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中項目名の変更 社会、歴史

3.社会

 3.1 社会の動きを観察するが見えない

  3.1.1 社会との接点はマーケティング

  3.1.2 社会の動きは見えない

  3.1.3 情報から社会の全体像をつくる

  3.1.4 地域を捉え、全体を見ていく

 3.2 社会構造は全体と地域からなっている

  3.2.1 ボランティアで地域を見ていく

  3.2.2 市民の視線で行政を分析する

  3.2.3 地域を軸にトポロジー構造を解析

  3.2.4 地球規模の課題を地域から解決

 3.3 環境に関する4つの方策を得た

  3.3.1 環境問題に対応するハメンリンナ

  3.3.2 地域のNPO活動に参画

  3.3.3 市民活動で行政を超える

  3.3.4 全体は地域活性化を活かした支援

 3.4 地域を主体としたサファイア社会を想定

  3.4.1 分配から市民主体の循環にする

  3.4.2 地域が自律できるための権限移譲

  3.4.3 地域コミュニティで情報共有

  3.4.4 静脈系を自己組織化して、再構成

 3.5 クライシスには地域主体に対応

  3.5.1 クライシスを想定した分散自律型

  3.5.2 コミュニティでメリットを与える

  3.5.3 技術展開にはコストがかかる

  3.5.4 存在の力で意識から変える

 3.6 地域活性化の意識は揃いつつある

  3.6.1 コミュニティに意識と知識を集約

  3.6.2 公共意識でコラボして、行動する

  3.6.3 社会問題を地域の知恵で対応

  3.6.4 情報共有で状況把握し、シェア

 3.7 コミュニティに意識と知識を揃える

  3.7.1 コミュニティにサファイア機能

  3.7.2 生活者意識のスタイルを支援

  3.7.3 市民がつながる合意形成

  3.7.4 雇用・社会保障の役割を変える

 3.8 内なる社会で新しい民主義をつくる

  3.8.1 組織に依存しない市民を作り出す

  3.8.2 ソーシャルが社会を変えている

  3.8.3 地域で新しい快適社会を定義する

  3.8.4 市民を位相化し、新しい民主主義

4.歴史

 4.1 ナチ成立から始まる歴史の関心

  4.1.1 ナチ成立は合法的に行われた

  4.1.2 全体主義は国民国家の究極の姿

  4.1.3 グローバル化は地域を圧迫する

  4.1.4 テロの世界からグローバルの支援

 4.2 未来への仮設で歴史を分析

  4.2.1 国民国家の観点で歴史を見る

  4.2.2 偶然と仮説から歴史の未来を見る

  4.2.3 各国の歴史と意識のシナリオ

  4.2.4 歴史は地球課題にどう対応するか

 4.3 歴史は国から市民主体に向かう

  4.3.1 国を超えた歴史の意識の先

  4.3.2 国民国家は生成、限界を向かえた

  4.3.3 国は地域へ分配から支援に向かう

  4.3.4 ソーシャルが市民主体社会を作る

 4.4 地域の認識から幸せへの道

  4.4.1 歴史哲学から新しい歴史観

  4.4.2 サファイア認識で地域から変える

  4.4.3 多くの人が幸せになれるシナリオ

  4.4.4 分化と統合での幸せへの道

 4.5 中央集権から地域主体へ変わる

  4.5.1 地域の価値観でクライシスに対応

  4.5.2 地域の意思決定で国に対抗する

  4.5.3 情報共有がコミュニティをつなぐ

  4.5.4 歴史はゆっくり環境社会に変わる

 4.6 市民と地域と国の構造が変わる

  4.6.1 Local meets Globalで国民国家

  4.6.2 Global meets Localで地域統合

  4.6.3 地域コミュニティを国が支援する

  4.6.4 地域と超国家のサファイア社会

 4.7 国民国家から変革のシナリオ

  4.7.1 存在の力で価値観を共有する社会

  4.7.2 ソーシャルで地域インフラ再構成

  4.7.3 各国の状況から国を超える可能性

  4.7.4 国家から市民の価値観で組合せ

 4.8 内なる歴史でLL=GGの未来を示す

  4.8.1 社会の位相化で歴史の時空間構成

  4.8.2 市民の分化から社会の位相化

  4.8.3 地域と超国家の仕組みに変換

  4.8.4 存在の力でLL=GGの未来に到達

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数学編のロジック

絶対ミカロスの日 

 パートナーはやはり、絶対的な存在です。相対で考えてはいけない。だから、今日は、絶対ミカロスの日です。

未唯空間数学編のロジック

 数学もロジックは簡単です。真理に憧れて、数学に入った。そこで多様体という、近傍から発想する数学を見つけた。その考え自体は、社会の新しい方向です。それを社会に適用することを考えたし、それでもって、確認できる。

 それを仕事で適用してみたら、かなりうまくいった。当たり前だけど、社会自体を変えないと意味がない。だから、新しい数学があることを皆に知らせて、それで具体例を作り出すことです。

 これはデカルトが方法序説でやったことです。手法で実例を解決して、その有効性を示すと同時に、自分の存在自体を確認する。

 新しい数学で、社会そのものを変えるのが、サファイア社会です。そう簡単には、変わらないから、その先がどうなるかを考えた上で、LL=GGの世界を見つけて、それを内なる世界を作り上げた。
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豊田市図書館の27冊

290.93『世界の小さな町歩き』一生に一度だけの旅

361.5『多文化世界』違いを学び未来への道を探る

146.8『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』仕事もプライベートもイヤなことばっかり 誰も助けてくれない どうして私だけ!? ⇒ ギスギスしてきた心がスーッと晴れるレッスン! もっとラクに生きる方法、あります!

375.4『理数教育がひらく未来』~受け継がれゆく坊ちゃんの遺伝子~

019.9『本を読んだ人だけがどんな時代でも生き抜くことができる』

293.95『ギリシャ人の真実』人一倍ギリシャを愛するからこそ伝えたい真実……

210.04『闇に葬られた歴史』

689.5『ディズニーの片づけ』片づけはハピネスをつくり出すツールである。

313『政治の起源 上』人類以前からフランス革命まで

188.84『禅的生活ダイエット』365日、ご機嫌な自由をつくる「減らす」技術

312.74『マーシャル諸島の政治史』米軍基地・ビキニ環礁核実験・自由連合協定

367.4『「婚活」症候群』

537.09『東北地方と自動車産業』--トヨタ国内第3の拠点をめぐって--

379.02『地域の力を引き出す学びの方程式』柏まちなかカレッジにみる教育×まちづくりの答え

913.6『覇信長記2』新しい航海

699.3『TVディレクターの演出術』--物事の魅力を引き出す方法 ……視聴者に番組を面白く見てもらえるように演出する方法というのは、企画書やプレゼンをより魅力的なものにするのと同じことです。効率よく目新しい物を発見する方法は、斬新な新商品を開発するためのリサーチと同じです。本書では、そんなテレビのディレクターとして「手作りで番組を作る方法」をご紹介していきます。…。。。

210.77『1995年』……当時の日本人が抱いていた、「これまでの常識はつうようしない時代」という漠然とした予感に、震災とオウムというふたつの厄災が重なることによって「変動期の到来」という強い印象が突き付けられた。1995年とは、それ以前に起こっていた日本社会の変化を強く認識する機会となった機会となった転機の年なのである。……

913.6『天に堕ちる』

289.1『栗林忠道・今井武夫物語』対米中開戦に反対した二人と「妖しき運命」

007.63『Word2013活用法』論文・レポート作成に使う スタイル活用テクニックと数式ツールの使い方

159『誰でも「引き寄せ」に成功するシンプルな法則』

599.04『ああ娘』

913.6『草原の風(中)』

612.1『農業と人間』食と農の未来を考える

327.2『民事訴訟法』本来、私たちの生活に身近であるはずの民事訴訟。それは、いったいどのような手続に則って行われているのだろうか? 初学者には「全体像がわかりにくい」とされてきた民事訴訟法を時系列に沿って丁寧に解説した、新しい時代のスタンダード・テキスト。

141.6『バカボンのママはなぜ美人なのか』嫉妬の正体 嫉妬が今の私を作った!

311.1『社会契約論』--ホッブス、ヒューム、ルソー、ロールズ この本を書くために社会契約論について考えはじめたとき、なんて現実味のない、全時代の遺物だろうと思った。革命も新体制も焼か跡も、全くリアリティのない今の日本で、社会契約論なんて誰も興味を持たなくて当然だと。書き終えたいま、全くそう思わなくなっている。そしてその自分に驚いている。……
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ドイツの11月9日の特異性

『世界の歴史を変えた日』より

以下の3つの項目が11月9日に起こっている。

1918年11月9日 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、退位させられる

 1918年11月9日、声明が発表された。「私はこれをもってプロイセンの王位とそれにともなうドイツ帝国の帝位を永久に放棄する」。ところが、厳密にいうと皇帝ヴィルヘルム2世は実際この日に退位したのではない。この決定は皇帝本人の承諾なしに皇帝の代理として、遠戚にあたるバーデン公マクスが公式に表明したものだ。ドイツ帝国の最後の首相だった大公は、大戦末期のベルリンで勃発した革命のうねりを必死に食い止めようとしていた。ヴィルヘルム2世本人はドイツ軍参謀本部が置かれていたベルギーの木深い小村スパーにいた。

 前線で次々に退却するドイツ軍を前にヴィルヘルム2世は、その性格からして、どう手を打つべきかなかなか決断できないでいた。お気に入りの外洋艦隊の乗組員たちは大規模な反乱を起こし、べルリンではストライキを起こした労働者や革命家たちが公共の建物を襲撃した。初めのうち皇帝は怒鳴り散らすばかりで、軍隊に脅しをかけて革命を力ずくで鎮圧するよう指揮していたが、やがて考えを変えた。意見を求めた司令官20人のうち、部下の離反に対し自行が責任を取ると答えた者が2人しかいないこの報告を受けたのだ。皇帝が将軍たちに私へつ誓いを忘れたのかと問いただすと、ヴィルヘルム・グレーナー将軍は「陛下、このような状況下において、誓いなどただの言葉の綾にすぎないとお考えください」とにべもなく返答した。

 威信を傷つけられ立腹したヴィルヘルム2世は皇帝列車に乗り込み、夜のうちに国境を越えて中立国オランダヘと旅立った。 11月28日、ヴィルヘルム2世は公式に「国王の特権の使用を中止した」。第2次世界大戦のさなか1941年6月に亡くなるまで亡命を続け、故国ドイツの土を踏むことはなかった。

1938年11月9日 水晶の夜事件が起こる

 1938年11月9日、「クリスタル」(割れたガラス)が大量に街の通りに散乱した。そこからこの暴動に「クリスタルナハト」(水晶の夜)ごいう名がついた。ヒトラーは古参の党員の会食の席で、パリのドイツ人外交官エルンスト・フォム・ラートが、ヘルシェル・グリュンシュペンに射殺されたという知らせを受けた。グリュンシュパンは、ポーランド系ユダヤ人1万2000人がドイツからポーランドヘ強制退去させられたことに抗議したが、失敗したことに激怒して、暗殺におよんだ。ヒトラーを代弁してョーゼフ・ゲッベルスは声明を発表した。「ヒドラーは威嚇行動は公認しない、ただし自然発生的な暴動を妨げるものではない」。この声明づ合図となって、全国規模でユダヤ人コミュニ≒ィヘの襲撃が起こった。民間人の服を着たナJ一党組織のメンバーや突撃隊(SA)や親衛隊 SS)が、斧や大ハンマーを手に、ユダヤ人の言舗や建物への襲撃を先導した。

 7000件の店舗、29件の百貨店、その他数多での民家が破壊された。ドイツとオーストリアのシナゴーグが略奪され、ユダヤ人共同墓地が冒涜された。3万人以上のドイツ系ユダヤ人がダッハウ、ブーヘンヴァルト、ザクセンハウゼンの強制収容所へ送られた。

 ドイツ政府は、この暴動は反ユダヤ主義の怒りが自然発生的に表れたものであると主張したが、証拠資料により、「水晶の夜」はユダヤ人コミュニティ殲滅活動の一環として、ナチ党が計画したことがわかっている。こうした事件の結果、ユダヤ人の海外への移民が急増した。

1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

 まさに冷戦の象徴だったベルリンの壁が、壁の両側から市民の手によって破壊された。建設から28年が過ぎていた。この壁を作った東ドイツの社会主義統一党は、壁は東ドイツ国民をファシズムから守るためのものだと主張したが、だまされる人間はいなかった。それは明らかに、東ドイツ国民がより豊かな西ドイツヘ大量に流出するのを食い止めるためのものだった。巧妙なやり方で壁を越える人々や、壁を越えようとして殺される人々は後を絶たなかったが、しかし壁が東ドイツに安定をもたらしたのも確かだった。

 しかし1980年代の後半になると、その安定はあやしくなっていった。ソ連のミハイル・ゴルバチョフによる改革は、変化を渇望する東ドイツ国民を熱狂させた。しかし改革は共産党支配を終わらせるだけであることがわかっていた党指導者エーリッヒ・ホーネッカーは、ゴルバチョフにならうことを拒否する。国民の不満は大規模なデモや多数の国外脱出となって表れた。このときの国外脱出は、オーストリアとの間に国境が開かれているハンガリーを経由するもので、このルートを通って数千人が西ドイツヘ到達した。東ドイツを必死に維持しようとする社会主義統一党は、1989年10月にホーネッカーを退任させてエゴン・クレンツを新たな指導者の地位にすえる。

 危機に対処すべきクレンツ政権は驚くほど無能だった。西ベルリンヘの移動制限の緩和は発表されたものの、具体的な内容ははっきりとは示されなかった。壁が開かれるという噂が流れ、数千人が検問所に押しかけて自分たちを通してくれと要求した。はっきりした命令を受けていなかった警備隊は、この人々の通過を認める。まもなく東ドイツ政府は崩壊し、1990年10月には東ドイツ国家それ自体が消滅した。

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