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タリン(エストニア)とブタペスト(ハンガリー)

『最新 ヨーロッパの人気世界遺産めぐり』より ⇒ 来年、行く予定のヨーロッパ縦断にある二都市です

タリン歴史地区(旧市街)

 バルト3国を旅してきたか、そのなかでお気に入りの場所は? と聞かれたら、わたしは迷うことなくエストニアの首都タリンを挙げるだろり。

 その理由は、気ままに歩き回るのに旧市街かまさにちょうどいい大きさだということ。この「街の大きさ」というのは、旅をしているときにはけっこう重要なポイントになる。あまりに広大なエリアだと歩き疲れて散漫な気分になるし、建物がひとつあるだけで、あとは何もないような場所だと気持ちも萎えてしまり。モの点、タリソはこぢんまりとした街に中世の面影がほどよく凝縮されていて、どこを歩いていても歴史情緒あふれる佇まいを味わえる心地良さがある。

 トーンペアと呼ばれる山の手から下町を見渡すと、建物を彩るピンクやブルーの色彩が目を惹く。こんなカラフルな色遣いは、他の場所ではなかなかお目にかかれない。見張り塔のトンガリ帽子の屋根、縦型の窓か行儀よく並んだ建物、美しい石畳の小道などで構成された街は、重々しい中世都市とはひと味違り、絵本の世界のような愛らしさを秘めている。

 下町を散策していていつも最終的に戻ってくるのかラエコヤ(市庁舎)広場。中世から続く街の中心地だ。夏場はオープソ・カフエが出て北欧からの観光客でにぎわうのだが、クリスマスか近づくと近郊の森から切り出されたトウヒの巨木か中央に据えられる。古い資料によれば、広場に初めてクリスマス・ツリーが据えられたのは1441年だという。世界でもっとも古いクリスマス・ツリーのひとつだ。

 クリスマス・マーケットにドイツやオーストリアのよりな派手な賑わいはないけれど、長い間受け継がれてきた伝統の良さだろうか、タリソのクリスマスには素朴な趣があって不思議と心が休まる。

 広場には電飾でデコレートされたかわいい三角屋根の店が軒を連ねていた。店内をのぞいてみると、クリスマス用の商品はもちろん、ウールのセーターやマフラー、木工細工やキッチン用品、アクセサリーまで、さまざまなものか売られていた。

 ひっそりと立っているクリスマス・ツリーの情景を撮影したくて人通りか少なくなるまで待つことにしたか、気温はマイナス10度まで下がってきた。こんなときにうれしいのか、マーケットで売られている北欧伝統のホットワイン。スパイスか効いた甘めのワインを飲むと、凍えた四肢がじんわり温まる。夜更けの広場でちょっぴり幸せな気分を味わった。

ブダペスト

 ハンガリ一人の2/3は、アジア系の騎馬民族を祖先とするマジャル人だ。彼らは子どものころに蒙古斑か現れる。あるいは名前を呼ぶときの順番も、日本と同じでファミリー・ネームが先にくる。そんな話を聞いて親近感を抱いてしまった。ヨーロッパ大陸の真ん中にどことなく日本と似たような国があるのは--もちろん騎馬民族の長い遠征の結果なのだろうが--楽しくもあり、不思議な気もする。

 ハンガリーの首都ブダペストは、ドナウ川か街をブダ地区とペスト地区に2分する町。ウィーンを意識しなから造られた町だけあって見どころも多い。

 ブダ地区にある王宮の丘は、街を眺めるのに絶好の場所。大河ドナウか街の中央を洞々と流れる景色か一望できるし、対岸には、贅を尽くしたことで有名な国会議事堂を眺められる。

 この丘にあるのか、歴代の王の戴冠式が行なわれたマーチャーシュ教会。オスマン・トルコの征服時にはモスクに改装された歴史をもつキリスト教会である。礼拝堂に入ると、イスラム独特の色彩を放つ内装にパイプ・オルガソといり異色の組み合わせか目を引く。同じよりなイスラム色の名残は、街の随所に見ることかできる。たとえば、市内に多数ある温泉浴場も元をたどればトルコ式浴場であり、オスマン帝国がもたらした遺産のひとつだ。

 ヨーロッパ大陸でいちばん古い地下鉄も走っている。ノスタルジックな車両に乗ってオペラ駅で降りれば、そこは並木道が美しいアソドラーシ通り。オペラ座や博物館が立ち並ぶ、洗練された大通りだ。

 これだけの町がいつ建設されたのだろうか。調べてみると、意外にも19世紀半ばから20世紀にかけての比較的新しい時代だということかわかる。ブダベストのシャンゼリゼといわれるアンドラーシ通りも、モの下を走る地下鉄も、宮殿のような国会議事堂も、夜景が美しいくさり橋も、すべてこの時代の建造物なのだ。オスマン・トルコによる征服、八プスブルク家による支配と続き、国土も分割される過酷な歴史をかい潜ったあと、ブダペストは復興に目覚め、爆発的な都市づくりがスタートした。オーストリア=ハンガリーニ重帝国時代の首都ウィーンを追い越せとばかりに、わずか半世紀で現代の街の基盤か整備されたのである。

 観光の足という点ではブダペストの地下鉄やトラムはよく整備されている。ただ、タクシーはちょっと怪しい。かなり前の話だが、撮影を終えてひょいと乗り込んだタクシーに、ホテルまで5分走っただけで5000円という法外な運賃を要求されたことがあった(もちろん妥当な運賃だけ払って退散したか)。

 このとき、ホテルの部屋に戻ってビールを飲み干してから、まあな、と思った。外国人相手のタクシー事情の不可解さは、なにもこの町に限ったことではない。要は一方的に言いなりにはならないこと。あとで知ったことだが、ハンガリー政府観光局も悪徳タクシーに関して注意を呼びかけている。それにしても、こういう事態に直面するたびに尋常ではない疲労感を覚えてしまりのは確かだけれど。

 観光パソフレットには「タクシーはホテルで呼ぶこと」とも書いてある。それならホテルからタクシーに乗って夜景ドライブに出かけるのもいいのではないか。この町が輝きを増すのは夕刻から夜にかけて。丘の上から町の夜景を一望し、ドナウ川に映し出される幻想的な夜のくさり橋をぜひ見て欲しい。そうすればきっと、再び訪れたい町のひとつとして心に刻まれるはずだ。
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未唯空間は統合に向かう

私に気付かせるための仕掛け

 この会社といえども、私のために用意されたものです。その中を一応、回ってきました。私に何かを気づかせるためのこれだけのシナリオでしょう。

未唯空間は統合に向かう

 第1章の自分編はあまりにも、単純で、素直です。一直線です。

 未唯空間にしても、ここ10年あまりのことです。未唯への手紙からすると、20年以上です。何かをずっと、探し求めている。未唯空間は統合の方です。分化の方は雑記帳です。

 サファイアを見つけた経過はなしにして、一気に革命に向かっています。自分としてはそうなんでしょうね。その意味では、いかに単純な存在なのかということは分かります。言っていることは大き過ぎるけど。

トポロジーは分化と統合の理論

 トポロジーの最大のメリットは空間配置であり、その間の関係性を分けて考えられることと、同時に、一緒になって考えられることです。つまり、分化と統合を同時に行うことになります。これが存在と無とアナロジーになっています。だから、ピッタリときたのでしょう。

 数学の他の分野には、興味がなかった。トポロジーの自由度に比べたら、面倒なだけです。トポロジーは変革の先駆けであり、その妥当性を証明しています。人間の思考が追い付くのを待っている。人間というよりも、人類かもしれない。

 トポロジーの根幹は近傍系です。一つの点から始まって、小さな空間を作って、それでカバリングするという、下から上への方法です。併せて、近傍系というのは、それらの近傍を統合させるところです。近傍のベースになる標準関数などを含めて、考え方はできています。

 空間に対する自由度は高いです。どんな特異点があろうとも、次元が異なっても、一つの空間ができ、その上での挙動が解明できます。

 村上春樹の文章を見ていると、空間を飛ばしています。線形で表現することは諦めて、読者の想像力に任せています。

Iさんから見た、高度サービス化

 Iさんとは、横軸だけではなく、縦軸もつながっているから楽しい。先回はしゃべることなくて、帰ってきた。それを気にして、バックヤードに居たけど、わざわざ、カウンターに出てきた。私のためだけに、レジをしていた。

 前のことがなかったら、多分、気にしてなかったことです。縦軸というのは、時間軸での連続性です。高度サービス化にとっては、前での情報をいかに展開するのかというのは、重要です。いまは、個人のリテラシーだけです。

 Iさんは、明日の昼に居るみたいですから、寄って、カードでフルバージョンを頼みましょうか。3時までに、豊田市図書館に行けばいいのだから。

多元世界が天国と地獄を生み出した

 多元世界では、そういう世界は可能です。次は、その世界に行くことが考えられます。この地球だけが宇宙ではない。

 浄土真宗とかキリスト教での天国とか地獄というのは、多元世界を表しているのでしょう。偶々、寄った、この世界だけではなく、時間軸でつながっているのです。それをDNAが覚えているのでしょう。だから、多元世界で永遠回帰につながっていくのです。

 中に居ながら、ここまで分かるのだから、宇宙工学と同レベルかもしれない。

 永遠回帰からすると、人類誕生前の歴史を見ているかもしれない。地中海が開かれた風景を感じるのは、そのためなのか。
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分化と統合の組み合わせ

未唯へ

 朝、起きて思うこと。今日はこのままでいいのか。

 明日は絶対ミカロスです。パソコンを開きたくないけど、書き起こしとか、第3章をやらないといけない。ふつうになりそうです。ただし、午前中だけです。

分化と統合の組み合わせ

 分化と統合がキーになります。だから、組合せです。パートナーは分化です。それで私が統合ができるのです。

 統合には不変が必要です。何が変わらないのか、何が変わりうるのか、何を軸にすることができるのか。

 より多くの人が参加して、より多くの人が知恵を出せる。そのためには分化が必要です。それをバラバラにしないのが、統合です。空間をそういう配置にしていく。

国民国家は破綻する

 なぜ、国民国家が起ってきたのかを考えると分かるかもしれない。一番大きなものは戦争でしょう。そのための武器を皆が使えるようになってきた。数が多ければ多いほど、勝てる。それ以前は、個人の資質だったけど、そんなものに関係なく、使えるようになった。その力を外に向かうしかなかった。そのために、国民国家は最終的には破綻する。

 それより前に、アレキサンドリア大王で同じことが起こっている。個人の意思と地位で、向かう方向を示したことによって、8万人の人間が動き出した。同じことは、モンゴルのチンギスカンでも起こっている。それは国民国家ではなく、騎馬民族の優位性で起こっている。方向を示すために武器を持った人をまとめ上げた。

 ラ・マルセーズで目覚めた人に武器を与えれば、ヨーロッパを征服できた。それは、アフリカの少年兵にもつながっている。

 今や、人ではなくて、機械で出来るようになった。世界で一番怖いものはその部分です。意思の力さえあれば、人間の存在に関係なく、破壊ができる。これは原発使用に関することにもつながる。

戦争が国民国家を育てた

 戦争というところから見ると、国民国家の威力はよく分かります。何十倍にもなります。その代り死者は何万倍になります。

 第一次世界大戦で、ドイツは百万人以上が亡くなった。それでも、最新式の武器にして、攻めていった。それで、百万人以上が亡くなった。そこから、EUという、新しい統合が始まった。

 日本の場合は、310万人が亡くなった。ほとんどが犬死です。中国は一千万人以上が亡くなった。中国の一千万人は飢餓でもなくなっているし、毛沢東の大躍進でもなくなっている。同じことは、スターリンにも言えます。

無人の攻撃機の弱点

 無人の攻撃機の弱点はあります。これは米国映画でやっていた。発信基地を破壊するとか、電波を妨害すればいい。そして、ウイルスをばらまくことです。

 これが、個人の分化で起こった時にはそうはいきません。存在の力の場合は、ゲリラ化します。意思の力で成り立っていた、日本軍の場合はゲリラ化しません。

 だから、アフガニスタンの場合は、分化していたので、ゲリラ化した。分化のキッカケが悲惨です。アフガニスタンはあまりにも、場所が悲劇的です。

知識と意識という概念

 コミュニティを知識と意識の場という、語呂のいい言葉と概念だけで済ましている。これをもっと、追い詰めないといけない。今回のポータルで、どこまでできるのか。

 概念ができたら、分化させるために、コミュニティを使います。そのコミュニティをゼロから作る場合と、既存のものを流用する場合でシナリオ化します。既存のものとしては、店舗であり、図書館です。
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中項目名の変更 自分、数学

1.自分

 1.1 生まれてきてしまった

  1.1.1 存在と無で絶対的な孤独にいる

  1.1.2 存在の証しを真理探究に求める

  1.1.3 数学を生かして、全体を見ていく

  1.1.4 数学・社会・歴史で未来をみる

 1.2 生きている意味を探してきた

  1.2.1 夢を聞き、夢を伝え、確信を持つ

  1.2.2 もう一人の私のμが生まれた

  1.2.3 偶然を意識すると必然が見える

  1.2.4 考え抜くことで啓示を得る

 1.3 宇宙の旅人という言葉を得た

  1.3.1 宇宙の旅人として、心を軽くする

  1.3.2 生きることは考えること

  1.3.3 社会の中の個人をμの目で見る

  1.3.4 社会を分析して、近傍から発想

 1.4 考えを未唯への手紙で表現

  1.4.1 社会につぶやくことから始めた

  1.4.2 考え、感じたことを残し、分類

  1.4.3 ボランティアで社会への行動

  1.4.4 グローカルからサファイア循環

 1.5 存在と無をあわせ持つもの

  1.5.1 自分は考えている時だけ存在する

  1.5.2 全てを無にする覚悟をもつ

  1.5.3 考えることが存在と無をつなぐ

  1.5.4 内なる世界で孤独を超える

 1.6 未唯空間で考えを体系化

  1.6.1 考えを体系化する手法を開発

  1.6.2 分化しながら、統合する表現

  1.6.3 TGAL近傍で未唯空間を構成

  1.6.4 言語表現の未唯空間を位相化

 1.7 行動としてのサファイア革命

  1.7.1 個人の分化の例としての未唯空間

  1.7.2 ライフログとして全てを発信する

  1.7.3 LL=GGに向けた社会改革を提案

  1.7.4 コミュニティの必要性と位置づけ

 1.8 内なる自分で変革を実現

  1.8.1 数学・社会・歴史で変革シナリオ

  1.8.2 サファイア社会での幸せループ

  1.8.3 全てを知ることで自己肯定

  1.8.4 未唯宇宙で全てを表して、還る

2.数学

 2.1 真理があるとしたら、数学にある

  2.1.1 真理は不変で全体をつくる

  2.1.2 全体が見えてくる数学を習った

  2.1.3 近傍から全体を見る多様体を発見

  2.1.4 多様体から社会モデルをつくる

 2.2 トポロジーの空間配置と関係性

  2.2.1 社会を集合として多様体モデル

  2.2.2 ゼロから空間を作り上げる訓練

  2.2.3 複雑性の考えで社会現象を理解

  2.2.4 店舗・本社を空間配置でモデル化

 2.3 トポロジーは変革の先駆け

  2.3.1 算数はモノの関係を理解する

  2.3.2 デカルト平面幾何の次元の呪い

  2.3.3 空間を自由に規定し、数学は独立

  2.3.4 多様体で自由な空間認識が可能

 2.4 近傍系の概念を社会に適用

  2.4.1 数学者は近傍から全体が見れる

  2.4.2 集合と空間配置を仕事に適用

  2.4.3 コミュニティを近傍系で解析

  2.4.4 数学でサファイア循環を理論化

 2.5 未唯空間で社会の方向性を把握

  2.5.1 {思考、行動}{地域、全体}の空間

  2.5.2 サファイアに対応する4つの機能

  2.5.3 近傍系を連鎖して位相空間を作る

  2.5.4 基本空間をベースにグループ設定

 2.6 未唯空間で社会の方向性を把握

  2.6.1 考えるための生活規範を設定

  2.6.2 数学・図書館・社会・歴史で展開

  2.6.3 疑似空間で全体の動きを把握

  2.6.4 社会の位相化から現象解析

 2.7 変革の根拠として、新しい数学活用

  2.7.1 ローカル規定を多様な空間と接続

  2.7.2 特異点を解消して意味ある空間

  2.7.3 分化で自己組織化した空間

  2.7.4 新しい数学として、社会構造解析

 2.8 内なる数学でサファイア社会を実現

  2.8.1 トポロジー思考で存在の力を発揮

  2.8.2 仕事をモデル化し、考える生活

  2.8.3 個人の分化から社会の位相化

  2.8.4 数学的世界観でのLL=GGを追求
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サルトルの『存在と無』の抽出

あの実存主義の大著『存在と無』もまた、バカラの収容所内で七月二十二日に書き始められている。翌一九四一年三月九日、捕虜生活の末期にトリーアからボーヴォワールに宛てられた手紙では、時間論が仕上がり、二〇〇ページにもなった旨が伝えられている。

『存在と無』は、それまで哲学的主著を書いていなかったサルトル本来の仕事であろうが、この書を濃く彩っているものが、終始一貫した「意識の自由」の強調である。本来的に、またどのような状況におかれようとも、透明な意識は呪われているほどに「自由」である、と繰り返し強調されており、このことはこの書の途中までが収容所の中で書かれたことを考えるならば、やはり占領下のフランス人が自らの絶対的自由を主張するメッセージ性を担っていたことは、否定しがたいであろう。

サルトルの哲学的主著『存在と無』は、戦時中に刊行されたこともあって売れ行きは悪かった。しかしこれは、邦訳で四〇〇字詰原稿用紙に換算して二九〇〇枚に及ぶ大著であり、喫茶店のボーイの身振りが持つ意味など、日常生活の中にまで哲学的分析が入り込んでいくメスの鋭さや、他者の存在の分析のオリジナリティが読む者を打ち、二十世紀フランス哲学のバイブルとなった。人間存在の根源的な構造から世界全体までの一切を、サルトル自身の分析力だけで徹底的に解明しようとしたこの力業の影響は、陰に陽に以降のあらゆるフランス哲学に及んだ。

『存在と無』に表われたものは、明晰、明澄な人間の「意識」への、過剰とも思える徹底した信頼であり、その「意識」の明晰さと解析力をもってすれば、人間と世界の事象のすべてを解明しえるという自信と、その実例による証明である。そこにはハイデガーの実存分析をさらに徹底させた、人のしぐさや日常の細々した意識の分析から、人間の知と意思の究極の欲望までが語られている。

では「実存」概念の転変の末に、いまやフランス実存主義の聖典となった『存在と無』とはどのようなものであったか。

このペーパーナイフの挿話はあまりにも有名で、さまざまに言及されており、すでに手垢のついたものになってしまっている。しかし今改めて考えれば、『存在と無』のサルトルの思想を、これほど短く正確に表わしているものはない。ペーパーナイフと人間との対比は、まさに「存在」と「無」のことであり、不自由な「物」と自由な「意識」のことである。人間をとりまく大部分の物は、たとえば都市全体にはりめぐらされた高速道路網から、その中の個々の信号ランプの赤いガラスに至るまで、人間によって構想され、設計され、現実に作り出されたうえ、設定どおりに配置、運用されているものであって、その役割が正確に規定されている。それに対し、そこに関わる肝心の人間にはどのようなタガもはめられていない。だから、「人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない」。

人間にはどのような本質も運命もない。つまり自己を縛りつけるものなど何もなくて、根源的に自由である。そうであるなら、この世界が人間の労働の集積によって存立している以上、人間は自らの自由を使って望ましい世界を創造しうるではないか。こうして『実存主義とは何か』の主張する実存主義とともに、その理論書たるべき『存在と無』もまた、「自由と主体」の宣言となっているのである。それはまた、無生気な「物」とは隔絶した、人間存在の持つ至高の「特権性」をも賞揚しているのだ。

ところで実存主義ブームを支えた『存在と無』とは、二十世紀の哲学的風景の中でどのような存在であったのだろうか?

サルトルが三十八歳で刊行した『存在と無』は、奇妙な大著である。邦訳四〇〇字詰約二九〇〇枚は、師匠格たるハイデガーが三十七歳で書いた『存在と時間』の約一六○○枚を、ボリューム的にはるかに凌ぐ。『存在と無』を構成する思索は、一九三九年九月からの奇妙な戦争のさなかに少しずつ書きためられ、『存在と無』という哲学書を目指してまとめられ始めたのが、一九四〇年七月二十二日、フランス国内のドイツ軍捕虜収容所の中でだった。このため作品中に戦争・戦闘に関するシーンが次々と登場する、類例のない哲学書となっている。たとえば、

奇襲作戦のとき、茂みのなかをはらばいになって進んでいく兵士たちが「避けるべきまなざし」としてとらえるのは、二つの眼ではなくて、丘のうえに、空をくぎって見える一軒の白い農家全体である。……茂みや農家やその他のものは、決して、カーテンの背後や農家の窓の背後にいて待ち伏せしている伏兵の肉眼を、指し示すものではない。それらは、ただそれらだけで、すでに眼である。

逃亡するこの兵士は、さっきまでまだ「敵-他者」に銃口を向けていた。敵と彼とのあいだの距離は、彼の弾道によって測られていた。……だが、いまや彼は、銃を塹壕に投げすてて逃げ出す。たちまち、敵の現前が、彼をとりまき、彼を圧倒する。いままで弾道によって隔てられていた敵は、弾道の消滅したまさにその瞬間に、彼におどりかかる。

この膨大な大著をあえて一言で言い表わすとすれば、人間は「無、しかしそれゆえに一切」と表現できるだろう。開巻まもなく、この世のあらゆる存在は「物」と「意識」とに分けられる。それは、世界と人間のことでもあり、即自存在と対自存在、すなわち存在と無とも表現される。即自存在(物)は自身が自らにぴったりと重なり、それ自身においてどのような差異も持たず、無限の密度で充実した存在である。しかしながら、自らの充実そのものの中にいわば眠り込み、どのような意識も意志も感情も持だない。

これに対し、対自存在(意識)は(即自)存在のいわば矛盾概念としての「無」、つまり虚ろな存在ではあるが、否定作用を根源に持つことできわめて能動的である。意識はあらゆる所与から自身を切り離し、さらに、新しい理想的な自己ないし世界を作り出し得る存在として描かれる。意識は自らの裡に根拠を持たぬ「無」ではあるが、その本源的な否定能力のゆえに、自己や過去から常に自由であり、他者を対象化し続けることで自由を得ようとし、またあるべき世界像を作り出し、その実現に向けて現実を変えようとする自由そのものの存在なのである。

この点からするなら、サルトルはフッサールに戻り、さらには世界を呑み込もうとするヘーゲル的な発想にまで本家帰りをする。ただし、現象学のキーワードが、志向性-気遣いへと移ってきたのだとすれば、それに相当するサルトルのキー。ワードは「まなざし」(regard)となる。しかしサルトルにおける「まなざし」は、フッサールを受け継いで対象を鮮明に捉えるのみならず、異様なニュアンスを持つ。先の、「丘の上の敵兵の潜む農家というまなざし」の引用にも表われているように、『存在と無』の三分の一を費やしてサルトルが論じ続けた「対他存在」において、「まなざし」はきわめて敵対的な作用をもたらす。このため『存在と無』が描き出す世界像は、人間が互いに相手を見据え、限りなく相剋しあう、万人の万人に対する不気味な戦いになってしまった。しかし、このまなざしの不気味さ、その敵対性は、日常生活から国際政治にまで及ぶ一面の真理ではあっても、当然すべてではない。まなざしの理論はリアルであり、独創的でもあったが、その攻撃性の強調のために、ハイデガーの気遣いのコンセプトに含まれる人間同士のネットワークなどの積極面を、全面的に否定してしまい、理論としてややバランスを欠いたものになっている。

それでも、『存在と無』全巻を統一するサルトルの視点は、世界を目指す自由で主体的な主観に置かれており、フッサールが真理の基準を直観の明証性に置いたことを受け継ぎ、どこまでも明澄な眼差しと明晰な論理によって、自らの知の力だけで世界を知り尽くそうという意気に溢れている。ハイデガーの哲学が思索的、神秘的なのに比べれば、サルトルの哲学ほまちがいなくフットワークが軽く、生き生きして行動的であった。フッサール、ハイデガーいずれの哲学に比べても、活力に富み、現実に関わろうとする意志が強く、メッセージ性も含まれていた。サルトルはのちに呼ばれることになる「行動する哲学者」の素質を、あらかじめ持っていたと言うべきであろう。

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