけではないのだ。
それはただ、クライアントがその日にそれを買いたかったからにすぎないのだから。これではアートではなく、アートの乱用である。
この取引きが失敗に終わるのは残念だったが、私はその瞬間に、わがチームが無能呼ばわりされることに比べたら、失敗するほうがましだと判断した。
一時間続くはずの会議が十分過ぎたとき、私は相手のほうを向き、ノートパソコンを閉じて、こういった。「どうやら、弊社は御社にとって望ましい会社ではなさそうですね。われわれはわれわれのやり方でやらせていただけませんか。弊社のやり方にプライドをもっておりますから。それがご期待に添えないようでしたら、お時間をムダにしたことをお詫びします」
そういうと、私は立ちあがり、部屋を出ていった。
そのあとのことは想像がつくだろう。私たちが何か何でも契約したいわけではないことが明らかになった瞬間、媚びるのはやめて主導権を握った瞬間、取引きは成立した。そして、それまでの二年間より、そのあとの八週間のほうが、売上げが伸びたのだ。
このようにプレーすれば、ゲームは無限になる。アートをつくる決断をする意思があるかぎり、アートをつくり続けることができる。
あなたはどんな「贈り物」をしているか
いったん無限のゲームの真実を知ると、作家ルイス・ハイドのいう「アートと寛大さのつながり」が、さらによく見えてくる。
何かがアートになるためには、贈り物がなければいけない。贈り物がつながりと絆を生み出す。つながりの経済の中心にあるのは、このつながりだ。つながりはさらなる価値をもたらし、そうやってゲームが続いていく。
取引きは人びとを分かつ。贈り物によって人間関係のバランスは変化するが、同類の団結を強め、ゲームをまえへと進めてくれる。
希少性、マーケット・シェア、独占企業、利潤の最大化は、組織からエネルギーを吸いとろうとする。
産業主義者はシステムを組織化し、安定させ、生産的で、何よりも利益の上がるものにしたいと思っているが、アーティストは、システムにさらなるエネルギーを与え、再編成し、ゲームをまえへ進めたいと思っている。
アーティストは、上から目線で世の中に何かを施すために仕事をするのではない。商業的な債務を負うためでもない。人脈を使って出世をしようとしない。
彼らは無限のゲームをしていて、彼らが生み出す贈り物によって、ゲームを続けていく。
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