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リー・クアンユー 中国の未来

『リー・クアンユー、世界を語る』より

Q 中国の指導者は本気で、アメリカに代わってアジアで、あるいは世界でナンバーワンの国家になろうとしているのか?

 A もちろん、当然そうだ。中国は、貧しかった社会を、経済的奇跡によって今や世界第2位の経済大国へと変えた。そして順調にいけば、ゴールドマン・サックスが予想していたとおりに、20年以内に世界第1位の経済大国になるだろう。

 中国はこれまで、国民を宇宙に送り込んだり、ミサイルで衛星を撃ち落としたりするアメリカの背中を追いかけてきた。中国には4000年の歴史を誇る文化があり、多くの有能な人材のいる13億の国民がいる。きわめて優秀な人材を大勢プールしているのだ。そんな国が、アジアで、そしてやがては世界でナンバーワン国家になる野心をもたないわけがない。

 今日、中国は世界最速で発展しつづけ、50年前には想像もできなかったほどの成長をし、だれも予測していなかった劇的な変貌を遂げている。それとともに中国の人々も、より高い望みや野心を抱くようになった。中国が強くて豊かで、アメリカやヨーロッパや日本に対する技術競争力をもつような国家として繁栄すること、そしてアメリカと対等の国家として今世紀を分かち合うことを、中国人はみな望んでいる。国民のあいだに呼び覚まされたこうした意識というのは、非常に強い力になる。

 中国には、世界で最強の国家になろうという意図がある。近隣諸国のみならず、世界のすべての国々の対中政策は、すでにその点を見据えている。それらの国々の政府は、中国の国益を脅かすことになった場合を想定し、自国の立場を見直している。中国は対立国に対して、収入が増えて購買力がついてきた13億の人口を抱える市場から締め出すという経済制裁を科すことができるからだ。

 他の新興諸国とは違い、中国は中国として存在し、欧米の名誉会員としてではなく、中国として受け入れられることを望んでいる。

Q 中国がアジアの強国になると、その対外行動はどのように変化するか?

 A 中国の考え方の核は、半植民地化やそれによる搾取と屈辱以前の世界だ。中国語で中国は「中心の王朝」を意味する。中国がこの地域で支配的な立場にあり、関連諸国を属国と見なし、北京に朝貢させていた時代を思い起こさせる名称だ。その時代、たとえばブルネイのある国王は、貢物として絹を持って北京に赴いたが、今から400年ほど前の北京で命を落としたため、現在は北京の寺院に祀られている。

 アメリカが1945年以降そうであったように、強国となり工業化した中国は東南アジアの善隣友好国となりうるのだろうか? シンガポールには確信がもてない。ブルネイやインドネシア、マレーシアやフィリピン、タイやベトナムもやはり、確信をもてないだろう。中国が自信を強め、進んで困難な立場に突き進もうとするのを、私たちはすでに目の当たりにしている。

 アメリカが懸念するのは、中国が優位性を競う力をもつと、世界がどんな状況に直面するかだ。アジアの中小国の多くも懸念している。中国がかつてのように宗主国の地位にふたたび納まり、自分たちが数百年前のように属国扱いされて中国への朝貢を強いられるかもしれないと思うと、穏やかではいられない。

 シンガポールは中国から、影響力を強めつつある中国をもっと尊重するよう要望されている。中国は、「大国も小国も対等である、中国は宗主国ではない」と言う。だが、中国の意に染まないことを我々がすると、中国は「13億の中国国民を不幸にした」と責める。ぜひとも、中国には自分の立場を認識してほしい。

Q 習近平国家主席はどう評価されるか?

 A 習近平は、胡錦濤よりも厳しい人生を送ってきた。彼の父親は下放されて田舎暮らしをし、習近平本人も田舎暮らしをしていた。彼はそれを苦にすることなく、南部で地道に出世していき、福建省長になった。その後、上海市党委書記に就任。しかし、けっして順風満帆ではなかった。そうした人生経験は、習近平をタフにした。

 習近平は内省的だ。それは人と話をしたがらないという意味ではなく、自分の好き嫌いに忠実なのだ。たとえ相手から気に障ることを言われても、顔にはつねに感じのよいほほえみを浮かべている。習近平のような試練や苦難を経験することなく出世した胡錦濤以上の、鉄の意志の持ち主だ。

 彼は言うならば、ネルソン・マンデラのような人間なのだ。情緒的にきわめて安定しており、自分自身の不幸や裁判で味わった苦痛で自分を哀れむことを潔しとしない、すばらしい人物だ。
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京都盆地への遷都

『水から見た日本文明史と世界の水問題』より

1.なぜ、恵みの奈良盆地を離れたのか

 大陸から日本列島へ渡ってきた人々にとって、奈良盆地は祝福の地であった。なぜなら、奈良盆地は全周が森林に囲まれた土地であったからだ。森林はエネルギーであった。文明の誕生にエネルギーは不可欠であった。森林というエネルギーに囲まれた奈良盆地で、日本文明が誕生したのは当然であった。

 「鳴くよ(794年)ウグイス平安京」のフレーズは忘れられない。年号の暗記が苦手だった私でさえ覚えている。桓武天皇は奈良盆地から京都へ遷都した。この遷都は徹底していた。朝廷や貴族たちはもちろん官人、工人そして一般庶民の総てが移動し、宮廷の建材、瓦、内装品、装飾品は解体され持ち運びだされたという。

 この徹底した遷都をみていると、まるで奈良盆地から脱出して行くようだ。なぜ、桓武天皇は祝福の奈良盆地から脱出したのか?さらにおかしなことに、桓武天皇は奈良からの遷都に大失敗している。奈良から長岡京へ遷都して、その10年後、長岡京から京都へ遷都をやり直している。同じ天皇が二度も遷都をしたなど、これが事実でなかったらとうてい信じられない。桓武天皇はどうしても奈良盆地から脱出したかった。それが拙速であっても、ともかく脱出したかったとしか思えない。桓武天皇を奈良盆地からの脱出に駆り立てた動機は、いったい何なのか?

2.恵みの地は呪いの地へ

 桓武天皇が遷都した理由は、歴史家のあいだで諸説ある。一つは、天智天皇系だった桓武天皇は天武天皇系の奈良から離れたかったから。一つは、藤原一族など在来貴族の影響から離れたかったから。一つは、道鏡など仏教の影響力を弱めたかった、などなどである。

 歴史家は人文系の人々なので、論点はどうしても社会・政治・宗教・心理の分野で展開される。人文科学の分野は多岐多様で、それこそ解釈は専門家の数だけあり、論議は止めどもなく続いていく。

 インフラ技術の視点からすれば、歴史の解釈は社会の下部構造すなわちインフラからアプローチすることにある。奈良盆地は安全と飲み水と水運に恵まれ、森林エネルギーに満ちた土地であった。その祝福された奈良盆地は日本文明の誕生の地となり、飛鳥京、藤原京、平城京を生んでいった。しかし、その祝福された奈良盆地は、300年後の8世紀後半、悲惨な呪いの地に変貌していた。エネルギーが枯渇してしまったのだ。

3.伐採しつくされた森林

 日本文明を誕生させた恵みの奈良盆地は、300年後には悲惨な呪いの地に変貌していた。奈良盆地はエネルギーを失っていたのだ。

 300年間、奈良盆地では飛鳥京、藤原京そして平城京が誕生し、宮殿と寺院と人々の住居が建築されていった。

 人間が生活をして、文明が営まれていくには、資源とエネルギーが必要である。当時の資源とエネルギーは、森林であった。まず、寺院のための巨木が周囲の山々から次々と切り出された。巨木が切り出された後、人々は山へ入り燃料や住居や舟や工作物の立木を伐採していった。

 故・岸樫原考古学研究所長の推定では、平城京の内外には15万人から20万人の人々が住んでいた。年間1人あたり最低10本の立木が必要だったとすると、年間150万本以上の立木が必要だったこととなる。

 モンスーン気候の日本列島の植生は生育が良い。しかし、それにも限度がある。年間200万本以上の立木伐採は、日本の森林の再生能力をはるかに超えていた。それが300年以上続けられたのではたまらない。奈良盆地を囲む山々は、禿山となっていった。

4.新天地・淀川水系へ

 禿山に囲まれた奈良盆地は、厄介で危険な土地となった。

 強い雨が降ると土壌は流出し、山の斜面は次々と崩壊していった。山の保水力は失われ、あちらこちらで湧いていた清水は枯れていった。さらに、崩壊した斜面の土砂は湿地湖を埋めていった。もともと水はけの悪い奈良盆地はますます水はけが悪くなり、雨のたびに都や田畑は浸水を繰り返した。人々の生活排水や排泄物も湖で澱み、盆地全体が不衛生になり疫病が慢性化していった。もちろん、土砂で埋まった湖では、舟の行きかいもままならなくなっていた。

 安全で、清潔な清水が湧き、舟の便が良く、エネルギー資源に恵まれていた奈良盆地は、水害が多発し、疫病が蔓延し、交通の便が悪く、エネルギー資源が枯渇した悲惨な土地となっていたのだ。

 禿山に囲まれた地での文明存続は不可能であった。桓武天皇がこの奈良盆地を見捨て、淀川流域の長岡京そして京都へ遷都したのは必然であった。淀川は8、000㎡を越える大きな流域を持っていた。1、000㎡の大和川流域に比べたら8倍もあった。

 桓武天皇は淀川流域の大きな森林エネルギーを求めて遷都した。奈良盆地の小さな油田は枯渇したので、巨大油田が控えている淀川へ向かった、と例えてもよい。

 桓武天皇のねらいは当たった。エネルギー豊かな淀川流域は、日本文明中興の平安時代を花開かせていった。
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OCR化した10冊

『水から見た日本文明史と世界の水問題』
 第1章 文明の下部構造
 第2章 日本文明の誕生
 第3章 京都盆地への遷都
 第4章 鎌倉での閉じこもり
 第5章 戦国へ
 第6章 関東地方のエネルギー
 第7章 徳川幕府の全国エネルギー覇権
 第8章 江戸の発展
 第9章 江戸文明の衰退
 第10章 広重が描いた日本文明の衰退
 第11章 黒船に救われた日本文明
 第13章 水力発電を誕生させた京都
 第14章 植民地化からのがれた日本
 第15章 ベルが見た水カエネルギーの宝庫・日本列島
 第16章 近代化への動力としての水力発電
 第17章 動力革命
 第18章 膨張する文明
 第19章 第二次の動力革命
 第20章 石油の世紀の幕開け
 第21章 石油へ向かう帝国たちと取り残される日本
 第22章 米国の石油の覇権
 第23章 石油の戦争
 第24章 原子力の登場
 第25章 水素
 第26章 エネルギーを生み出す未来都市
 第27章 省エネルギーと日本人の価値観
 第28章 太陽光発電の弱点
 第29章 太陽に育まれた水カエネルギー
 第30章 災害列島とエネルギー--東日本大地震の計画停電--
 第31章 エネルギーの進化
 第32章 重力エネルギーの都市
 第33章 未来の水力増強
 第34章 頂点で未来を望む

『リー・クアンユー、世界を語る』

 中国の未来
 Q ナンバーワンになるための中国の戦略とは?
 O その戦略を実行する際の大きな障害は何か?
 地政学とグローバル化の未来
 Q 今後20年ほどで、世界はどんな大きな問題に直面するか?
  三つ目は、日本の不況だ。これは、アジア太平洋全域に間接的に影響を及ぼす。社会の高齢化のせいで、景気の低迷から抜け出せない。日本は、単一民族社会を維持したいがゆえに、移民を受け入れようとしない。

『働く。なぜ?』

 なぜ「就職」ではなく「就社」か--長期観察・長期育成・長期雇用
 1 おじさんたちと「日本型雇用システム」
 2 「ハイブリッド人材像」を求めて「求める人材像」を示していない

『エジプト革命』

 ムスリム同胞団の夢と現実
 I 権力掌握の試み
 Ⅱ ムルシー政権の始動
 Ⅲ 二極化する社会

 民主化の挫折
 I 第二革命か、それともクーデターか
 Ⅱ ムルシー政権の始動
 Ⅲ 二極化する社会

『すばらしい日々』

 血まみれの手帳
 緑とピンク
 コーヒーカップ
 歳をとる

『劣化国家』

 4つのブラックボックス--民主主義、資本主義、法の支配、市民社会
 市民社会と非市民社会

『国際政治(中)』

 第二二章 全面戦争

『アラブ500年史』

 オスマン帝国支配へのアラブ人の挑戦
 追記--「アラブの春」から一年

『変わるエジプト、変わらないエジプト』

 民衆と軍のクーデター-- あとがきにかえて
 ユーチューブで楽しむエジプト 白水社のホームベージ(http://www.hakusuisha.co.jp/08325) 

『ソーシャルデザイン実践ガイド』 

 ソーシャルデザインのエッセンス
 essence 1 出会いとつながり
 essence 2 YES、AND
 essence 3 量と質
 essence 4 専門性と最適化力
 essence 5 負のデザイン
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