未唯への手紙
未唯への手紙
夢の中で、期限が設定された
先を急ぎましょう
夢の中で、期限を設定された。さあ!先を急ぎましょう。
パートナーの魅力は存在の力です。決して、意思の力ではない。それを皆に。分かるようにしましょう。
歴史をどう捉えるか
歴史をどう捉えたらいいのか。過去、生きてきたのは確かかもしれないけど、人間が生まれる前と生まれた後、社会が生まれる前と後。国が生まれた後の歴史からすると、個人と国との関係です。
それ以前の歴史というのは、ほとんど、「自然」現象です。大隕石が来たとか、地中海がせき止められたとか、氷河時代とかです。
戦争の歴史は国の歴史です。国民国家になってからは、国民の歴史になった。国民国家からグローバル化して、そして、コミュニティと超国家の二元化です。人との関係ですから、人が増えることで、境界線ができ、国ができた。そして、国同士が争った。
歴史教科書は国の単位です。独・仏連合というものがあるけど、日本・中国・韓国の共同歴史教科書はありません。
夢の中で、期限を設定された。さあ!先を急ぎましょう。
パートナーの魅力は存在の力です。決して、意思の力ではない。それを皆に。分かるようにしましょう。
歴史をどう捉えるか
歴史をどう捉えたらいいのか。過去、生きてきたのは確かかもしれないけど、人間が生まれる前と生まれた後、社会が生まれる前と後。国が生まれた後の歴史からすると、個人と国との関係です。
それ以前の歴史というのは、ほとんど、「自然」現象です。大隕石が来たとか、地中海がせき止められたとか、氷河時代とかです。
戦争の歴史は国の歴史です。国民国家になってからは、国民の歴史になった。国民国家からグローバル化して、そして、コミュニティと超国家の二元化です。人との関係ですから、人が増えることで、境界線ができ、国ができた。そして、国同士が争った。
歴史教科書は国の単位です。独・仏連合というものがあるけど、日本・中国・韓国の共同歴史教科書はありません。
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ギリシャ人 困難を生き抜くための知恵
『ギリシャ人の真実』より
ギリシャ人たちが話をしていて「賢い」という時、その「賢い」の中には「うまくやる」という意味が含まれている。時にそれは「ずるい」ことでもある。とにかく状況をうまく切り抜けることができるのは「賢い」ということになる。皮肉ではなく尊敬に値する。これが日本ならペテン師と言われかねないが、ちょっと考えてみたい。
島国で元々は農耕や漁業にいそしむ村社会を築いてきたところに住む日本人は、集団に守られ、集団で行動したり協調して生きることが得意だ。一方、バルカン半島の南端に位置するところに住み、数千年にわたって北方からの多種多様な民族、あるいは東側にあるアジアからの脅威と対峙し、西ヨーロッパからの攻撃を受けてきた人々は、目まぐるしく変化する不安定な環境の中で常に敵と味方を見分ける判断力と、生き残るための術を身につけてきた。
自分自身で考え、自分で生きることが得意だ。いや、得意というより、そうして切り抜けていかなければ生き残ってこられなかっただろう。ギリシャ語を話す人々であるギリシャ人が3000年前から今日まで、細々とでも途切れることなく存在し続けるためには、その時々の支配者や勢力のある者とうまく折り合いをつけながら、一方では相手に悟られないように密かに、また頑固なまでに自らの生き方や生活を守ってきたことで、今日のギリシャ人があるのだろう。
せいぜい十年とか数十年という時の長さの中で判断して、やれギリシャはダメだとか何をしているんだとか非難するのは簡単だが、百年とか数百年、千年の尺度で見て民族が生き残っていくのに必要なものは、経済だけではない気がする。紀元前の古代から今日に至るまで多くの民族が現れては滅びていったが、歴史に翻弄され、おそらくさまざまな民族の血と混じり合いながらも、ギリシャ人として残ることができた理由を考えるのは意義がありそうだ。時流に合う、合わないといった現在の価値観とは違うものが必要だったはずだ。
彼らは一見、自己主張がとても強くて、何か問題があると黙ってはいないし必ず抵抗するが、意外に耐え忍ぶことを知っている。また、小さくて弱い国だからこそ相手に対して強さを示したり威嚇することも生き残るための手段だ。それでも自分を守りきれなければ、あとはひたすら我慢して耐える。どうしても耐え切れなくなったら爆発するしかないのだが、今の状況では爆発しても希望の光はどこにも見えてこない。
今、小さな国ギリシャとそこに住む人々は経済危機に翻弄されているけれど、どんな賢さをこれから発揮していくのだろうか。
ギリシャ人はタフな人たちだ。たとえば、一日の仕事をして残業もこなして夜T―I時に家に帰ったとする。くたくたで、日本人だったら翌日の仕事に備えて、お風呂に入ってちょっと酒を飲みながら食事をして早めに寝るという感じだろうか。それがギリシャ人の場合だったらどうなるか。夜遅く仕事が終わって帰宅したら、シャワーを浴びて一日の汗を流して、ちょっとおしゃれな服に着替えて外へ遊びに出る。これからが本番というわけだ。
頑張って仕事をしたのだから、これから楽しむのだ。人生は楽しむためにある。大変だけれど、頑張って仕事をする。子どもたちを育てることも人生の楽しみだから、子どもたちのためにできるだけのことをする。必要な時はもちろん一生懸命仕事をするが、それは「仕事だから」でも「会社のため」でもない。「価値があること」だからするのだと考える。
働くこと自体が美徳とされ、全体に気を配り、組織を大切にする日本人には少し理解しにくいかもしれない。しかし、「人生を楽しむこと」がギリシャ人の基本。ちょっと我がままに見えるかもしれないが、私は、このほうが自分らしく幸せに暮らせると思う。少なくともストレスがたまらなそうだ。
ギリシャ人たちが話をしていて「賢い」という時、その「賢い」の中には「うまくやる」という意味が含まれている。時にそれは「ずるい」ことでもある。とにかく状況をうまく切り抜けることができるのは「賢い」ということになる。皮肉ではなく尊敬に値する。これが日本ならペテン師と言われかねないが、ちょっと考えてみたい。
島国で元々は農耕や漁業にいそしむ村社会を築いてきたところに住む日本人は、集団に守られ、集団で行動したり協調して生きることが得意だ。一方、バルカン半島の南端に位置するところに住み、数千年にわたって北方からの多種多様な民族、あるいは東側にあるアジアからの脅威と対峙し、西ヨーロッパからの攻撃を受けてきた人々は、目まぐるしく変化する不安定な環境の中で常に敵と味方を見分ける判断力と、生き残るための術を身につけてきた。
自分自身で考え、自分で生きることが得意だ。いや、得意というより、そうして切り抜けていかなければ生き残ってこられなかっただろう。ギリシャ語を話す人々であるギリシャ人が3000年前から今日まで、細々とでも途切れることなく存在し続けるためには、その時々の支配者や勢力のある者とうまく折り合いをつけながら、一方では相手に悟られないように密かに、また頑固なまでに自らの生き方や生活を守ってきたことで、今日のギリシャ人があるのだろう。
せいぜい十年とか数十年という時の長さの中で判断して、やれギリシャはダメだとか何をしているんだとか非難するのは簡単だが、百年とか数百年、千年の尺度で見て民族が生き残っていくのに必要なものは、経済だけではない気がする。紀元前の古代から今日に至るまで多くの民族が現れては滅びていったが、歴史に翻弄され、おそらくさまざまな民族の血と混じり合いながらも、ギリシャ人として残ることができた理由を考えるのは意義がありそうだ。時流に合う、合わないといった現在の価値観とは違うものが必要だったはずだ。
彼らは一見、自己主張がとても強くて、何か問題があると黙ってはいないし必ず抵抗するが、意外に耐え忍ぶことを知っている。また、小さくて弱い国だからこそ相手に対して強さを示したり威嚇することも生き残るための手段だ。それでも自分を守りきれなければ、あとはひたすら我慢して耐える。どうしても耐え切れなくなったら爆発するしかないのだが、今の状況では爆発しても希望の光はどこにも見えてこない。
今、小さな国ギリシャとそこに住む人々は経済危機に翻弄されているけれど、どんな賢さをこれから発揮していくのだろうか。
ギリシャ人はタフな人たちだ。たとえば、一日の仕事をして残業もこなして夜T―I時に家に帰ったとする。くたくたで、日本人だったら翌日の仕事に備えて、お風呂に入ってちょっと酒を飲みながら食事をして早めに寝るという感じだろうか。それがギリシャ人の場合だったらどうなるか。夜遅く仕事が終わって帰宅したら、シャワーを浴びて一日の汗を流して、ちょっとおしゃれな服に着替えて外へ遊びに出る。これからが本番というわけだ。
頑張って仕事をしたのだから、これから楽しむのだ。人生は楽しむためにある。大変だけれど、頑張って仕事をする。子どもたちを育てることも人生の楽しみだから、子どもたちのためにできるだけのことをする。必要な時はもちろん一生懸命仕事をするが、それは「仕事だから」でも「会社のため」でもない。「価値があること」だからするのだと考える。
働くこと自体が美徳とされ、全体に気を配り、組織を大切にする日本人には少し理解しにくいかもしれない。しかし、「人生を楽しむこと」がギリシャ人の基本。ちょっと我がままに見えるかもしれないが、私は、このほうが自分らしく幸せに暮らせると思う。少なくともストレスがたまらなそうだ。
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民主主義 政治の必要性
『政治の起源』より
本来、もっとも望ましい政治制度であるはずの民主主義が苦境に陥っている。問題は民主主義の「理念」ではなく、民主主義を実行する「制度」にある。鍵を握るのは3つの要素、すなわち「国家」「法の支配」「説明責任を持った統治機構」の均衡にある。
1970年から2010年までの40年にわたる期間、世界各地で民主国家の数は飛躍的に増えた。1973年には、世界151カ国のうちフリーダムハウスによって「自由」として数え上げられた国は44カ国にすぎなかった。フリーダムハウスは世界中の国々の市民権や政治的権利について数字で計測して発表している非政府組織である。1973年にはまだ、スペイン、ポルトガル、ギリシャが独裁体制だった。ソ連と東欧の衛星諸国は強力に団結した社会を形成しているかに見えた。中国は毛沢東による文化大革命の最中だった。アフリカでは一群の腐敗した「終身大統領」による支配が固められつつあった。中南米はほとんどが軍事独裁に陥ってしまった。
だが、それから一世代で目を見張るような政治変革が起き、民主政と市場経済はアラブ中東圏を除き、ほぼ世界中に広まった。1990年代末には、世界の約120カ国、独立国家の6割以上が、選挙制による民主国家となった。この変容が、サミュエル・ハンティントンのいう「民主化の第三の波」である。21世紀初頭には、自由な民主主義こそが、政体の既定値としての形態であることが、政治風土の中で当然のことと受け止められるようになった。
こうした政治制度の変化の背景では、並行して大きな社会変容が起きていた。民主政への移行は、以前は受け身だった世界各地の人々が組織化して自らの社会の政治活動に参加した結果であった。
一群の要因が、この社会的動員を引き起こした。①教育の機会が飛躍的に拡大し、教育を受けた人々は自身とそれを取り囲む政治社会について自覚を促された、②情報技術(IT)が思想と知識の急速な伝播を促した、③人の移動と情報伝達が安くできるようになり、気に入らない政府に対し反対票を投じに投票所に出向くのがたやすくなった、④豊かになった人々は、自らの権利をさらに確実に守りたいと考えるようになった--などの要因である。
「第三の波」は1990年代末に頂点に達し、21世紀に入ってからの10年間には、今度は「民主化後退」が起きた。「第三の波」に乗った国の2割方が強権政治に逆戻りするか、民主主義制度のかなりの衰退を見回。フリーダムハウスによれば、2009年には、4年続きで世界中で自由が後退した。これは、1973年にフリーダムハウスが「自由」の計測を開始して以来はじめてのことである。
本来、もっとも望ましい政治制度であるはずの民主主義が苦境に陥っている。問題は民主主義の「理念」ではなく、民主主義を実行する「制度」にある。鍵を握るのは3つの要素、すなわち「国家」「法の支配」「説明責任を持った統治機構」の均衡にある。
1970年から2010年までの40年にわたる期間、世界各地で民主国家の数は飛躍的に増えた。1973年には、世界151カ国のうちフリーダムハウスによって「自由」として数え上げられた国は44カ国にすぎなかった。フリーダムハウスは世界中の国々の市民権や政治的権利について数字で計測して発表している非政府組織である。1973年にはまだ、スペイン、ポルトガル、ギリシャが独裁体制だった。ソ連と東欧の衛星諸国は強力に団結した社会を形成しているかに見えた。中国は毛沢東による文化大革命の最中だった。アフリカでは一群の腐敗した「終身大統領」による支配が固められつつあった。中南米はほとんどが軍事独裁に陥ってしまった。
だが、それから一世代で目を見張るような政治変革が起き、民主政と市場経済はアラブ中東圏を除き、ほぼ世界中に広まった。1990年代末には、世界の約120カ国、独立国家の6割以上が、選挙制による民主国家となった。この変容が、サミュエル・ハンティントンのいう「民主化の第三の波」である。21世紀初頭には、自由な民主主義こそが、政体の既定値としての形態であることが、政治風土の中で当然のことと受け止められるようになった。
こうした政治制度の変化の背景では、並行して大きな社会変容が起きていた。民主政への移行は、以前は受け身だった世界各地の人々が組織化して自らの社会の政治活動に参加した結果であった。
一群の要因が、この社会的動員を引き起こした。①教育の機会が飛躍的に拡大し、教育を受けた人々は自身とそれを取り囲む政治社会について自覚を促された、②情報技術(IT)が思想と知識の急速な伝播を促した、③人の移動と情報伝達が安くできるようになり、気に入らない政府に対し反対票を投じに投票所に出向くのがたやすくなった、④豊かになった人々は、自らの権利をさらに確実に守りたいと考えるようになった--などの要因である。
「第三の波」は1990年代末に頂点に達し、21世紀に入ってからの10年間には、今度は「民主化後退」が起きた。「第三の波」に乗った国の2割方が強権政治に逆戻りするか、民主主義制度のかなりの衰退を見回。フリーダムハウスによれば、2009年には、4年続きで世界中で自由が後退した。これは、1973年にフリーダムハウスが「自由」の計測を開始して以来はじめてのことである。
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