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サルトルの『存在と無』の抽出

あの実存主義の大著『存在と無』もまた、バカラの収容所内で七月二十二日に書き始められている。翌一九四一年三月九日、捕虜生活の末期にトリーアからボーヴォワールに宛てられた手紙では、時間論が仕上がり、二〇〇ページにもなった旨が伝えられている。

『存在と無』は、それまで哲学的主著を書いていなかったサルトル本来の仕事であろうが、この書を濃く彩っているものが、終始一貫した「意識の自由」の強調である。本来的に、またどのような状況におかれようとも、透明な意識は呪われているほどに「自由」である、と繰り返し強調されており、このことはこの書の途中までが収容所の中で書かれたことを考えるならば、やはり占領下のフランス人が自らの絶対的自由を主張するメッセージ性を担っていたことは、否定しがたいであろう。

サルトルの哲学的主著『存在と無』は、戦時中に刊行されたこともあって売れ行きは悪かった。しかしこれは、邦訳で四〇〇字詰原稿用紙に換算して二九〇〇枚に及ぶ大著であり、喫茶店のボーイの身振りが持つ意味など、日常生活の中にまで哲学的分析が入り込んでいくメスの鋭さや、他者の存在の分析のオリジナリティが読む者を打ち、二十世紀フランス哲学のバイブルとなった。人間存在の根源的な構造から世界全体までの一切を、サルトル自身の分析力だけで徹底的に解明しようとしたこの力業の影響は、陰に陽に以降のあらゆるフランス哲学に及んだ。

『存在と無』に表われたものは、明晰、明澄な人間の「意識」への、過剰とも思える徹底した信頼であり、その「意識」の明晰さと解析力をもってすれば、人間と世界の事象のすべてを解明しえるという自信と、その実例による証明である。そこにはハイデガーの実存分析をさらに徹底させた、人のしぐさや日常の細々した意識の分析から、人間の知と意思の究極の欲望までが語られている。

では「実存」概念の転変の末に、いまやフランス実存主義の聖典となった『存在と無』とはどのようなものであったか。

このペーパーナイフの挿話はあまりにも有名で、さまざまに言及されており、すでに手垢のついたものになってしまっている。しかし今改めて考えれば、『存在と無』のサルトルの思想を、これほど短く正確に表わしているものはない。ペーパーナイフと人間との対比は、まさに「存在」と「無」のことであり、不自由な「物」と自由な「意識」のことである。人間をとりまく大部分の物は、たとえば都市全体にはりめぐらされた高速道路網から、その中の個々の信号ランプの赤いガラスに至るまで、人間によって構想され、設計され、現実に作り出されたうえ、設定どおりに配置、運用されているものであって、その役割が正確に規定されている。それに対し、そこに関わる肝心の人間にはどのようなタガもはめられていない。だから、「人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない」。

人間にはどのような本質も運命もない。つまり自己を縛りつけるものなど何もなくて、根源的に自由である。そうであるなら、この世界が人間の労働の集積によって存立している以上、人間は自らの自由を使って望ましい世界を創造しうるではないか。こうして『実存主義とは何か』の主張する実存主義とともに、その理論書たるべき『存在と無』もまた、「自由と主体」の宣言となっているのである。それはまた、無生気な「物」とは隔絶した、人間存在の持つ至高の「特権性」をも賞揚しているのだ。

ところで実存主義ブームを支えた『存在と無』とは、二十世紀の哲学的風景の中でどのような存在であったのだろうか?

サルトルが三十八歳で刊行した『存在と無』は、奇妙な大著である。邦訳四〇〇字詰約二九〇〇枚は、師匠格たるハイデガーが三十七歳で書いた『存在と時間』の約一六○○枚を、ボリューム的にはるかに凌ぐ。『存在と無』を構成する思索は、一九三九年九月からの奇妙な戦争のさなかに少しずつ書きためられ、『存在と無』という哲学書を目指してまとめられ始めたのが、一九四〇年七月二十二日、フランス国内のドイツ軍捕虜収容所の中でだった。このため作品中に戦争・戦闘に関するシーンが次々と登場する、類例のない哲学書となっている。たとえば、

奇襲作戦のとき、茂みのなかをはらばいになって進んでいく兵士たちが「避けるべきまなざし」としてとらえるのは、二つの眼ではなくて、丘のうえに、空をくぎって見える一軒の白い農家全体である。……茂みや農家やその他のものは、決して、カーテンの背後や農家の窓の背後にいて待ち伏せしている伏兵の肉眼を、指し示すものではない。それらは、ただそれらだけで、すでに眼である。

逃亡するこの兵士は、さっきまでまだ「敵-他者」に銃口を向けていた。敵と彼とのあいだの距離は、彼の弾道によって測られていた。……だが、いまや彼は、銃を塹壕に投げすてて逃げ出す。たちまち、敵の現前が、彼をとりまき、彼を圧倒する。いままで弾道によって隔てられていた敵は、弾道の消滅したまさにその瞬間に、彼におどりかかる。

この膨大な大著をあえて一言で言い表わすとすれば、人間は「無、しかしそれゆえに一切」と表現できるだろう。開巻まもなく、この世のあらゆる存在は「物」と「意識」とに分けられる。それは、世界と人間のことでもあり、即自存在と対自存在、すなわち存在と無とも表現される。即自存在(物)は自身が自らにぴったりと重なり、それ自身においてどのような差異も持たず、無限の密度で充実した存在である。しかしながら、自らの充実そのものの中にいわば眠り込み、どのような意識も意志も感情も持だない。

これに対し、対自存在(意識)は(即自)存在のいわば矛盾概念としての「無」、つまり虚ろな存在ではあるが、否定作用を根源に持つことできわめて能動的である。意識はあらゆる所与から自身を切り離し、さらに、新しい理想的な自己ないし世界を作り出し得る存在として描かれる。意識は自らの裡に根拠を持たぬ「無」ではあるが、その本源的な否定能力のゆえに、自己や過去から常に自由であり、他者を対象化し続けることで自由を得ようとし、またあるべき世界像を作り出し、その実現に向けて現実を変えようとする自由そのものの存在なのである。

この点からするなら、サルトルはフッサールに戻り、さらには世界を呑み込もうとするヘーゲル的な発想にまで本家帰りをする。ただし、現象学のキーワードが、志向性-気遣いへと移ってきたのだとすれば、それに相当するサルトルのキー。ワードは「まなざし」(regard)となる。しかしサルトルにおける「まなざし」は、フッサールを受け継いで対象を鮮明に捉えるのみならず、異様なニュアンスを持つ。先の、「丘の上の敵兵の潜む農家というまなざし」の引用にも表われているように、『存在と無』の三分の一を費やしてサルトルが論じ続けた「対他存在」において、「まなざし」はきわめて敵対的な作用をもたらす。このため『存在と無』が描き出す世界像は、人間が互いに相手を見据え、限りなく相剋しあう、万人の万人に対する不気味な戦いになってしまった。しかし、このまなざしの不気味さ、その敵対性は、日常生活から国際政治にまで及ぶ一面の真理ではあっても、当然すべてではない。まなざしの理論はリアルであり、独創的でもあったが、その攻撃性の強調のために、ハイデガーの気遣いのコンセプトに含まれる人間同士のネットワークなどの積極面を、全面的に否定してしまい、理論としてややバランスを欠いたものになっている。

それでも、『存在と無』全巻を統一するサルトルの視点は、世界を目指す自由で主体的な主観に置かれており、フッサールが真理の基準を直観の明証性に置いたことを受け継ぎ、どこまでも明澄な眼差しと明晰な論理によって、自らの知の力だけで世界を知り尽くそうという意気に溢れている。ハイデガーの哲学が思索的、神秘的なのに比べれば、サルトルの哲学ほまちがいなくフットワークが軽く、生き生きして行動的であった。フッサール、ハイデガーいずれの哲学に比べても、活力に富み、現実に関わろうとする意志が強く、メッセージ性も含まれていた。サルトルはのちに呼ばれることになる「行動する哲学者」の素質を、あらかじめ持っていたと言うべきであろう。

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コメント
 
 
 
とても共感 (武田康弘)
2020-06-15 03:05:05
わたしは、竹内芳郎さんに師事し共同で仕事をした者です。
内容に共感しました。
昔、「サルトル哲学序説」への感動が「存在と無」に向かわせました。
いまもなお、もっとも注目すべき書で、古代アテネのデルフォイ神殿の碑「汝自身を知れ」に直結しています。
実存的精神分析と実存的倫理(現象学的存在論による)
 
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